2010年3月31日以前の記事
2010年3月7日 マオイストの女性リーダーNo.2のパンパ・ブサルさんを囲んで、ネパール大使館ドゥルガ・タパ参事官のお宅で、女性だけの昼食会が開かれました。
2010年3月7日 サドヴァバナ党(友愛党=タライの地域政党)書記長(43歳)が猪瀬直樹東京都副知事に面会
2010年3月1日 スンダリ・ミカの「私も知らないネパール!?」 、ヒマラヤの民 シェルパ族
2010年2月28日 ネパール国内線2010年2月10日より再値上げ
2010年2月22日 タイ国際航空 羽田発関西国際空港経由バンコク行き運賃新発売・夏期スケジュール発表
2010年2月22日 カトマンズは、世界で最も住みにくい都市ランキングで、下から8位に選ばれました。
2010年2月21日 ネパール人観光事情
2010年2月2日 カトマンズの停電事情
2010年1月27日 ネパール報告:2009年12月20日-1月12日
2010年1月26日 ポカラの国際山岳博物館大写真の展示に着手
2010年1月22日 ネパール大使公邸新年会のスナップ写真
2009年10月30日 2009年ダサインとティハールの様子
2009年10月29日 日本乳腺甲状腺超音波診断会議(JABTS)国際委員会のネパール派遣団動画活動報告
2009年10月13日 長野県中野市に本格的なネパールレストランがオープンしました。
2009年10月7日 ティハールのラクシュミー女神のマントラ
2009年10月1日 ネパール報告:2009.3月
ネパール報告:2009年8月7日~26日
2009年9月10日 今年のダサインとティハールの日程
2009年1月16日 ネパール帰国報告
2008年12月26日 日本乳腺甲状腺超音波診断会議(JABTS)国際委員会によるネパールでのピンクリボン活動について
2008年12月24日 前期高齢者のネパール見聞録
2008年11月3日 ヒシラ・ヤミ(Hisila Yami)考
2008年10月27日 2008年ティハール
2008年10月13日 ネパール閣僚名簿、ネパール新国歌、ネパールの歴代の王と首相
2008年10月6日 ヒマラヤの高所に咲く青いケシ
2008年10月4日 2008年ダサイン
2008年10月1日 「活況を呈するネパール映画界」
“たくましく、優しい”ネパールの人々について、幾つかのエピソードを紹介
初めて投稿します会員の山下甫です。
最近しばらくバンダ関連の情報が多かったようですが、私は“たくましく、優しい”ネパールの人々について、幾つかのエピソードを紹介したいと思います。 いささか旧聞になり恐縮ですが今年3月10日から一ヶ月間、10回目のネパール訪問を果たしました。
国葬に日本の僧侶が参列
3月21日ギリジャ・プラサド・コイララ元首相の国葬があり、テレビの中継録画が繰り返し放映された中に、2人の日本人僧侶がパシュパティナートの火葬台の前でうちわ太鼓を打ち鳴らしながら祈る光景がありました、テレビの説明では韓国の僧侶と報じられていましたが、日本山妙法寺(ポカラ、ルンビニ)の住職佐藤上人と酒井上人です。お二人は一旦官憲に参列を阻止されたのですが、周りの群集が当局に抗議、貴賓席に通された後、さらに隣の人に手を引かれて火葬台の真ん前に招かれ、大統領、首相らの見守る中で数時間も激鼓唱題、テレビを見た多くのネパール人に感謝されました。
村中にバイオ・トイレが
私が1997年から教育支援を続けてきたダーディン郡クンプール村アドンタール部落では、現地NGOの指導で全戸にバイオ・トイレを設置する工事が急ピッチで進められていました。これはトイレから流される人の屎尿と牛糞などをタンクに蓄えてメタンガスを発生させ、家庭の燃料に利用、残ったヘドロは堆肥と混ぜて肥料にする装置。既に15年くらい前から一部の裕福な家庭や学校には設けられていたものですが、貧しい家庭には普及していなかったのです。このNGOはイタリアのNGOから資金援助を受けて、こうした貧困家庭に設備費を補助しているのです。薪や石油系ガスを節約、森林の保全にもつながる環境対策でもあります。
『政府は当てにならない。それなら自分たちで』といろいろなNGOを組織して、学校や診療所の設置などの事業をどんどん実行してしまうネパールの人々のたくましさにはいつも感動してしまいます。 日本のように法律・制度が整備された国では考えられない状況です、もっとも政府の規制が無いことが幸いしてはいます。
改革に動く青年たち
日本人画家が研修に来ているカトマンズのタンカ工房で、タマン族の絵師たちが新しいタンカの創作に挑戦していました。昔ながらの伝統を活かしながら、ネパールらしい壮大なタンカを創作しようと苦心しています。たたみ2畳くらいの大きな試作品には、テンジン・ヌルブの影響が強く見られました。これから様々な論議を呼ぶ事でしょう。 たまたま工房を訪ねてきたタマンの青年は、日本で農業研修を受け、その時の経験と知識でドリケル地域の農業改革に取り組んでいました、時間が無く現地を訪問することは叶いませんでしたが、写真では見事に整備された農地に、作物の豊かな実りが見られたばかりでなく、日本で教わった包装方法で野菜をインドにまで輸出できるようになったということでした。
アドンタールでも、村の青年団が自主的に環境問題への取り組みを始め、「ゴミゼロ・模範村」を目指して奮闘しています。ゴミを拾う習慣の全く無かった村人が各戸にゴミ箱やゴミ袋を置き、ブラーマンもチェトリも先住民のマジ族も、ゴミ集めに協力し始めていました。 都市でも農村でも目覚めた青年たちが改革に向けた動きを起し始めているようです。
民主化の影響がじわりと
アドンタールのサティワティ学校(公立・12年制)では毎回11年生に15分くらいの講演をして、生徒からの質問を受けることを続けていました。今回は例年になく活発でしたが、内容も一変して、カーストや男女差別、家庭内や社会での女性の地位などに関する鋭い質問が出て驚かされました。 日本の新憲法公布の頃と同じように「権利意識」の台頭が感じられます。これから学校教育も難しくなるでしょう。教員の理解力と説得の力量が問われる時代を迎えているように思いました。
優しい心のこもる別れの挨拶
毎度のことですが『この次はいつ来る?』と聞かれます。今回私は『なにしろコイララさんと同じ歳だから、どうなるかね~』と答えることにしました。 『ええっ! でもまだ元気じゃないか、また来てね』と励ましてくれながらも、状況は察してくれたのか、帰国間際に記念品を持った訪問者が激増、お宅に招待されることもありました。 サティワティ学校からはラクスマン校長、クリシュナ理事長はじめ数人の先生方がタメルに出てきて送別会を開き、「感謝状」を贈ってくれました。感激ひとしおであったことは勿論ですが、私にとってもっと嬉しかった事は、ラクスマン校長の次のような回顧談でした。
「自分たちは教育の充実とは校舎を建てることだと思っていた、ところが初対面のとき、先生は『教師と生徒が人間的な触れ合いを通じて思想や知識を伝えるのが教育。校舎や教具は二の次である。また教育は学校だけで終わるものではない、卒業生とは生涯交流が続く~』と言われた。その言葉に深い感銘を受け、先生を思い出しながら務めてきた。お陰で郡一番のモデル校になり、卒業生の中から11名の教員を育てた。今私のところには世界中で活躍するOBからITのメールで情報や意見が寄せられる。先生の13年間のご指導に心から感謝している」。
校舎の建設には1ルピーも出さず、訪問時に思いつくままに意見や感想を述べるだけの私を誠実に受け止め、生徒ばかりでなく部下の教員も指導する立派な教育者となったラクスマン校長は、13年間にわたって私に大きな生甲斐を与えてくれた恩人と言えます、感謝するのは私の方でした。
帰国当日の朝、校長さんは教育雑誌の編集委員を連れてきて、サティワティ校の成功はこの人のお陰と紹介、3時間ものインタビューを受けました、これもまたとない心のこもったプレゼントでした。
この13年間に私が接したネパールの人たちは、王制廃止・共和制移行と激動の時代をたくましく生きながら、後期高齢者の私を優しく迎え容れて、日本国内では得られない生甲斐を与えて下さったのでありました。
山下甫(会員)
パタン在住 ラジェンドラ サキャ氏
2010年3月30日にポカラ市で乳がん検診を呼びかける「ピンクリボンキャンペーン」が開催されました。
日本乳腺甲状腺超音波診断会議(JABTS)国際委員会によるネパールでの「ピンクリボン運動」が、ネパールの医療機関、医療従事者により進められてきています。
JABTSによるネパールでの「ピンクリボン運動」についてはこのコーナーで紹介されていますのでご覧ください。
JABTSの地道な努力の結果、今回、初めてネパールの医療機関、医療関係者、行政機関による「ピンクリボン運動」と併せて子宮頚がんの啓蒙キャンペーンが行われました。
2010年3月30日にポカラ市で行われた「ピンクリボン運動」キャンペーンには約100名の女性が参加し、乳がんの疫学、罹患率や症状、乳房自己触診法についてや動画、体験用模型を使って説明しました。
乳がんの疫学や、自己触診法について説明したのはアーモンドレストランオーナーの奥さんで、薬剤師のShantiさんです。
また、併せて、産婦人科医Giridhari先生による子宮頚がんについて講演がありました。
31日には、(ポカラ)私立教育病院で、45名の女性を対象に、子宮頚がんの細胞診によるスクリーニングを無料で行うとのことです。
子宮頚がん細胞診の費用はポカラ市が提供しますが、この提供はShantiさんの粘り強い交渉により実現したと聞いています。
その他にも歌手のSundari Micaさん、ラト バングラ校のSafala先生、国際基督教大学大学院生のAshmaさん等多くの方の協力がありました。
今回のキャンペーンの成功で更に「ピンクリボン運動」を推進する為のネットワークを作って行きたいとのことです。
詳細な内容がわかり次第ご報告いたします。
| 主催者 | 挨拶 |
![]() |
|
| 参加した女性達 | 自己触診法のビデオの映写 |
![]() |
|
| 薬剤師のShantiさんによるビデオを使った自己触診 法の説明 |
参照
ピンクリボン:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%9C%E3%83%B3
JABTSホームページ:http://www.jabts.net/
JABTS国際委員会 ネパール派遣団第1班報告 :http://www.jabts.net/jabts04.html
JABTS国際委員会 ネパール派遣団第4班報告:http://apollon.dokkyomed.ac.jp/jabts/kokusai/nepal-4.html
情報提供 高田悦雄(非会員 独協医科大学教授)
文責 編集広報部会
「私も知らないネパール!?」
ナマステ!日本人ネパール大衆歌謡歌手スンダリ・ミカです。
「脱力系★癒しの国ネパール」のあんなこと・こんなことを、私のナビゲートでお楽しみくださいませ。
ポカラ 日本文化交流の旅
ネパール第二の都市「ポカラ」。人口は約19万人(2005年現在)で、カトマンズから西に約200kmに位置する。
市内からは晴れればダウラギリ、アンナプルナ、マナスルという標高8000メートル級の山々の頂きが望め、ポカラの景勝を代表するペワ湖周辺には、観光客を相手にしたお洒落な飲食店が立ち並ぶ。
海外からのトレッカーやバックパッカーだけでなく、カトマンズからやってくるネパール人観光客も多い。
年に1度はポカラに行くことにしている私であるが、今回の旅の目的はずばり「日本文化交流の旅inポカラ」。……というのもポカラ市と長野県駒ヶ根市は2001年から友好都市関係にあるのだ。
昨年私は駒ヶ根市役所を表敬訪問し、市長とお会いしたのだが、今回はポカラ市役所の招聘で4泊5日の文化交流行事を行うためにポカラを訪れた。
茶道、華道、書道の師範級の腕前をもつ京都出身の日本語教師、石井真弓先生も同行してくれ、日本文化交流の旅は木曜日の午前10時半にマイクロバスパークを出発した。
日本留学説明セミナー
ポカラについた翌日から、さっそく大学生を対象にした「日本留学説明会」がおこなわれた。
市役所の紹介で教育学部と経営学部をもつカレッジ(16〜18歳まで学生が学ぶ大学)を訪れ、日本留学に関する手続きの方法や留学後の日本の生活、大学進学のための勉強の内容などを説明した。
質疑応答なども含めた約2時間ほどのセミナーであったが、学生からの質問の多くは、日本での勉強のことよりは初年度にかかる学費の総額や日本でのアルバイトで稼げる収入のことや奨学金などのことがほとんどで、やはり日本とネパールの経済格差を感じずにはいられない。
自分の努力と必ず成功するという信念をもつことが大切と訴えるが果たしてどこまで伝わったか……。
最後に石井先生の書道デモンストレーションで「千里の道も一歩から」ということわざを書きしたため、学校に寄贈する。
ポカラ市役所日本文化紹介セミナー
翌日の土曜日にはポカラ市役所の会議室で12時半から15時半まで市役所職員とネパール女性の支援団体を対象にした「日本文化紹介セミナー」が行われた。
参加者は約40人ほどであった。和服姿の石井先生による生け花、茶道、書道のデモンストレーションが行われた。
参加者の中では茶道への関心がひときわ高かったように思う。
なぜ茶碗を回しながら飲むのかという質問に対し、日本の茶道の茶碗には「顔」があることなどが説明されると参加者からは感心の溜め息がもれた。
セミナー終了後、市役所の敷地内にたてられた「駒ヶ根コーナー」なる施設に案内された。
駒ヶ根市からの友好使節団との交流の歴史がわかるような展示物、寄贈品などが飾られたスペースで、日本風に座ぶとんと卓袱台が並んでいるのがなんとも微笑ましかった。
私も2009年に製作した「スンダリ・ミカ」のアルバムを1枚寄贈した。
日本・ネパール文化交流会
三日目の日曜日はボーディングスクール(日本の小中学校にあたる教育機関)で7,9年生(12〜14歳くらいの学生)を対象にした日本文化紹介交流会が行われた。
講堂に集められた学生は総勢約60名ほど。まずは日本からの訪問団に対する歓迎の意を込めて生徒代表楽団によるネパール民族楽器の合奏が披露された。
続いて石井先生による折り紙の指導。前日までに用意しておいた、正方形に切られた新聞紙を学生に配り、「兜」の折り方を教えた。
出来た兜を「ネパール風」に横にかぶる子供達に「この日本の帽子のかぶり方はネパールとは逆ですよ!」というと子供達の間からは笑いがあふれた。
最後にここでも書道の実演をし、「千里の道も一歩から」を学校に残した。
これからも機会があれば民間レベルの交流会を続けていきたいと思っています。
![]() |
![]() |
スンダリ ミカ カトマンズ在住 会員
マオイストの女性リーダーNo.2のパンパ・ブサルさんを囲んで、ネパール大使館ドゥルガ・タパ参事官のお宅で、女性だけの昼食会が開かれました。
3月6日(土)JICAの「国づくり研修」に参加したマオイストの女性リーダーNo.2のパンパ・ブサルさんを囲んで、ネパール大使館ドゥルガ・タパ参事官のお宅で、女性だけの昼食会が開かれました。
伊藤副会長、岡本理事、蓮見会員、辻井会員、ネパール・ミカの会会員ほか
![]() |
![]() |
| 昼食会参加者 | 伊藤日本ネパール協会副会長とパンパ・ブサルさん |
パンパ・ブサル(Pampha Bhusal)さん(47歳)は、プラチャンダ内閣の総務大臣。ネパール共産党毛沢東主義派中央委員。
1990年のティーズの際、クイーンの車が彼女が組織した全ネパール女性協会によって襲撃されたため、逮捕状が出されましたが、4年にわたり潜伏していました。
バブラム・バッタライの妻であり、実戦経験が無いヒシラ・ヤミに較べ、彼女は実質的なマオイスト女性リーダーNo.1といえるでしょう。
2007年12月には、G.P.コイララ内閣で女性・子供・社会福祉大臣として入閣しました。また、2007年、駐仏大使に任命されましたが、インターポールの指名手配を受けていたため、フランス側の同意(アグレマン)を得られず、就任できませんでした。
妻子のある毛派No.3のバーダルと恋愛関係に陥り、両者とも一時降格されたことがありました。
2008年4月10日の制憲議会選挙ではラリトプル郡第3選挙区(サネパ)で当選しました。
2010年3月8日(日)は、国際女性デー100周年記念日であり、彼女自身は、日本からベトナムへ行くそうですが、10万人規模のデモを予定していると、話してくれました。
「新憲法の制定期限が5月28日に迫っており、暫定政府が義務を果たせるかどうか国際社会が注目しているとの問いに対して、「期限は延びても、たいした問題では無い」と、小声で答えていました。
伊藤ゆき(会員)
サドヴァバナ党(友愛党=タライの地域政党)書記長(43歳)が猪瀬直樹東京都副知事に面会
3月2-7日の予定でJICAの「国づくり研修」に参加したネパール・サドヴァバナ党(友愛党=タライの地域政党)書記長(43歳)が猪瀬直樹東京都副知事に面会。連邦制発足に向けて、地方分権について、質問した。
![]() |
![]() |
| 都庁にて。 | 猪瀬直樹東京都副知事に面会 |
伊藤ゆき(会員)
スンダリ・ミカの「私も知らないネパール!?」
カトマンズ在住のスンダリ ミカさんから「マイトレイインディア 3月号」に掲載したネパール人観光事情が届きました。
ナマステ!日本人ネパール大衆歌謡歌手スンダリ・ミカです。「脱力系★癒しの国ネパール」のあんなこと・こんなことを、私のナビゲートでお楽しみくださいませ。
2010年ネパール若者風俗事情
10年前と今とでネパールは何が大きく変わりましたか?という質問をよく受けます。政治の話を抜きにして、「やわらかい話」をするのなら、一番大きく変わったのはカトマンズを中心にした若者の風俗でしょう。女子の私服が昔に比べて断然にカジュアルでセクシーになりました。パーティー以外の外出着にクルタスルワールなんて今どきダサイかも。露出度の高いトップは勇気が無いけど、ヒップハングのジーンズくらいならはいちゃうわ、って女子に言いたい。あなた、かがんだ時にお尻の割れ目までしっかり見えてますよ。自分の気がつかないところで目のやり場にこまらせているのは、御愛嬌なんでしょうか。
今から7年くらい前に、生足にミニスカートをはく女の子が出没し始めたときには、世の大人たちは「世紀末が来た」と眉をひそめていたのですが、今ではそんなことも昔話のようです。若者向けのファッション雑誌やショッピングモールが増え、女の子のなりたい職業の上位に「ファッションモデル」なんてのも普通になってきました。
バレンタインデーはすでに国民的行事?
さて、ネパールでもここ数年バレンタインデー商戦が白熱しています。新聞雑誌などのメディアはこぞって特集を組み、デートスポットの紹介やら、愛の告白の仕方、愛されるファッションなんかを教授しているのですが、年々そのお祭り騒ぎぶりは加速しています。タメル(カトマンズにある繁華街)にお洒落なバールやカフェが増えたのも、ネパールの若者達が逢い引きの場所を求めて夜な夜な徘徊するようになったからなんでしょうが、事実最近のタメルには週末ともなれば外国人旅行者よりも地元の若者の方が多くなりました。「木を隠すには森に行け」の言葉通り、人目を忍ぶことなく大胆になれるタメルはまさに恋人達の聖地。レストラン、バールはこぞってバレンタインフェアを実施。お酒の会社は新聞各紙に「我々もバレンタインデーを応援します!」みたいな広告をだして青少年の飲酒を奨励していました。タメルといえば周りには安いゲストハウスも沢山あるし、ここなら泥酔しても安心?!
いまどきのラジオ番組が物語るネパールの若者の関心ごと
タメルで「お泊まり愛」をして過ごしたカップルも多かったのでは無いかと思われる今年のバレンタインデーですが、ネパールでも「青少年の性の乱れ」が深刻化しているようです。私がよく聞く深夜のFMラジオに「クルダリ(※人には言いにくい胸の内)ドットコム」という番組があるんですが、これが若者の間では大人気!夜22時から23時までの1時間の生放送で、リスナーから送られてくるお悩みに「ディペンドラ兄貴」と「フシカ姉貴」と「Dr.カルキ」がさくさくとお答えするという、まるで日本の深夜AMラジオのような番組なんです。
「僕には彼女がいます。先日コンドーム無しでHしました。彼女は妊娠しますか?」とか「生理が遅れています。妊娠したかもしれません。私は大学生です。どうしたらいいですか?」とか「今の彼女とは結婚するつもりはないのですが、Hはしたいんです。僕は間違っていますか?」……などというおよそ中学生並みの困った質問に3人のコメンテーターは「まずは薬局にいって検査薬を買って自分でチェック。陽性なら近くの医療機関にいって相談。産めないなら一刻も早く処置を」とか「彼女と結婚する気が無いならせめて安全な方法でするように」とか「コンドーム無しでHして妊娠するかしないかとかいう心配をするより、毎回必ず着けてするように。他の病気の予防にもなるから」と、保健体育の先生のような的確且つ当たり前なお答えをするので、聞いているこっちとしては毎回苦笑いが押さえられないのでありました。10年前ではまったく考えられなかった番組の出現にネパールの今を感じます。

ヒマラヤの民 シェルパ族
多民族国家として知られているネパールだが、その民族、カーストのカテゴリーは実に100を超えるという。しかし、よほどのネパール通でも無い限り、そのほとんどは記憶にも残らず、興味を感じることさえ無いだろう。しかし、例外的に外国人がその名前を聞いただけで、ある種の親近感を感じる民族があるとしたら。それが「シェルパ族」なのではないだろうか。
山歩きが趣味で、ネパールにトレッキングで訪れたことのある人なら誰でもこの名前を聞いたことがあるだろうし、日本の清涼飲料水の銘柄に「ヒマラヤンシェルパティー」という、葡萄の味のする紅茶が出回ったことは記憶に新しい。紅茶の名前の由来は、冬山の寒さをしのぐために、赤ワイン入りの紅茶をゲストにすすめる習慣がある、ということにちなんだらしいが、ここでいう「シェルパ」とは、どちらも民族ではなく登山ガイドとしての「シェルパ」を指している。
チベット語でシェル(Sher)は東の、パ(Pa)は人、という意味で、シェルパには「東の人」という意味がある。シェルパが世界に知られるようになったのは、20世紀に入って外国人遠征隊のヒマラヤ登山が盛んになってからであるといわれている。初めは高地に順応した体をかわれて荷物運びのポーターとして雇われるようになったのだが、登山技術を磨いた彼らは、次第にポーターよりは格上の登山ガイドとしても頭角をあらわすようになった。今ではシェルパ無しにはヒマラヤ登山は成立しないとまでいわれる重要な存在となっている。シェルパ民族の代表的な職業である登山ガイド業が「シェルパ」として一般名称化したことで、「シェルパ(族)」の名が世に広まることとなった。
ネパール国内のシェルパ族の人口はネパールの総人口2950万人(2008年調べ)の0.5%にあたる、約15万人ほどといわれている。シェルパ族の祖先はもともとはチベット東部地区にいたというが、17〜18世紀にその地を離れ、ヒマラヤを超えてネパールに移住してきたといわれている。顔だちはネパールの民族の中では一番日本人に似ている。もし彼や彼女が流暢な日本語を話したとしたら、誰も外国人だとは思わないだろう。
シェルパ族の正月ロサール〜今年は2月14日から15日間
シェルパ民族の正月は「ロサール」と呼ばれるが、「ロサール」と名のつく正月はネパールには3つある。グルン族のタムロサール(12月30日)、タマン族のソナムロサール(1月16日)、そしてシェルパ族のギャルボロサールである。
ロサールを祝う習慣が市民の間に広まったのは、先だっての民主化運動の後からで、それ以前は寺院の僧たちの間のみで祝われていたという。今回のロサールの取材で訪れた寺院では大晦日にあたる13日の夜から早朝にかけてプジャ(祈祷)を行い、14日の朝7時にチベット仏教の高名なグル(高僧)に謁見しに行くという。初日は家族ではなくグルに会いに行くというのがいかにも寺院の習慣らしい。2日目は家族、親戚に会いに行き、3日目にはドージャパトカ(仏教旗)を新しいものに付け替える、という。また、ロサールの時期には新しい服を新調する。
ロサールの時期に食される特別な食べ物には、カプセ(パイ状のビスケット)、デェシェル(ピラフのような食べ物)、チュルピー(酸っぱい干しチーズ)、トゥイ(チュルピーと砂糖とバターで作られた甘いお菓子)などがある。シェルパ族の家を訪問したなら、お土産に、沢山のカプセを持たされることだろう。
チベット仏教の寺院で見かけたお正月の飾りに、ひときわ目を引くカラフルな羽子板のようなものがあった。Chapta(チャプタ)と呼ばれる飾りで、街で出来合いの物を買えば150rs〜250rs、高いものは400rsくらいする。(1rsは1.2円)手の混んだ細工に一瞬息を呑む。バターとろうそくに顔料絵の具をまぜて粘土状の物を作り、仏教の教えを再現した絵を造型する。
![]() |
![]() |
「マイトレイインディア 3月号掲載」
http://www.newcom-net.jp/medium.html
スンダリ ミカ カトマンズ在住 会員
ネパール国内線2010年2月10日より再値上げ
昨年2月頃、国内線航空運賃が30%近く値上げされましたが、今年もまた、2月10日から1~数ドルの値上げが発表されました。
理由は、燃油料の値上げとのこと。
外国人料金は、ネパール人の2-3倍に設定されているので、国内を数箇所移動すると、格安海外旅行に行けてしまうほどかかってしまいます。2011年観光年に向けて、もう少し安くしてほしい。
カトマンズ-ポカラ 91USドル→ 92USドル
カトマンズ-ルクラ 113USドル→ 115USドル
マウンテンフライト Yeti Air 151USドル→154USドル
Buddha Air 156USドル→160USドル
その他の地域も、全て値上がりしています。
伊藤ゆき(会員)
タイ国際航空 羽田発関西国際空港経由バンコク行き運賃新発売・夏期スケジュール発表
タイ国際航空(TG)は、12月より羽田発・関西国際空港(関空)経由バンコク行きおよびマニラ行き運賃を新たに設定、発売を開始いたしました。
仕事を終えてから、羽田出発、翌朝早朝バンコクに着きますので、宿泊なしでバンコクーカトマンズ便に乗り継げます。
http://thaiair.co.jp/special/tgapex_hnd/index.html
タイ国際航空(TG)は、20010年3月28日から10月30日までの夏期スケジュールを発表いたしました。
主な変更点は以下の通りです。
<日本発着路線>
● 関空⇔マニラ⇔バンコク間を運航するTG621/620便の関空⇔マニラ間を運休へ
● バンコク発関空行きTG672便の発着時間を変更、バンコク11:00発⇒関空18:30着に
(冬期スケジュールまでは、バンコク23:50発⇒関空07:00翌日着)
夏期スケジュールより、関空-バンコク間ノンストップ便を毎日2便体制で運航いたします。
スケジュールは、発着便ともに午前および深夜発となり、利便性の高いスケジュールとなっております。
その他の日本発着線に関しましては、大幅な変更はございません。
伊藤ゆき(会員)
カトマンズは、世界で最も住みにくい都市ランキングで、下から8位に選ばれました。
(西欧人による)選考の基準は、
① 社会の安定性
② 医療機関などによる健康管理状況
③ 文化と環境
④ 教育
⑤ 社会基盤 (道路・電気・水道・ガス・交通機関・通信等)
上位=1.バンクーバー、2,ウィーン、3,メルボルン・・・
下位1~10位に、アフリカ7都市と南アジア3都市が選ばれた。http://www.eiu.com/site_info.asp?info_name=The_Global_Liveability_Report&page=noads
伊藤ゆき(会員)
ネパール人観光事情
カトマンズ在住のスンダリ ミカさんから「マイトレイインディア 2月号」に掲載したネパール人観光事情が届きました。
ネパール観光年2011来年に迫る。
ネパール政府観光局(NTB)の発表によれば、ネパールには年間約50万人ほどの外国人観光客が訪れているという。ネパールにとって、観光が主要産業なのは言うまでもない。世界遺産、トレッキング、聖地巡礼、国立公園と名所はたくさんある。2011年はネパール観光年であるが、NTBは100万人の観光客を誘致することを目標にしている。
ところで、観光立国ネパールに住むネパール人自身は海外旅行に興味、関心はあるのだろうか。都市部を中心に育ってきている中流
階級層は海外にエンターテイメントを求めて旅立ったりするのだろうか。
夢のバンコクバケーションツアー!
昨年の夏にネパールの新聞に掲載されたバンコクパッケージツアーの広告はセンセーショナルだった。「Amazing Thailand ~Land of Smiles」と銘打った3泊4日のバンコクツアーの料金は、先の中流階級層の関心を誘った。広告掲載当時ツアーの値段は日本円で約4万円弱(2名より催行の1名の値段。現在はエアチケットが値上がりして約6万円くらい)、ツアーに含まれているものは往復の飛行機代、ホテル代(朝食付)、ローカル移動費、1日市内観光、英語の話せるガイド、ビサ取得代行費だ。ちなみにネパール人のタイビザの取得のためには旅行者名義の銀行口座にネパールルピーで1ラック(日本円で約13万円ほど)以上の銀行残高が必要とのこと。そのほかにはパスポートと出発日と帰国日の刻印されたエアチケットが必要だ。
広告掲載当時、彼の旅行会社には百数十件の問い合わせがあったという。あれから半年、さぞかし多くのグループを送り出したものと思っていたが、先日その数を聞いたところ、「実はまだ一組も送っていないんです。」という答えが返ってきた。「今すぐは行かないけれど、2-3ヵ月後にと思っている」という輩がほとんどだったそうで、決まりかけていた唯一のカップルもいわゆるドタキャンする始末。広告費に数万ルピーを費やし、現地バンコクのエージェントとも綿密な打ち合わせの末にお披露目したバンコクツアーの顛末は意外なものだった。
国民性が仇に~宗教的大義名分の必要性
都市部で成功しているビジネスマンにとっては決して高すぎる金額ではないはずのバンコクツアーが今回受け入れられなかったのには、「ネパール人の国民性」が大きく関係していると旅行社はいう。お金に余裕があろうとなかろうと、聖地巡礼などといった大義名分のない旅行をする勇気や興味が乏しいのだそうだ。信仰のためなら遠出もするが、酔狂で遠出をするのは不謹慎、と考えている世代も多く、世間の目を気にするあまり、興味はあっても最終的には「またの機会に、、、、」とあきらめてしまうのだそうだ。
英語力に自信がないので、旅先で必要以上に時間やお金を浪費をしてしまうかもしれない。旅先からの「土産話」だけでは到底、親戚や友達は納得してくれないだろう。かといって、いったい何人にどれだけの土産を買って帰るというのだ。旅行前に「期待」が膨らむどころか、「不安」が膨らむ一方だ。
ネパール人向けバンコクパッケージツアーはこれだ!
以上のネパール人の国民性を考慮したうえで、先のバンコクリゾートパックツアーの内容を再検討してみた。まずツアーキャッチコピーを「Pilgrimage to the Holy Thailand ~Land of Buddha」に変える。これでぐっと周りを説得しやすくなるだろう。写真は寺院や仏像をメインにし、さりげなくオプションツアーの紹介を兼ねてビーチの写真も入れよう。パッケージに含まれているものの中に「ネパール語を話せるガイド」を追加。現地で働くタイ語のわかるネパール人を雇う。現地での買い物はガイドに交渉させ、安心して買い物ができることを強調。更に旅行代に上乗せして、指定土産物屋でのみ使える金券を50$くらいつけてみる。これで近所へ配るチョコレートくらいは購入できるはずだ。どうだろう、これで少しは「期待」が膨らんだだろうか。
情報提供 GHALE Treks&Travels http://www.ghalegroup.com/Thailand/index.php
http://www.ghaletreks.com/ (日本語サイト)
![]() |
![]() |
「マイトレイインディア 2月号掲載」
http://www.newcom-net.jp/medium.html
スンダリ ミカ カトマンズ在住 会員
スンダリ ミカさんから、マイトレインディアという新聞に寄稿したカトマンズの停電事情が送られてきました。
スンダリ・ミカの「私も知らないネパール!?
ナマステ!日本人ネパール大衆歌謡歌手スンダリ・ミカです。「脱力系★癒しの国ネパール」のあんなこと・こんなことを、私のナビゲートでお楽しみくださいませ。
今年もついに始まりました!停電地獄
1月17日から1日9時間の計画停電が通達された。年末の12月30日に停電予定表は改正されたばかりだったのだが、わずか2週間ほどで更に時間が延長されたことになる。昨年は最長1日16時間まで計画停電があったのだが、雨季の始まる6月までの時間を考えると、これから先もまだまだ停電時間の延長は避けられないだろう。いわゆるオフィスアワー(朝9時から午後6時まで)にわずか3時間ほどしか通電しないという現実は、現地生活者には結構つらい。停電計画表とにらめっこしながら「この仕事は何時までにやって、電気がきたらあれをやって、、、、」などと計算しながら仕事をやりくりする毎日なのだ。
私のオフィス(日本語学校)には停電対策としてUPS(無停電電源装置)を1台入れているのだけれど、非常用のものなので、そんなに長いこと電気は続かない。1台のデスクトップパソコンを動かすだけで精一杯なのだが、それもわずか1時間半くらいで充電池終了のアラームがなってしまう。これからは家のブックパソコンを持ち込まないといけないなあ、、、などと考えている今日この頃である。
巷のネパール人はどうしているのか?
ネパールの主要産業の中に衣料品の製造業があるが、外国人旅行者向けの繁華街であるタメル地区には、意外に小規模縫製工場が多くみられる。停電によって余儀なくされる彼らの生活ぶりは結構痛ましい。
例えば、火曜日。この日の停電時間は朝8時から13時、そして16時から20時だ。よって、電動ミシンを動かせる時間は朝8時までの間と日中の3時間のみ。さすがに20時から電気が来てもこれから2-3時間仕事をする気にはなれないだろう。いや、商品の納期が迫っていたらやらざるを得ないけど。
縫い子さんは基本的に出来高制で賃金を得ている日雇い労働者なので、縫う枚数が少なければ実入りが減るし、夜間時間外労働となれば雇い主は割増賃金以外に食事の補助もしないといけない。発電機を導入して停電時間もミシンを動かしている工場もあるが、灯油やガソリンの高騰でその運営資金も経営者には結構な負担だ。しかもこの不景気で注文も減っている。低所得労働者、小規模工場経営者には試練の時期だ。
電気のない生活で得たものとは
そんな停電生活の中で、私の住んでいるアパートには(電灯以外の)電気製品が3つしかない。冷蔵庫とブックパソコンとミキサーだ。同じ所に10年すんでいるがこれ以上増やす気にもならないのは近年の長時間停電のせいもある。コーヒー好きの私としては炊飯器は要らなくてもコーヒー豆を挽く道具は生活必需品なのだ!冷蔵庫はもはや「ねずみが入らない食料貯蔵庫」(実際に部屋にねずみはいませんが。。。)と化し、パソコンは「通電時にDVDを鑑賞するための道具」に過ぎない。
こんな原始生活に於いて改めてその存在のすばらしさを認識したのが、ずばり「蝋燭」と「(電池式)ラジオ」である。この2つはまさに私(私たち?)の期待を裏切らない。蝋燭の明かりの中で食事の支度をしながらラジオから流れてくるDJの他愛もないおしゃべりを聞く日々は、些細なことに対する感謝の気持ちを再確認させてくれる。
以前学生たちを連れて日本大使館主催のお祭りを見物しに行ったときに、とあるブースで日本人の技術指導で村人が作ったという蝋燭を学生たちに買ってあげたことがある。10本入りのパックを8人分買ったが、後になって「あの時先生が買ってくれた蝋燭のおかげで停電の夜も勉強することが出来て、とても助かりました」といわれたときにはなんだかくすぐったいような嬉しさだった。私にとっては1回分の豪華な外食程度の出費であったが、あの時の蝋燭が学生たちの心にともした灯りは、消えない思い出になったのかと思うと、ずいぶん高価な買い物をしたような満足感が残った。これも停電生活の光明か。
スンダリ ミカ カトマンズ在住 会員

昨年も1日16時間停電でした。旅行者からすればローソクの夜はロマンチックで結構楽しめます。いつも一人旅ですから折角のロマンチックな夜がもったいなかったですね。デジカメは乾電池式のものを持参することをおすすめします。4月20日タメルの某ホテルで。広報編集部会提供
ネパール報告:2009年12月20日―1月12日
PDFファイル587 Kb
目次
1.航空情報
2.乗り物・道路情報
3.政治情報
4.経済情報
5.日常茶飯事情報
6.都市事情
7.教育事情
8.海外移住・労働事情
9.住宅事情
10.女性事情
1.航空情報
(1) タイ空港合理化
タイのスワンナブーム空港は2階が到着階で、入国者は入国審査ゲートへ向かい、国際線トランジット客は反対方向へ、うんざりするほど長い通路の突き当りまで歩かされる。国内線乗り換え客はトランジット客と同じ方向の途中から左折する。3階は国際線出発階、4階がショッピングモールになっている。
3階の国際線出発階のA-G・・・・各搭乗ゲートの前には、横一列に検査官が並び、X線検査と厳しい液体物検査があった。ところが、9月から12月までの間にチェック体制に大幅な変更があった。各搭乗ゲートが廃止された。そのかわり、3階に一括搭乗者検査室が設けられた。エレベーターもエスカレーターも、2階から直接4階には上がれない。誰もが、必ず、この検査室を通らなければ3階にも4階にも行けないようになった。その検査の厳しいこと!ジャケットやマフラーばかりでなく、靴まで脱がされる。空港職員さえ、3-4階に行くには検査を受けなければならない。つまり、人員削減と検査の集中強化という一丁2石の合理化策らしい。若い労働者が豊富な国のように見えたタイにも、そうゆう時代がきたのですね。
(2)タイ国際航空会社の合理化策
昔は、タイ国際航空機を使うお客は金持ちとされていた。スチュワーデスさんも美しかったし、お食事も美
味しかった。それが、旅行が大衆化し、値下げ競争が激しくなるにつれ、どんどん食事が不味くなってきた。機内食に感激しなくなったということもあるけれど、失礼ながら、出稼ぎ労働者輸送機になって以来、「お食事」から「食い物」へ、ついには「餌」になってきた。
その証拠に配膳トレイが小さくなった。以前のトレイは座席前の折りたたみテーブルの幅いっぱいのサイズだったが、今や、8割程度のサイズに縮小され、食器数が減った。デザートも、ケーキから、いくらでも増やせるゼリーになった。フルーツは、漂白しすぎのように、まったく味のないパパイアとパイナップルとグレープ。パンは電子レンジでチンだから、クロワッサンもバターロールもカチカチで、金槌もつけて欲しいほど。クロアッサンなど持ったとたんに皮がバラバラに崩壊して、ナプキンがパン粉だらけになる悲惨さ。狭い座席に詰め込まれたブロイラーに餌を与えるって感じ。こんなことなら、おにぎりを持ち込んだほうがマシ。食事は必要な人のみ有料にして、運賃値下げして欲しいし、体重+荷物で運賃をランク別にして欲しい。 女性客に配っていた蘭の花のブローチも廃止になって・・・・聞けば、タイ航空もタイヘンなんですって。
そうそう、バンコク-カトマンズ便はドバイまで延びるとか。本格的に出稼ぎ路線化する方針かな。
(3)新ネパール民間航空会社投資者募集中
「アルパイン航空」という新しい航空会社が立ち上がろうとしている。日本とネパール間の直行便を運行しようと、投資者を募っている。社名を聞いて、一瞬、日本の代表的な旅行会社「アルパイン・ツアー社」が立ち上げたのかしらと思ったのだが、そうではないらしい。ネパール航空(NA)でドル箱路線だったカトマンズ-関空路線が、旧ロイヤル・ネパール航空(RNA)内部の政治色の強い保守的な幹部たちに理解されず廃止に追い込まれたが、当時の担当者たちが、新社を立ち上げようとしているらしい。まだ、機体もないし、カトマンズ本社の職員も少数。でも、もう一度、カトマンズ-大阪便(または羽田)を飛ばしたいという夢を追いかけている。JALの機体を安く売ってくれるとか、投資をしたいとか、いつか航空会社を持ってみたかったというデカイ夢を持っている方、今がチャンスかも。
(4)カトマンズ空港サービス指導員
4月から、カトマンズ空港にJICAのシニア・ボランティアが空港職員のサービス指導員として赴任するらしい。2011年の「Visit Nepal Year」対策にしては、泥縄だと思うけれど、やらないよりはマシ。でも、どこから手をつけたらよいのか、砂でエヴェレストをつくるようでしょうねぇ。よく引き受けてくれる方がいたものと、感心しちゃいます。いっそのこと、全職員総入れ替えしちゃったほうが早いかもね。今から「ご苦労、お察し申し上げます」と言いたいほど。荷物運搬用カート(トロリー)の占有と手数料の強要は、第1に止めて欲しい。長期赴任して、ビシバシと訓練してくださることを期待しています。
2.乗り物・道路情報
(1)タクシー料金
現在、タクシーの初乗り料金は10Rs。私の寄宿先はビジェシュワリの橋向こうで、スワヤンブーの麓だか
ら、言って見ればカトマンズの街外れ。そこからパタンのサミット・ホテルまで、「お客さん、タパタリからです
か、リングロードからですか?」と聞くので、「タパタリ方向へ行って!でも、タパタリまでゆくと渋滞しているか
ら、テクへ右折して、バグマティ川沿いに走って、クポンドールへ抜けてちょうだい!」と指示をした。サネパ
のサミット・ホテルまで約20分走って170Rsだった。それを聞いた友人が「あら、安かったわね!私、チャク
パットからサネパまで190Rs取られたわ!」。歩いて15分、バスなら10Rsで行けるのに。
別の日、カトマンズの東側にあるサンセット・ビューホテルから街を挟んでトイメン西側にある寄宿先へ帰
ってきた。ちょうどカトマンズ市街の直径を渡る感じだが、ナヤバナショールの長い坂道を下り、シンガダルバール前からニューロードを通り抜けて裏道を走り、ビシュヌマティ川の橋を渡ってホテル・バジュラ前まで165Rsだった。反対にホテル・エヴェレスト(ナヤバナショールの交差点手前)まで行った時はタパタリ経由だったが155Rsだった。ビシュヌマティの橋の袂でおしゃべりをしていた運ちゃんに「ナヤバナショールまで、行ってくれる?」と聞いたら、「300だ」と言われたので、橋向こうまで歩いて別のタクシーを拾った。それだけで、半額になった。夏には、マハラジガンジからビジェシュワリまで163Rsだったから、カトマンズ市街の端から端まで、目安として200RsあればOKということかな。空港からは、距離から言えば、タメルまで150Rsが妥当だが、空港タクシーは特別値段なので、500Rs取られた人もいるらしい。
(2)気の弱い運転手さん
ある日、ボドナートからタクシーに乗った。ボドナートはリングロード沿いのパシュパティナートの脇、グジェ
シュワリから右折して最高級ホテル・ハイヤットの前を通り、空港の滑走路の北側に位置するので、街の中
心からはかなり遠い。その先のカパンなどの新興住宅地から通勤している人もいるので、一本道はいつも
渋滞している。少なくとも、街中まで30分以上かかる。
その日、運転手さんは、メーターでなく「250Rs」だと言うので「シメタ!」と思って先払いした。座るやいな
や運転手さんは好奇心に満ちた質問を集中砲火のごとくあびせてきた。ついでに家族の自慢話も延々と続いた。二人の子どもの教育のために、バンコク、ドバイ、マレーシアと、様々な国に出稼ぎに行って、バンコクがとても気に入っているとのこと。だが、彼の世界地図には日本が載っていないらしい。それはいいとして、質問中は運転スピードが落ち、ハッと気付いて急に早くなったりする。前の車とあわやドン!といきそうで、眠くても眠れない。前の座席の下に両足を踏ん張り、手すりを片手でしっかり握って、イザという時は少しでも衝撃を減らそうと臨戦態勢だった。
10階以上の高層アパートが林立する夕暮れのボドナート前の渋滞を抜け、パシュパティナートのリングロード交差点を越え、旧王宮の裏手の塀沿いを走り、マッラ・ホテルの前を通る頃、「お客さん、ビジェシュワリは遠いや・・・」と言い出した。「そらきた、値上げ交渉だな」と察して、聞こえなかったかのように空トボケた。そうこうしているうちに、バラジュ方向へ坂を下り、途中から左折してビジェシュワリ寺院方向に向かった。な~んだ、ちゃんと道順を知っているじゃん!どう、考えても、メーターなら400Rsにはなっただろうに、先払いでもらっちゃったから、それ以上言えなかったのね。もう一押しすれば、もしかしたら・・・・。めずらしく、気の弱い運転手さんだった。
(3)8時半から5割り増し
カトマンズの空気汚染、いつも渋滞で精神衛生上も良くない中で働く運転手さんも気の毒よね。それで、月収は5000Rs(約6500円)が精一杯だって。200Rsくらい稼ぐより、運転手仲間とのおしゃべりのほうが楽しいでしょう。夕暮れ5時ごろになると、いつもは4-5台止まっている交差点付近のタクシ-が、1台もいなくなる。カトマンズの勤め人は10時出勤4時退社だから、タクシーも帰宅時間なのかしら?8時半からは、深夜5割り増し料金になる。エ~ッ、8時半から!!!そうなのです。健全な街カトマンズでは、4-5時は、勤め帰りの買い物客でごった返すが、9時になると、人影まばらになってしまう。それ以降、お仕事やお遊びのある人は、原則として、バイクや自家用車を持っている金持ちということになるのだ。
(4)馬場喜代志さん、ご苦労様でした
2010年1月6日、JICAのシニア・ボランティアとして、カトマンズの交通警察官を4年間にわたって指導してきた馬場さんが、帰国なさった。彼は、大阪万博の交通整理計画を指揮なさった経験を買われたそうだが、その指導力だけでなく、心意気のすばらしい方だった。
ナヤバナショール交差点の交通規制を、見事にコントロールしたこと。タパタリの橋の前の交差点を、女性警官に任せていたこと。交通頻繁な道路に黒と黄色の斜線が塗られた中央分離帯ブロックが設置されたこと。横断歩道ができたこと。交通警官が白い手袋をするようになったこと。夜の検問が厳しくなり、交通違反切符が切られるようになったこと。交通警官が、デレデレせずに、背筋を伸ばして、自信をもって仕事をするようになったこと・・・
何より、・カトマンズ市民に、時には面倒でも交通ルールは守らなければいけないという意識が生まれたのは、すばらしい!本当に、馬場さんが赴任してから、カトマンズの街が混雑しているとはいえ、以前に較べればルールができてきた。この功績は、素晴しいものだ。そして、お偉いさんでも、違反は違反と、厳しい対応をしたのは、彼がはじめてではないだろうか。
ずっと、サンセットビューホテルに、ご夫妻で住んでいたが、停電に合わせて夜中に起きて仕事をしていると言っていた。警察の中で、何の権限もなく、最下層におかれている交通警官の待遇をよくしようと、私財を投じて改善し、部下を可愛がった。また、最後に、中央分離帯ブロックを私財で作り、一人でペンキを塗り、ロープを張って設置して行った。カトマンズ交通局製のブロックは、頭が△だが、馬場さんのブロックは頭が丸い。馬場さんは、仕事をやりきって、ネパールを去った。2010年1月24日(日)の朝日新聞に掲載。
3.政治情報
(1)バンダ(交通ストライキ)と緑色ナンバープレート
12月21日は、バンダだった。「Tourist Bus」と書かれた、緑色ナンバープレート(新しくできたらしい)のバスしか運行が許可されていないので、自宅に帰るには5星ホテルに向けて、いくつかのルートを巡回するバスに乗るしかない。30分に1本というが、そんなに正確に来るわけがない。とにかく、人間も荷物も早い者勝ちでグチャグチャに詰め込まれて、旧王宮通りのアンナプルナホテルで下ろされた。その先、でこぼこの山坂道を30分もスーツケースやザックを背負って歩くわけには行かない。どうしろってゆうのさ!
しょうがないから、警察の某氏に電話をした。しばらくしたら、ライフルを持った武装警官4-5人を同乗させた幌付き小型トラックがホテルの玄関口に現れ、お家まで送り届けてくれた。警官が下りる際に、ライフルを差し出したので、ホイッて、受け取ってあげようと思ったら、他の警官が慌てて銃を受け取った。やっぱり、実弾入りのライフルだから、暴発したら、タイヘンだものねぇ。
「警察のお偉いさんだから、失礼かしら?」と、内心思ったのだが、相手に向かってナマステと合わせた手の間に、お駄賃がチラっと見えるようにして挨拶をしたところ・・・満面の笑みとともに阿吽の呼吸で握手を求めてきたので、誰にも見えないように掌へスルリと受け渡し完了。これが、ネパールでよく行なわれるスマートな感謝の表現作法なのだ。あちらの方は、皆さん慣れていて、受け渡しがとても上手。今回は、「困っている外国人を保護する為の任務遂行」という名目が成り立つ(?)が、警察車両はタクシーではないので、良い子の皆さんは決して真似してはいけませんよ!
ちなみに、ネパール人の友人は、3つもスーツケースを抱えて、Tourist Busに乗れるまで、空港の外で2時間も待っていたそうです。これが、カトマンズに着いて、迎えもなく、いきなりバンダだと言われたら、観光客は一生トラウマになって、2度とネパールへ来ないでしょう。
*車のナンバープレートの見分け方。「黒色」プレートの車しか、手を挙げても止まってくれません。
赤色=自家用車。 黒色=タクシー等営業車。 青色=外交官、国連機関専用車。青+赤=政府公用車。 緑色=ツーリスト専用車。
(2)金の所在
12月21日のマオイストによるバンダは、FNCCI(ネパール商工会議所連盟)の会長が「no work, no pay=働かざるもの、賃金なし!」と宣言したのに反対したもので、彼が所有する工場を爆破し、バンダを決行した。そのスローガンは、「デモに参加した者にも賃金を支払え!」だった。
資本主義の三要素は、労働、資本、土地である。ネパールのマオイストは、毛沢東の社会主義とは異な
り、鄧小平の資本主義経済を進めているのだから、労働者が働いて企業の利潤を得なければ賃金は支払えないという、単純な論理を理解してなければいけない。マオイストの指導者層は、もともとブラーマンが多いし、土地所有、蓄財に明け暮れ、何度自粛令がだされても馬耳東風である。
ところが、労働者は、長年貧富差が大きいカースト制社会で育っているから、企業や外国からは、金をいくら取っても、取っても、尽きることがないと思っているらしい。労使ともに過激だから、長時間かけて交渉し、妥協点を見つけるなどという面倒なことはしない(八百屋での値段交渉はするけど)。いきなりバンダだし、企業もロックアウトで会社や工場を閉鎖してしまうこともある。どれだけ大きな経済損失をしていることか!しかし、留学が選りの若造経営者が、労働者が一生食べても余るほどのダイヤの指輪を無造作にはめているのを見れば、無尽蔵だと思えても当然。なぜ、彼らの指輪代を稼ぎ出してやらねばならないのか、理解できなくて当然だろう。
(3)アンチ・フェイタリズム(反宿命論)
2010年1月1日は、ジャナモルチャ(党首アミック・シェルチャン タカリー族)のバンダで始まった。スロー
ガンは、「アンチ・フェイタリズム!」。新年そうそう、寝ぼけてんじゃないよ!今更、何を言っているの?誰
が、そのスローガンを理解し支持すると思ってるの?
1991年に、D.B.ビスタ先生が「Fatalism and Development: Nepal’s struggle for Modernaization=宿命論と開発:ネパールの近代化への苦闘」という本を出版した。外国人研究者からは支持を得たが、予想どおりブラーマン層から激しい批判が浴びせられた。ビスタ先生は、ネパールの社会を悪くしているのは、ブラーマン・チェトリ等上位階層が権力と経済的優位を独占し、それを維持するために宗教を利用して「人間の格差は生まれる前からの宿命なのだ」と騙してきたからだ。そのことが、ネパール社会の開発を阻害していると、当時にあっては「決死の覚悟」で書いたものだ。
ネパールを愛し、丘陵の人々(いわゆるジャナジャティー)こそネパール本来の人々であり、彼らに力を与えなければネパールは前進しないと、常々話していた。今、生きていらっしゃったら、革命の神様に祭り上げられていたかもしれない。本人は、コミュニストが嫌いだったけれど、主張していることは共通している。もし、あの頃、政治家が、そのことに気付いて、タライの人々やの丘陵の人々に活躍の場を開き、開発の恩恵を与えていたら、今回の革命を回避できたかもしれない。
しかし、「アンチ・フェイタリズム」バンダは、納得できない。宿命論的社会を踏襲してきたのは、デモをしている人々自身でもあるわけだから、被害者面してバンダをして、多くの人々に迷惑をかけるのは、おかしくないか?まして、カースト制度の恩恵を享受して裕福に過ごしてきた人々が指導者だなんて!1月10日もジャナモルチャのバンダで、日本大使館の新年会が11日に延期された。1月24日からはマオイストの無期限バンダが予告されている。バンダは、ネパールという井の中の人々の、欲求不満のはけ口か娯楽感覚になりつつあるのだろうか?
(4)バンダを「環境浄化デー」にしよう!
1月1日の初日が昇るころ、いつもの車やバイクの音がしない。「ああ、お正月からバンダなんだ。いった
いこの国の政治家は、この国の将来を、どう考えているのだろう?」と、偉そうに、ブツブツ。「べつにー!フ
ツーじゃねぇ!」。そうか、日本だって、そんな先のこと考えて政治やっている人なんていないから、同じか。
バンダの日の街は車の騒音と排気ガスが無く、大通りの真ん中を歩けるから、とても気持ちが良い。働かないことが美徳のネパールでは、市民も楽しそうな表情だ。腹が立つのは、バンダともなれば、警察を含めて官庁の役人や学校は率先して休みを取ることだ。一般企業は休みではない。ビジェシュワリからパタンのチャクパットまで、テクテク歩いて50分ほど。車では、人間の目にはキャッチできないものがたくさんあることに気付く。
そこで、提案!バンダをしても良いが、月2回の日曜日に限定する。この日はノーカーデイで「環境浄化デー」とする。この2日は若者の欲求不満解消、ガス抜きのため、バンダのし放題とするが、シュプレッヒ・コールのみ。投石や爆破はダメ。一方、市民は肥満体解消のため、歩かねばならない。旅行者も、その日はなるべく到着や出発を避けるような日程を組んでいただく。こうすれば、空気はきれいになり、ガソリン消費量が減り、市民は土日の連休を楽しみながら体力増強ができる。ついでに、全国民が街や川のゴミを清掃する日にすれば、もっと良い。ゴミを集めた量によって、報奨金を与えても良い。きっと、世界中から「環境先進国」として、賞賛されるに違いない。日本政府の提案としたら、いかがかしら?
(5)COP15: ネパール首相の豪遊
ネパールの役人は、外遊(タダ飯)が大好きだ。12月9日から14日まで、マダブ・クマール・ネパール首相以下8名の閣僚と、12名の制憲会議委員を含む60名余りのネパール外交団が、コペンハーゲンで開かれた世界環境会議(COP15)に参加した。どの国の参加者より多数の外交団であったそうだ。何も成果は無かった茶番劇だと悪評の会議ではあったが、ネパール外交団にとっては、1週間の観光ツアーだった。コペンハーゲン以前に、ネパール首相は、インドを訪問したが、その際にも随行員が60名を越え、出発日には街の交通が遮断され、各国大使がお見送りに行くという、かつての国王の外遊スタイルを踏襲した。
「な~んだ、プラチャンダをはじめ、結局政治家は国王になりたかったのね」9月になって、ようやく決まったばかりの国家予算を、3ヶ月で全部使い切ってしまったとか。日本国家予算は前半ケチケチ使い、年度末前に不用な物でも出入り業者から納入させて1円まで帳尻を合わせるのと、正反対。あればあるだけ「使ったが勝ち!」。だって、いつまで内閣が続くかわからないものねぇ。後継内閣に予算が無くたって、知ったこっちゃないというわけですね。
(6)念願の胡錦濤主席に会えて、お土産もいっぱい!
ネパール首相は、コペンハーゲンから帰ってきて、バンダ続きのネパールなど意に介さず、12月26-31日に再び36人の随行員を連れて中国へ出かけていった。今回は、温家宝首相や念願の胡錦濤主席に会えて、お土産に、大々的な中国からの経済協力を約束してきた。既に中国政府は電力、道路などのインフラ整備、空港、農業セクター、青少年の交流等の「痒いところに手が届く援助」を行なっている。そのかわり「チベット・台湾・ウィグルは一つの中国」を支持させ、「対インド政策の最前線」として活用しようとしているのが見え見え。こうして首相が大名行列で外遊している間、国内の政治は概ね休暇状態になる。
「日本人は、何のために、あくせくと働くのか?」⇒「将来、安楽な生活が出来るようにするために」
「ネパール人は、なぜ働かないのか?」⇒「今までどおり、楽しく暮すため」。
どうみても、ネパール人の勝ちですね!
(7)ゴミ戦争と地方自治体
3年前に総選挙が行なわれ、マオイストが大勝し、王制が崩壊したが、その後、地方議会選挙は行なわれていないため、45県、75郡、市町村の議会が動いていない。カトマンズ市長も不在で、事務代理をマオイストから送り込まれた人が代行しているに過ぎない。
カトマンズのゴミ処理は、一向に解決しない。既にビシュヌマティ川は両岸からゴミで埋まってきて、渡ってしまえるほどになった。遠くの白く美しいヒマラヤの山並みから、ズーと目線を引いてくると、足元の川に黒いゴミのビニール袋が堆積し、悪臭が上ってくる。
ゴカルナのゴミ焼却場が満杯になり、トリスリ近くのシスドレ最終処分場に移ってから10年もたたずに満杯である。その間、焼却場を引き受ける村に、学校施設その他の優遇措置を約束したにもかかわらず、政府は履行しないため、住民はたびたびストライキを起して、ゴミの受け入れを拒否している。
こうなったら、数十億円かかるらしいが、高熱焼却炉を設置するしかないという声が聞こえてくるが、政府は「その前に、社会福祉など、する事が山積していて、優先順位は低い。10年以上先の話」と言っているそうだ。それなら、さっさと社会福祉や道路建設に取り掛かれば良いのに、結局、外国の援助でナントカしてくれるのを待っているだけなのだ。悪臭も、大気汚染も、水不足も、停電も、日常化して五感が麻痺してしまえば、感じなくなるのだろう。
(8)G.P.コイララ大統領誕生(?)
政治家の合従連衡など秦の時代から、日常茶飯事だけれども、ここへきて、UMLのオリとプラチャンダが近づいてきた。従来、UML内部でオリは強硬な反マオイストとして主流派を率い、若手のカナルはマオイストと手を組まなければ国政が纏まらないと主張してマオイストとのブリッジになってきた。ところが、立場が逆転したようだ。どうも、「G.P.コイララにノーベル賞を!」と、UMLを中心としたネパール政府とコングレス党が合意し、外務省内に委員会を設置し始めた頃かららしい。ということは、妖怪G.P.コイララ氏の天の声が、響いてきたということか。「マダブ・ネパールはダメ、使えない」と評価が一致しているから、オリにとって何やら、おいしい話があったのかな?不思議なことに、日ネ協会で歓迎会を開いてあげた政治家は、必ず良運に恵まれるみたいよ。お払い料をいただこうかしら・・・・
1月9、10日に、私的に政財界人と会談をもったが、かなり楽天的な見通しを聞かされました。
①1月24日からのバンダは、行なわれないか、行っても小規模に止まるだろう。
②5月28日に憲法は制定される。そのための憲法制定作業委員会が動いている。UMLの若手議長ポカレル氏の話によれば、この2ヶ月で作業が進むとのこと。財界人も、同じ意見でした。
③向こう2ヶ月で、ほぼ和平交渉は進む。「血の4月」を思い起こし、また何か起こると不安になったり、半ば期待しているものもいるが、それはない。和平プロセスは進んでいる。
④最も柔軟に対応できるのは、プラチャンダである。
⑤憲法制定後、新憲法に基づいて総選挙が行なわれ、地方選挙も行なって、少なくも2年間社会は穏やかになるであろう。
⑥ノールウェー初め、スカンジナビア諸国は、マオイスト支持。そのことで、ビジネスが伸びている。
⑦ネパール最大銀行のCEOはじめ、財界人の多くはマオイストであり、中国寄りである。
⑧マオイスト軍とネパール国軍の統合も、スムーズにゆくだろう。
⑨G.P.コイララ大統領、プラチャンダ首相の可能性あり。
先ほど、ネパール大使館からの「安全情報」が届き、25日からマオイストが無期限バンダを行なうから要注
意とのことだったが、政財界はハイレベル政治メカニズムで調整がつくはずと、楽天的見方をしている。
(9)マオイスト軍のこれから
1月7日から、7箇所のマオイスト兵士収容所から、UNMIN(国連軍監視団)によってネパール軍との統合に際して資格のない45%のマオイスト兵士(和平協定締結後に兵士になった者、児童兵士など)が故郷へ帰還することになった。それぞれに、22,000Rsの補助金(10,000Rsは国連から、12,000Rsは政府から)を支給され、子どもを抱えた女性兵士を含む若者たちが、バス停へ向かった。帰郷後のリハビリとして、教育の機会や職業訓練機会等がパックで与えられている。今後、村でマオイストの宣伝員として活動する者、もう政治に関わらずに母親の手伝いをしたいと言う者、各人に大きな傷を負っているのではないだろうか。
和平プロセスの大きな鍵となっていた、マオイスト軍と、ネパール国軍の統合問題も、解決の方向で動きはじめたと期待した途端に、またバンダリ国防大臣が、せっかくの和平プロセスをぶち壊すような厚狭な暴言を吐いた。「やっぱり、女は・・・」といわれそう。
マオイストに対する国民の信頼と期待が急速に失われてきているが、それでもマオイストを入れない政治は成り立たない。マオイストが以前ほど強気で、バンダを強行できないのは、その辺を察しているのだろう。
(10)C.P.ガジュレルは国際集金人(?)
2月に、またC.P.ガジュレルが来日する。すでに3回目である。オフィシャルな招待ではなく、日本在住のマオイストが身元引受人となって、個人的に招いてくれるのだ。彼は、まだテロリスト・リストから外されていないので、アメリカへは入国できないし、日本のイミグレーションでも、一応「別室へどうぞ」と、言われることになる。だから、来日予定を立てたら、早速、日本大使館でビザ申請をしないと、今日申請して、明日ビザが出ると云うわけには行かない人物なのだ。彼は、必ず東京と大阪へ行き、名古屋へ寄る。いつの間にか、日本は、マオイストにとって、安全かつ大きな資金源になっているのかもしれない。
そういえば、昔、UMLの有名な人権活動家で日本人の研究者層にファンが多い有名なR.T.氏が、健康チェックで明日日本に行くから、今日ビザを出せと偉そうに日本大使館へやってきた事があった。ダサイン休暇中は、どこの大使館もビザの発行はしない。館員も海外へでたり、国内旅行に出て不在者が多く、留守番職員しか居なかった。今日中には手配できないと説明すると、大使館の庭で、大声で罵倒しはじめた。しばし眺めていたが、「こんな人が、有名な人権活動家だったのか」と、驚き、あきれたことを思い出す。
(11)マオイスト支持の中身
TAXIの運転手さんに、「最近は、どう?」と聞くと、選挙前は興奮して、「こんどこそ、俺達のことがわかってくれる政府になる。なに、王様なんていらない!」と、まるで、プラチャンダになったかのように大声で話す人が多かった。そして「良い国にするって言ってんだから、1度やらせてみよう。他政党は口先だけで、どれもダメだったから」と、選挙を楽しみにしていた。選挙でマオイストが大勝した際は、鬼の首をとったように、「これから、俺達の時代が来るぞ」と、喜んで居た。1990年民主化の総選挙後に、中産階層の人々が期待した喜びの言葉と、同じようだった。
しかし、しばらくすると、「まあ、しばらく様子をみましょう」と、トーンダウンしてきた。昨今は、誰も意見を言わなくなった。「やっぱり、ダメだねぇ」「期待していたんだけどねぇ」と、楽天的に残念を口にだす人もいない。運転手のみならず、よほどの身内で無い限り、その話題はタブーなのだ。誰も口を硬く閉ざしてしまう。
現在、マオイスト支持者の半分は、「報復が怖いからYESというしかない人々」だという。マオイストを批判した女性ジャーナリストが崖から突き落とされた。12月のバンダの際も、FNCCIの会長の工場が爆破された。マオイストは武器を持った政党だ。あらゆる職場に、親戚にマオイストの目が光っているように感じる監視社会である。楽天的なネパール人たちに見えるが、実は「コワイ」と言う。海外留学や出稼ぎに行った娘や息子に「帰ってくるな」と言う。外国に居れば安全だと。でも、そうでもない。日本にいる女子留学生が、「なぜ、私の携帯番号を知っているのかわからないけれど、しょっちゅう電話でマオイスト集会へ、しつこく誘うの。断ると、なぜ出ないのかと声を荒げる。」と、話していた。それって、民主主義社会じゃないでしょ。
4.経済情報
(1)外国為替No Commission
タメルには両替屋がたくさんあるが、どこも「No Commission(手数料無料)」と書いてある。でもね、1月
4日の新聞に掲載された為替レートは10円=8.06Rsで、つまり、1Rs=1.24円だった。ところが、タメルの両替屋レートは、どこも10円=7.64Rs。つまり、1円=1.30円だった。どこが、No Commissionなのよ!ちゃ~んと、4.6%の手数料を取っているじゃない!
そんな時は、お店で買い物をして、直接「円払いでいい?」と聞くと、店員は新聞を見て、10円=8.06円で計算してくれるのです。僅かと言えば僅かだけど、フェアな気分になるでしょ?まぁ、その分、価格に盛り込まれているって言われれば、それまでだけど、商売は気分だから。
(2)ユニクロ出店待望論
ヒートテックの下着(990~1500円)は薄くて温かい。また、270gのダウンジャケット(5000円)は軽くて、温かくて、小さくたためる便利さで、旅行の必携品だ。
昨年、ユニクロが、バングラデシュに進出することが決まった。中国の2社に加え、バングラデシュ企業1社と共同で、バングラデシュで衣料品の製造工場を運営する合弁会社を設立する。そのため、昨年9月に駐在事務所を開設した。近々インドにも進出し、メイド・イン・インディアで、生産される可能性があると、プレスリリースした。ユニクロがSAARC域内に進出したことは、ネパールにとって関税の面からも朗報である。
賃金が安く、ノクシカタ刺繍の上手な器用な女性労働者がたくさん居る。彼女達はムスリムなので、外出する事が難しいが、大半が女性の労働者なら、働くことが出来るだろう。インドが牽引する南アジアの経済成長は目覚しく、GDP成長率はインド7.6%を筆頭に、スリランカ、バングラデシュも5%程度に上がっている。ネパールは3.2%だが、日本のマイナス成長に較べれば、羨ましいほどだ。
ところで、ネパールの住居は、家の中がとても寒い。冬の陽射しを室内に取り入れるような設計になっていない。さらに、建築ブームで、見てくればかり良いコンクリート住宅や大理石住宅が増え、人々は室内で、沢山の衣類を着たり、ショールや薄手の布団のような布を巻いている。特に、一日中家に居る女性が住み易い造りになっていない。台所は土間やコンクリートで冷たく、多くの女性が腰の冷えに悩んでいる。最近でこそ、サリーの下にタイツを穿き、パンツスタイルも増えてきたが、それでも冷える。ヒートテックは、そんな女性たちや老人にとって、ひとつの朗報となるであろう。
法律は、女性の権利を高らかに謳っている。しかし、依然として男性優位のネパールでは、女性が生活の場でどのようなことを望んでいるのか、何に苦労しているのか、考えてみようともしない。これからのビジネスは、女性に焦点を当てれば、儲かる。
(3)花王さんも、カトマンズに出店してください!
ネパールの人々は、強烈な香が好きだ。中世のフランスのように、悪臭を消すためであろうが、何事にも強烈な臭いがする。開店早々の店に入ると、ブ太っといお線香の煙がもうもうとたちこめ、狸でなくとも燻ぶされて尻尾を出しそうになる。香は苦手だ。
それで、私は資生堂より無香料の花王のほうが好きというわけ。香が強く、DFでも名の通った資生堂のほうがブランド大好き中産階層に好まれること確実なのだが、残念ながら資生堂は平成18年に生理用品事業をユニチャームに譲渡してしまった。だから、化粧品と生理用品の両方を扱っている花王に進出して欲しい。ユニチャームは、ベトナムに既に工場を建設し、インドにも計画している。しかし、人口の半分の女性を対象に使い捨ての環境に優しくない生理用ナプキンを、処理施設も無い国に販売するのは、「エコ先進国(?)」の方針に反しないか?
途上国なら、何でもありなんて、アメリカの農薬販売のようなことを言わないで!今まで使っていた布ナプキンを、可愛く上手に使うようにさせたい。そのためにも、生理用ショーツは普及させたい。女性の社会進出には生理の煩わしさを軽減する必要があるのだが、男性にはわからないだろうけど、察することはできるでしょ?また、確実な避妊によって、女性が自分の体をコントロールできるようにする様々なグッズの恩恵も、ネパール女性に知らせたい。それに、冬、暖房器の無い室内で震えている女性に温かくてファッショナブルな下着を提供したい。そんなショップを開く方、いないかしら?
自分で開けば?そうしたいけど、先立つものが・・・・
(4)銀行家とダイヤ
ネパールで多すぎるものは、新聞と銀行。
【国立中央銀行】Nepal Rastra Bank
【商業銀行】①Rastriya Banijya Bank、②Nepal Bank Limited、③Standard Charter Bank、④Nepal Bangladesh Bank、⑤Himalayan Bank Ltd、⑥Bank of Kathmandu、⑦Nabil Bank、⑧Kumari Bank、⑨Nepal SBI Bank、⑩Siddartha Bank Ltd、⑪Everest Bank Ltd、⑫Nepal Investment Bank Ltd、⑬Nepal Credit and Commerce Bank Ltd、⑭Lumbini Bank Ltd、⑮Laxmi Bank Ltd、⑯Nepal Industrial and Commercial Bank Ltd(NIC)、⑰Global Bank Ltd、⑱Sunrise Bank Ltd、⑲Machhapuchhre Bank Ltd、⑳Agriculture Development Bank Ltd、○21Citizens Bank international Ltd、○22NMB Bank Ltd ○23Prime commercial Bank Ltd、○24Bank of Asia Nepal Ltd、○25Development Credit Bank Ltd、○26KIST Bank Limited、etc.
【開発銀行】
【協同組合銀行】
ネパールへ行くたびに、新しい銀行ができている。タライへ行くと、地域限定の銀行がたくさんある。学生たちは、昔は「ドクターかエンジニア」になりたいと言ったが、今は「国連か銀行かINGOに勤めたい」という。つまり、商業銀行は儲かる、美味しい職業なのだ。
ちなみに、係長レベルで、月給50万Rs(約65万円)くらいだそうだ(学校の正規教員が8000Rs(1万円)くらい)。ネパールの最大手銀行の頭取は、月給300万Rs(約400万円)で、自宅の水道代、電気代、電話代、ガス代、ガソリン代、雇用費用、パーティー経費・・・etc.全て会社経費として銀行に払わせているそうだ。彼の趣味は「世界一高価な時計を蒐めること」なのですって。おそらく、生活費を1Rsたりとも自分で払ったことは無いだろうと、友人の銀行家が教えてくれた(日本だと特別背任罪って云うのだけど)。
その次に大手の銀行の頭取は、月給220万Rs(約300万円)で、首相と同じくらいだそうです。その友人だって、奥様は7.9カラットのダイヤの指輪をなさっていて、億円はするそうですよ。
ちなみに、国立銀行の月給は十分の一くらいだそうです。
(5)カトマンズの中国建設会社
数年前まで、建設現場の足場は竹で組まれていて、チョ-怖そうな風景だった。香港の高層ビル建設現場も竹の足場だったので、「アジア文化だなぁ」と、ほのぼのしたものだ。ところが、気がついたらカトマンズの街中の建設現場の足場は、鉄パイプになっている。それは、地元建設会社でなく、すべて中国の建設会社だという。
中国は道路、ダム建設、国際会議場はじめ、たくさんのODAを行い、その労働者は全員中国から連れてくる。つまり、ネパールには建設による雇用機会や経済効果を与えない。さらに、プロジェクト終了後は、労働者をネパールにおいて行く。彼らは、ネパールの企業と合弁で会社をつくり、ネパールに定着して行く。そんなわけで、カトマンズの中心街スンダラからトリプリショールにかけて、大きなチャイナタウンが出来上がった。カトマンズ市教育局の隣は、たしか、奥の方に女性省関係の庁舎があったはずだが、中国博品館になり、現在は、大通りに面した一等地に、巨大なショッピングモールの工事中だ。その隣のビンセン・タワー周辺は中国製品の露天商が道路の両側や歩道橋の上にシートを並べ、歩けないほどの混雑。「ティンタ ノッベ、ティンタ ノッベ!(3つで90Rs)」「デュイソサッタリ、デュイソサッタリ!(270Rs 270Rs!)」と、夕方になるにつれて御徒町のアメ横のような呼び声が高くなる。
タメルのホテルもレストランも、中国語が増えた。旅行客が前年比68.4%増だ。ネパール人に対して偉そうな態度を取るインド人への反発もあって、概ねカトマンズの人々は、中国人に対して好意的だ。
(6)中国の狙いはヒマラヤの水源
中国とネパールを繋ぐ道路建設が活発化している。すでに、ジリ⇒チベット、コダリ⇒チベット道路からは大型トラックが毎日安い生活物資を大量に運んできている。加えて、ラサ⇒カトマンズ道路が急ピッチで建設されている。今年になって、中国政府はチベット⇒ローマンタン⇒ツクサン⇒ポカラ、チベット⇒ドゥンチェ⇒トリスリ⇒カトマンズの3つの道路建設を発表した。合計5本の舗装道路がチベットとカトマンズを結ぶことになる。注目は、矢印の方向で、チベット⇒カトマンズの一方通行であって、カトマンズ⇒チベットではない、ということだ。
ビレンドラ国王の戴冠に合わせて中国が建設したコダリ道路は、「チベットから半日で戦車がカトマンズに入れる」ことを理由に、インドが道路幅の拡大と直線に大反対した。しかし、今や、インドは何も言わないし、言ったところで中国は気にしないほど巨大な力を持っている。すでに、ネパールは中国の経済圏にあり、インドと中国のクッションという役割は不必要になった。中国が目差しているのは、ネパールではなく、北インド経済圏であり、世界の半分を中国経済圏にすることだろう。
「チベットは清皇帝に対して朝貢をしていた。属国であったのだ。だから、歴史的にチベットは中国の固有の領土である」と中国は主張している。その論理を適用すれば、「4世紀から9世紀のリッチャビ王朝は、チベット皇帝に対して朝貢し、アンシュバルマ王は娘ブリクティをチベット皇帝に嫁がせた。だから、歴史的にネパールはチベットの属国であった、そのチベットは清朝の属国であったから、ネパールは中国の領土である」という三段論法が成り立たないとも限らない。
中国が欲しいのは、ヒマラヤの水である。ネパールを手に入れることより、ヒマラヤの水源を中国領にすることが重要なのだ。すでに、エヴェレストは、毛沢東時代に両国の国境ということに決めた。50年後には世界中で水の争奪戦が想定されている。ヒマラヤの水源を手に入れることで、同時にインドを干上がらせ、中国に屈服させることができる。ネパール国内の水利権は50%をインドが握っている。さらに、ヒマラヤの河川は、ほとんどがガンジス川へ流れこみ、北インドの数億の人々を潤している。
古来、水を治める事は、国を治めることを意味した。中国の遠謀術数を、日本の政治家は読めていないだろう。「奈良時代、遣唐使が朝貢していたのだから、日本は歴史的に中国の領土」と、明日は我が身か?
(7)人材派遣協定の虚々実々 part 1.
2003年12月3日に、ネパール・日本研修生協定が、ネパール労働省と独立行政法人国際研修協力機構(JITCO)との間で調印された。それに対して砂糖に群がる蟻のように、ネパール人材派遣業者が押し寄せた。一攫千金・大もうけできると思ったのだ。しかし、この制度の窓口となるFNCCI(ネパール商工会議所連盟)は、日本語や日本事情に関する事前研修を業者が行わねばならない、どうみても採算が取れないと消極的だった。一旦、群がった蟻も、サーッと、波のように引いてしまった。
それから5年。タマン大使は、何とかその制度を実現しようと、ネパール労働省やFNCCIに働きかけた。ネパールは19世紀から海外出稼ぎ労働者の送金が、経済を支えてきた国だ。出稼ぎが若者の一つのライフスタイル化したとさえ言える。だから、安定した出稼ぎ先を確保するのは、大使の重要な役割とも言える。
ちょうど、ネパールで、ドバイもマレーシアも韓国も海外労働市場が冷めてきたタイミングで、日本の研修制度が再浮上し、2009年10月24日~28日にネパールの労働大臣、労働省事務次官、課長が来日してJITCOやJICA、日本政府と会談をした。噂は千里をかける。斡旋業者の登録は172業者になった。
一時、日本経済低迷で、カトマンズにある80校の日本語学校は、経営が苦しくなった。同様に、日本の日本語学校業者も、中国人の入国が厳しくなった影響で、誰でも良いから、外国人研修生を獲得したかった。両者利害が一致し、日本語学校は、3ヶ月コースを設置した。トリブバン大学のビサバサ語学キャンパスだけは2年コースで、出稼ぎ専用コースは設けていない。日本語学校は、この3ヶ月出稼ぎコースの受講生が日本大使館からビザを発給してもらうと、20万~50万Rsの「成功報酬」を受け取る。これが、最も効率の良い収入源である。
さて、2010年2月初めにJITCO職員がネパールを訪問することになり、FNCCIとネパール政府は、ネパール国内での事前研修内容を決めた。
①ネパール国内での研修:日本語=読み書き60日(90時間) 、会話60日(90時間),専門用語6時間(3日)
日本文化=30時間(10日)、日本の食事30時間(10日)。 受講料7000Rs
②日本国内での研修:職業研修1ヶ月
これで、研修先の企業と、コミュニケーションが取れるだろうか?
(8)人材派遣協定の虚々実々 part 2
怪しいのは、ネパール側だけではない。昨年12月に、日本で研修生斡旋をしているNPO法人代表に会った。彼は、1人のネパール人青年を日本の農家で研修させるため、非常に熱心に農家にアプローチしていた。なぜ、そんなに熱心なのか、腑に落ちなかったのだが、農家の方の説明で理解できた。
日本の農家は高齢化し、若い人手が無いので、「最低賃金月額7万円」で人が雇えるなら安いと関心を示す。その中から、食費や寮費が差し引かれるが、本国では2万円程度しか稼げない外国人労働者からは文句が出ない。しかも、早朝から夜までの長時間労働が黙認されている。
ところが、聞いてビックリ。同額の7万円を、そのNPOにも支払わねばならないのだという。つまり、月額
14万円ということになる。それでも、日本人を雇うよりは安いだろうとNPOは言う。
しかし、農家の方は、「工場の低賃金労働者とは違う。家では、ちゃんとした農業研修をやりたいのだ。それに、月額14万円の負担は、昨今の不況で不可能だ」と言う。すると、NPO役員氏は、「研修ビザは2年間で、1年延長ができる。3年間のビザが出て、この賃金で雇えるのは、この制度だけですよ」と、高圧的だった。このNPOには、元労働省のお役人が天下りしている。と、いうより、最初から「研修」という名の低賃金労働者斡旋を画策したのは、労働省なのだろう。そして、それを餌にしている大きな機構とNPOが、多くのお偉いさんの天下り先として確保されているという筋書きのようだ。
日本のすばらしい農業技術を学んで、ネパールの人々に伝えようとしている青年を、そんな制度の犠牲にしたくない。それにしても、そんな青年を「本当に研修させる」ためのビザは無いのかしら?
(9)またまた物価値上がり
昨年9月に、物価が軒並み30%値上がりした。公務員たちの給与が鰻登りに上昇し、それを基準にして、あらゆる料金が上がっていった。
労働者は、「これこれの学歴があるのだから、これだけの給与をくれて当然」と、まるで「権利」であるかのごとき論理がまかり通った。「学歴じゃなくて、どれだけ仕事ができるか、この会社にどれだけ貢献するかで評価する!」と、言っても、馬耳東風。ネパール社会では、通る論理ではない。
今年に入って、砂糖が払底した。売り惜しみで、店頭になくなってしまった。タライでバンダがあると、即刻ガソリンが上がり、LPガスが上がり、ガソリンスタンドに長蛇の列ができる。物価はそのまま下がらない。
電気なし、水なし、燃料なし、食品高騰・・・・・国民の「生きる」という基本的人権が蹂躙され、わけのわからない権利闘争に振り回されている。ネパール人は、なぜそこまで我慢しなければならないのか、それとも、あまり迷惑を感じていないのか、わけが分からない。
(10)これからの投資は、ワインと観光
財界人に聞いた。「どんな分野が、投資に向いているの?」「今後、政情が安定するので、ワインや観光が良いでしょう」。「水とか通信は、いかが?」「うーん、水は規模が大きすぎるし、コミュニティーレベルでは手間がかかりすぎる。ボランティアならいいけど、資金回収が難しい。通信は、既存の通信会社、例えばネパール・テレコムなどと組むしかないでしょう。よほど優れた技術を持っているというなら、その部分だけで参入ができるかもしれないけどね」。という、ご託宣でした。
5.日常茶飯事情報
(1)西洋歴
ネパールのカレンダーは太陽太陰暦といって、西洋暦の4月13日をネパール暦の正月として、1日だけ合わせている。ネパール暦の日にちの呼び方を「ガテ」といい、西洋暦は「ディン」という。ネパール暦は、日本の陰暦と同じように月の運行に合わせているので、行事日程は年によって半月近くずれてしまうが、日常生活は「ガテ」と「ディン」を併用して行なわれている。
南アジア的世俗国家になって以来、主要宗教の祝日、あるいは主要民族の正月を国家の休日とすることになった。バンダ+土曜日+ロサールなどという時には、3連休になって、いったいいつ働くんだろうかと、他人事ながら心配になる。
ネパールの多くの民族には、民族固有の暦があったのか無かったのか、分からないのだが、現在は、日常的にネパール暦と西洋暦を併用している。正月だけは民族ごとに異なるらしく、タマン族のロサール、グルン族のロサール、シェルパのロサールは別の日だ。 今のところ、西洋暦の12月25日のクリスマスは西洋暦で休日になるが、ダサインやティハールはネパール暦で休日になる。しかし、西洋暦の1月1日は休日ではない。新聞もメディアも西洋歴を併用しているのだから、日常生活にネパール歴を使ったとしても、1年の最初だけは4月13日でなく、1月1日にしてしまったほうが便利ではないだろうか?最近は、ビクラム暦といわれるネパール暦が、王制時代に定められた暦として、廃止を希望する声も上がっている。
(2)ナラヤンガート沸騰 バナナ・フェスティヴァル
ナラヤンガートは、土地ブームに沸いている。東西850kmのハイウェイ(牛も鶏もあるいているが)の、ちょうど真ん中にあたる交通の要所である。ここまでくれば、カトマンズまで、あと3-4時間の上り坂だ。タライで車のクラクションが最も賑やかな町だろう。
その町をゆったりと流れるナラヤニ川の川原で、毎年大きな祭りが開催される。観覧車が設えられ、舞台では踊りや音楽の演奏があったり、コメディアンが出てきたり。一方、巨大なトラクターや新車の展示、地元産のハチミツや薬草、苗木、射的などなど、実にたくさんの店がならぶ。熊手は無いけれど、日本の年末の酉の市のようだ。それに、よくもまぁ、というほど人が集まる。遠くの川原は臨時駐車場となり、3日間で、そうとうな儲けとなることだろう。
そのフェスティヴァルに、今年はバナナ組合が参加する。昨年、ナラヤンガートを訪ねた際に、バナナ組合のメンバーに「ただ、生バナナを売るだけじゃなくて、チョコ・バナナとか、バナナのフリッターとか、簡単な加工で女性たちの収入源にしなさい。バナナは捨てるところが無いのよ。バナナで一村一品運動をしたら」と、いくつかのアイディアを提案した。その後、バナナ組合で話し合い、今年からフェスティヴァルに参加することにしたそうだ。「日本のディディは、来てくれないだろうか?」と、私がカトマンズに居るとも知らずに、一週間前になって連絡が来た。残念ながら、帰国日の2日後から始まるので、ナイショにしておいた。それにしても、呼べば、日本から来てくれると、思っているところが、可愛いというか、何というか・・・
このフェスティヴァルを仕切っているのは、実は、マオイストのバーダルである。彼の選挙区なのだ。彼に話を通すことで、無事に行なえると、地元民は安堵していた。
ちなみに、ナラヤンガートは、海外在住ネパール人協会日本支部長、日ネ協会理事で、BB財団を設立し、有名な雑誌Timeにも掲載されたバワンバッタ氏の故郷だと、現地で聞かされました。
(3)スリ天国とツーリズム・ポリス
人口260万のカトマンズは、スリ天国ですって。もし、あなたがスリにあったら、どうします?
現場から電話をしても、警察は来てくれません。カトマンズ市警察(ハヌマンドカ)へ駆け込んでもダメ。地区警察(例えばニューロードならビサルバザール警察)へ行ってもダメ。警察は、助けてくれないところです。市民も、警察に絶対に関わりたくないから、証人にはなってくれません。
「ツーリズム・ポリス」へ行ってください。ラトナパークの傍にある、ブリクティ・マンダップへ行ってください。ビザを更新する際のイミグレーションや民族博物館、ツーリスト・ビューロー(NTB)の建物のあるところ、ビサバサ・キャンパスの向いにあります。そこで事故届けを出す。物品が盗まれたなら、その届け出証明書を出してもらい、保険会社に提出すれば、契約の範囲内で弁償してくれるでしょう。ただし、そう簡単には証明書を発行してくれません。財布、現金類は証明書をくれません。保険の対象外だからです。嘘をついているように言われます。保険会社と結託しているのかと怒鳴りたくなります。
だから、スリにはあわないように気をつけてくださいね。
(4)INGOは、格好良い肩書き
タマン大使は、大使になる前、国連関連組織の現地職員やアメリカのNGOの現地調査員をしていたそうです。「ランタン谷の調査のために1ヶ月間村中を歩き回ったこともあるから、ランタンの人々は自分を良く知っている。当時ホテル組合がなくて、高額な税金をとられていたのを、組合を作って、税金を安くする交渉をしてあげたりしました。ランタンへゆくなら、連絡してくれれば、手紙を書いてあげますよ」と、お話してくださったことがある。
日本では、NGOが民間のお遊びか胡散臭い団体として、就職対象になっていないし、社会的地位が認められていない。まして、大使が官僚や政治家、外務省のエリートではなく、民間の現地NGO職員だったなんてことは、あまり口外したくないキャリアと見做されるらしい。
ところが、今や、INGO職員は憧れの職業、エリートの証明なのである。若者は、そのためにロンドンやフィリピンの大学院へ留学し、開発専門家として世界を飛び回る日を夢見ている。JICAのエリートたちもしかり。Informal Sector Service Centre(INSEC 国際的な人権NGO)のように、職員をヘリコプターで僻地へ送迎するほどの資金力を持つ団体もあり、政府や国連と相互協力しながら活動しているし、エリート職員は、国連、政府、INGOと渡り歩く。バイタリティと豊富なフィールド経験こそ、外交官に必要な資質ということで、「INGO勤務」は、出世の登竜門になっている。
(5)ネパール批判はタブー?
12月31日に、ネパールのラジオ放送局で話をさせていただく機会があった。その中で、率直に、「カトマンズの住人は、ゴミ箱の中にくらしているようです。一人ひとりがゴミを捨てなければ、これほどまで汚れることはないはず」と、言ってしまった。観光を外貨収入源とするネパールでは、最悪の印象をあたえるからだ。
しかし、マズかった。やっぱり、長年ネパールになじんでいるから、つい本音を言ってしまったのだけれど、
「ネパールは、お釈迦様の生まれた国ですし、美しいヒマラヤの国ですから、本当にすばらしい国ですね」と、言わなければいけなかったのね、きっと。外交辞令を飛ばして、正直すぎると、嫌われるよね。
(6)カトマンズで一番マオイストが多い地域は、どこですか?
彼は、しばらく考えていたが、「Kapan」と答えた。
カトマンズ市街の東北に位置する。空港の滑走路の突端が北を向いているが、その先がボドナート、その北がKapanである。最近は、新興住宅と大きな仏教僧院が建てられ、目の前にカトマンズ盆地を囲む丘陵地の一つシバプリ山地の傾斜が見える。
ボドナート付近は、チベット人、タマン族、タライから出稼ぎに来たムスリムが多く、起伏の多い地形の谷間には、細い道路に沿って家屋が密集している。「Kapan」と聞いて、2007年4月革命の9日間、リングロードのマハラジガンジ交差点の北方から、沢山の若者がカトマンズ市街へ向かって行進してきた写真を思い出した。
(7)ネパール人は豊かです
ネパール人も、バングラデシュ人も、「そこそこ食べてゆけるし、貧しくないよ」と言う。ポカラの学生寮に極西地域から来る学生たちは、毎年、新学期からしばらくの間、よく病気をする。その地方では、比較的豊かな家庭の娘さんたちなのに、痩せているし、基礎体力が無い。寄宿先に住む田舎から出てきた少年も、よく熱を出して虚弱だった。そこで、食事に気を付け、栄養剤を与えたら1-2年で丈夫な体ができてきた。「ダル・バート」という、ご飯と豆汁、野菜炒めの食事は、健康的な食事なのだが、ビタミンCなどが不足しがちで、栄養の偏りが起こるのではないかと考えられる。
まして、貧しい家では、米食を腹いっぱい食べられないこともあろう。しかし、長年ネパールと関わっているが、「餓死した」という話を、聞いたことが無い。国立のパシュパティナート老人ホームでさえ、山盛りのダル・バートを食べていた。家の周囲には、家族の食事を賄えるくらいの菜園がある。いよいよ困窮すれば、周囲の誰かが食べさせてくれるのが当然である。旅行や嗜好品は買えなくとも、働かないから食べられないという話は聞かない。
「ネパール人は、貧乏じゃないさ。国が貧乏なだけだよ」「国は、貧乏と言っておかなければ、外国援助を貰えなくなっちゃうだろう。自分で稼ぐより、貰ったほうが簡単。豊かな国は、援助して当然だろう?」という。
ちょうど、日本が「国は豊からしいけれど、個人は貧乏」というのと、対極にある。
じゃ、「ネパールの少女たちは、貧しくて学校へ行けないのです」と、涙ながらに訴える日本人は、何なのだろう?ネパールの「絵に書いたような貧しさ」は、わざわざ探してこないと、お目にかかれない時代になったのだろうか?それならそれで、好ましいことではないか。仕事は無くても「食べられる」ことが先決だから。
(8)マオイスト支持の中身
TAXIの運転手さんに、「マオイストは、どう?」と聞くと、選挙前は興奮して、「こんどこそ、俺達のことがわかってくれる政府にはる。なに、王様なんていらない!」と、まるで、プラチャンダになったかのように話す人が多かった。そして「まあ、良い国にするって言ってんだから、1度やらせてみよう。他政党は口先だけで、どれもダメだったから」と、選挙を楽しみにしていた。選挙後は、鬼の首をとったように、喜んで居た。しかし、しばらくすると、「まあ、しばらく様子をみましょう」と、トーンダウンしてきた。昨今は、誰も意見を言わなくなった。「やっぱり、ダメだねぇ」「期待していたんだけどねぇ」と、楽天的に残念を口にだす人はいない。運転手のみならず、よほどの身内で無い限り、その話題はタブーなのだ。誰も口を硬く閉ざしてしまう。
現在、マオイスト支持者の半分は、「報復が怖いからYESというしかない人々」だという。マオイストを批判した女性ジャーナリストが崖から突き落とされた。12月のバンダの際も、FNCCIの会長の工場が爆破された。マオイストは武器を持った政党だ。あらゆる職場に、親戚にマオイストの目が光っているように感じる監視社会である。楽天的なネパール人たちに見えるが、実は「コワイ」と言う。しかし、それは、民主主義ではない。民主主義のルール違反をしたのでは、自らの首を絞めるようなものだ。既にマオイストは民意を掌握できなくなってきていることが、「無期限バンダ回避」で証明されたと言えよう。
6.都市事情
(1)タメルのデラシネたち
午後11時ころ、タメルには電気が煌々と灯り、どこから湧いてくるのか、若者達が集ってくる。午後11時に客層が入れ替わる、新宿歌舞伎町のようだ。ダンス・バーや、女の子のいるお店など、歌舞伎町ほど華やかではないけれど、タパタリのような場末でオジサン向けにお姉さんが肌をチラリと出す小料理屋とは違う。 なんと言うことも無く、毎晩同じ顔が集り、しゃべり、食べ、歌い、踊り・・・・1年でも2年でも、そうした毎日を送っている。1970年代のヒッピーのように、薄汚い、独特の格好もせず、反体制というわけでもない。ATMへ行けば、お金に困らない。タメルにとっては、良いお客さんたちだ。
海外へ渡った家族と離れて、一人でネパールに舞い戻った若者。海外で教育を受け、英語は堪能だが、どこへ行ってもデラシネ(根無し草)。ディアスポラ(捕囚、離散家族)のように、被害者あるいは陰惨なイメージはないが、明るいともいえない。国籍はネパールだったり、アメリカだったりするが、どこの社会にも自分の落ち着ける場所を見出せないし、苦労して自らの場をつくろうともしない若者たちである。私は誰?
海外出稼ぎブーム、中産階層の留学志向の結果、海外で生まれた子ども達は、ネパール語も民族語も中途半端で、読み書きはできない。両親の出身村へ行った事もないし、興味も無い。ハンバーガーとコカコーラ、KFCで育ち、行きたいと思えば、海外の有名大学だって行ける暮らし。両親が住む海外の家とネパールを、気が向いたときに行き来できる。だが、どの社会でも当事者になろうとしない若者は、匿名のアウトサイダーという存在に逃げ込み、誰からも強制されるのを嫌う。
海外に出ることを「成功」と評価するネパール社会の落とし子なのか、一種の犠牲者というべきなのか。深夜3時ごろになると、散ってゆく。そんな中に、日本の若者の顔もチラホラ見られる。
(2)ストリートチルドレン
「ストリートチルドレン(被雇用者ではない)」と「児童労働(雇用関係がある)」の定義が団体によってブレがあり、その境は「時々児童労働」という者も含めて、かなりオーバーラップしているように思う。夏の間にストリートチルドレンの調査をしていたので、今回も気になって、街の様子を見た。①夏に比べ、圧倒的に人数が少ない。②10歳以下の年少者がいない。③女の子がいない。④母親の物乞いはいるが、赤ん坊を抱えていない、⑤赤信号で停止している車に新聞を売る子がいなくなった、という違いがあった。
カトマンズの冬は冷えるから、家へ帰ったのだろうか、どこかの施設に身を寄せているのだろうか、気がかりだった。男の子は路上の陽だまりで眠っていたり、18歳くらいになってもウロウロしているが、女の子は、父親らしき大人と廃品回収をしていたのを見ただけで、ストリートには見かけなかった。
こうした、季節変動は、当然あり得ることだが、統計には現れていない。カトマンズ市役所にも、ストリートチルドレンの担当部局(社会福祉課)があるのだけれど、実際にどのような仕事をしているのだろうか。
7.教育事情
(1)2009年度SLC
2009年春に、ゴルカ王朝の終焉にともない、ラナ時代から続いてきたSLC制度は2009年で終了すると聞いた。では、今後どうするのか、はっきりとしたアナウンスが無い。各開発地域ごと、あるいは各郡で、独自に、同様のSLCを行なうという噂もあった。しかし、地方自治体が機能していない状態では、各郡で実施することは不可能である。ところが、今年も、SLCの合否通知がポカラの学生選考委員会に届いた。
(2)School Sector Reform Plan (SSRP)
2009年8月に、教育省は、128頁に及ぶ新しい教育プランを発表した。SSRPlan(教育分野再建計画)と名づけられ、教育予算を大幅に増やし(大半が教員給与)、2009-2014年にかけての5ヵ年計画である。この計画は、以前の「教育5カ年計画」の後継であり、継続中のEducation for All (EFA 万人のための教育)、Secondary Education Support Programme (SESP 中等教育支援計画)、Community School Support Programme (CSSP コミュニティー学校支援計画)、Teacher Education Project (TEP) 教員教育プロジェクトが含まれている。
こちらを参照してください⇒ http://moe.gov.np/new/
EFAにおいては、ネパールを含む南西アジアの進展はすばらしい。2015年までに、全ての学齢児童を中等教育は少し無理かもしれないが、初等教育に就かせるという目標は、達成できるであろう。その背後には、社会の経済的成長が不可欠である。南アジアは、長いことアフリカのサハラ以南と同様に貧困率、非識字率、安全な飲料水普及率など、人間の基本的な生活条件が満たされない状態から脱却できなかったが、ここ数年は、インドのGDP成長率7.9%を筆頭に、ネパールでさえ3.4%の伸びを示している。こうした経済的余裕が、教育の普及に如実に現れている。現代の親たちは、子どもを学校に行かせたくないのではない。むしろ、両親達自身、学校へ行かれなかったことを劣等感に思い、ある時は言い訳にしている。
既に、今後の教育政策の中にもあるように、教師の訓練を含めて、「教育の質」が問われてくる。その次の段階で、教育設備ということになるだろう。
自分の村を見ていても、初期には「校舎を建てる」というハード援助は、それなりに村人に大きなインパクトを与える。しかし、その後に、「やってあげる」「やってもらう」ではなく、自分達でやれるように仕向けるソフト援助が必要であり、援助の成否は、フォローアップ次第である。もう、ネパールの人々は、自分でやってゆけるだけの経済力をつけている。ある面、日本より豊かかもしれない。しかし、「貰う」習慣を脱却するには、村に説得力のあるモティベーターがいなければならない。従来の、仲介業で豊かになるファミリーNGOではなく、村の将来を見据えてリーダーになろうとする人材を発掘すること、育てることも重要な援助であろう。
インドのように、10年後に、どれだけの留学生がネパールに帰ってきて企業家、教育家になってくれるだろうか、楽しみでもあり、不安でもある。
(3)奨学生・里親
日本からの援助は、「子どもの教育」「女性」「環境」「医療」は向けられることが多く、中でも「女性」は「教育」「人権(売春、DVD)」「経済的自立」が主要テーマとなり、「子ども」は「就学」「ストリートチルドレン」「児童労働」がテーマとなっている。いずれも、国連関係機関で取り上げられているテーマであり、局地的に対処できる側面が多い。ただ、ほとんどのNGOは、現地に住み込みで活動することはできないので、ネパール人を介して資金援助をする形をとることになる。
そうした中で、就学促進するための奨学金制度、一人ひとりの子どもの成長を見守る里親制度を採る団体が多い。それは、子どもの成長を見られる、資金提供側へも喜びを与えることもできるからであろう。
だが、奨学金を、いったい幾らにしたら良いのか、何年間にしたらよいのか、その後の効果はどうなのかなど、体験報告と、効果の分析が団体外部に知らされることは、殆ど無いので、試行錯誤、手探りではじめることが多い。そこで、3つの事例を挙げておこう。
①女性教師育成プロジェクトである。都市から離れている地域で、女性教師のなり手が少ない。女性の教師がいれば、親は安心して女生徒を学校に送り出せる。などに理由から、戦争前の日本で行われた「師範学校制度」を模し、遠隔地で教師希望者を募り、全寮制、費用支給制の女性教師を年間10人育成する。キャンパスの中に学寮を建て、寮母の指導のもとで、衣食住完備の恵まれた寮生活をおくっている。キャンパス(短大レベル)の教育学部で2年間の教育を受けている間は、月額3000Rsの奨学金が与えられる。また、卒業後3年間教師として働く義務があり、その間は月額5500Rsの助成金が支給される(違反者は全額返却する)。これでも、キャンパス・チーフは卒業後の支給額が少ないと常に増額を要求してくる。学生は、要求した支給額が受け入れられなければ、受け取りサインをしないと、団体交渉になったことがある。一方、各地の小学校で働いている卒業生は、村雇いの臨時教員(1500Rs程度)より、遥かに良い収入を得て、誇りをもち、懸命に働いている。毎年フォローアップ研修会を開き、現地訪問を重ね、彼女等が政府の正規の教員として1日もはやく資格を得て自立することを目ざしている。もし、結婚・出産・引越しなどで、故郷で働けなくなったとしても、地域の女性リーダーとして活躍してくれることを願い、当初より、10年間のみのプロジェクトと期間を限定しているが、日本人好みの「絵になる」プロジェクトで、資金の申し出が多い。
②女性の自立支援のため、職業訓練所建設のプロジェクトであった。縫製用のミシンを買い、縫い物をはじめたが、市場で売れるレベルのものではない。その内、地域の女の子の教育支援にプロジェクトが拡大し、里親制度を始めた。当初は、奨学金の効果もあり、現在では小学校へ行かせない家庭が無いほどになった。ところが、いつの間にかNGOを始めた人は有名人となり、家族・親戚の一族経営事業になってしまった。資金は潤沢であるが、最初に期限を限っていたわけではなく、支援側は高齢化してきた。これから先、どうしようかと悩んでいる。
③校舎増建築支援プロジェクトだった。その建設資材の節約によって、中学を卒業したけれど、その先に行けない子ども達に、小規模の奨学金を始めた。村の必要性から生まれてきたアイディアで、1人3ヶ月で800Rs年額3200Rs(約6000円)だが、教育の補助になっている。①にくらべ、十分の一弱の金額だが、先輩が後輩の学習指導をし、被抑圧民族の村ではじめての女性教師が誕生したなど、村民全体の意識改革になった。奨学生が村のリーダー青年の役割を果たしており、村の子ども達は、ほぼ全員が小学校・中学校へ行くようになった。自発的に同窓会が組織され、ITの指導など助け合いが行なわれている。次は、経済的自立方策を彼ら自身で考え、次世代を育てようとしている。地域的まとまりがあるので、互いに連携が取り易いのも利点となっている。NPOは、過干渉せず、相談役に徹し、彼らの自主的な活動を、最小限に手伝う程度である。日本側からは、年間10~20万円程度の支援であり、無理の無い範囲で行っている。
8.海外移住・労働事情
(1)ネパール人が、今どこへ出稼ぎにゆこうとしているかを見れば、世界経済の動向がわかる。外労働者数
は人口(2900万人)の10%に及ぶと聞いたが、インドには、ビザが不要なだけに、1200万人レベルの出
稼ぎ労働者が行っているという。ネパール人にとってインドは外国という感覚がないから、村からカトマンズ
へ出稼ぎに行くのと大差ない。農閑期には、村の男性が集団で毎年インドの同じ地域へ麦刈りに行くという
場合もあるし、ダーラヴィーのようなスラムを仮宿にして働く、あるいは夜警として働くなど、さまざまだが、定
着してしまう人も少なくないのだろう。日本向けには、日本語学校熱がさがり、コック ビザで入国する人、そ
の後、「妻です」という女性たちが次々と入国する。
2008年度末の新規出稼ぎ出国者数は、22万9千人で、在外出稼ぎ労働者の10%程度が新規労働者として出てゆくのであろうか。年間送金額は1480億8800万Rs、GDPに占める送金額率は17.4%。観光収入110億Rs(名目)、55億Rs(実質)だった。2008/09の国家予算は2361,5億 Rs。
数字に弱いから、単位が違っているかな?
http://www.np.emb-japan.go.jp/jp/pdf/nepaleco2009.pdf
9.住宅事情
(1)中産階層の住宅購入ブーム
カトマンズは建設ブームで、行くたびに大型のショッピングモールが建ちアパートはどんどん高層になって行く。5年前くらいは、バロアタール、パニポカリ、カランキ、ボドナートなど市内に高級マンションができ、完成前に完売し、投機対象物件として、1ヶ月ごと価格が上がっていた。現在は市内に大きな土地を入手できなくなり、コロニーと呼ばれる50戸~100戸規模のセキュリティー完備の郊外型高級分譲住宅をCivil Homes(I.R.Tamang)、Valley Homes(Suraj Joshi)等が建設販売している。コカナ、ゴカルナなど、カトマンズから車で30分~1時間の穏やかな田園に、突如としてコロニーが出現している。中には、水道、電気、電話、排水設備、広い敷地内道路、駐車スペース、スーパー、スイミングプール、ATM、ジム、コミュニティーホール、パーティーホール、映画館を備えているコロニーもあるそうだ。
一般的には3階建だが、傾斜地の場合には地下2階、地上3階という造りもあり、3ベッドルーム、3バスルーム、リビング、ダイニング、キッチン、神室、屋上が標準的だ。日本のような“ウサギ小屋”ではない。街中の騒音、公害を避け、一定レベル以上の経済力を持った人々、社会的成功者のコミュニティーは快適かつ安全である。人工的に、ブラーマン、チェトリ、ネワールの富裕な中年層が安心して暮せる“国”が出現することになる。コロニー建設地のポイントは、「ヒマラヤが美しく見えるロケーション」いうのが面白いが、国の住宅建設計画の無策が、民間業者の買い漁り、買占めを可能にし、景観をズタズタに壊している。
(2)あなたは、住宅ローンを組めるか
Indreni Apartment (Deepak Man Scherchan)はBhatbhateniに、Ansal Chaudhary DevelopersはSanepaなどカトマンズ市内に超高級・高層マンションを建設しているが、完成前に価格が跳ね上がってゆく。半分は投資目的で、実際には住まないというが、人口の10~15%の中産階層の貪欲な購買意欲を、Standard Chartered銀行, Kumari銀行, Everest銀行, Laxmi銀行, Himalayan銀行、Kathmandu銀行は、年利7.5%~9%、15年毎月返済という住宅融資パックで支援している。もし、1000万Rsのローンで、毎月10万Rsの返済をするとして、金利7.5%なら、総額5,742万余Rs、9%なら総額8,553万Rsの返済額になる。
2007/08年度産業別GDP構成比率(Economic Survey 2007/08年版、MoF)を見ると、1位農林業(32.1%)、2位小売業13.6%、そして、第3位が不動産業9.9%である。いかに土地バブルであるかが分かるであろう。土地を持っている者が、土地を買い漁り、お金持ちしかローンは組めない。ますます貧乏人は土地を得られなくなる。1990年の民主化後、1992年の経済自由化以後、ますますその傾向が強まってきた。
せっかく法的に女性にも、兄弟同様の遺産相続権が認められたのに、土地を巡る遺産相続係争が増え続けている。皮肉なことだ。http://www.np.emb-japan.go.jp/jp/pdf/nepaleco2009.pdf
10.女性情報
(1)やるき満々:中間層主婦パワー
年末年始のカトマンズで、「縫い物講習会(雑巾と三角巾)」、「お料理講習会(コロッケと鶏のから揚げ)」、「フラワーアレンジメント講習会」を、中産階層のご婦人を対象に行なった。それぞれ、お車も持ち、邸宅に住み、お店の経営者もいる。侮る無かれ、このご婦人たちのパワーはすごい。1990年の民主化でサリーを着て、デモの先頭に立ったご婦人方とも違う、マオイストのデモに参加した若者とも違う、地に足が着いた女性たちだった。
「古いサリーやハンパな布を捨てないで、利用しましょう。古いタオルで、手を拭き、テーブルを拭き、子どもの鼻をかんでは、いけませんよ!自分でていねいに縫った布巾は、丁寧に扱いたくなるでしょう。用途ごとに布巾を使い分けましょう。台所は清潔が一番ですよ!」
「揚げ物は、やや低温で1度揚げ、蓋をして余熱を使って中まで熱を通すと、エネルギーの節約とともに、ジューシーになります。その間に、テーブルやサラダ、お皿を整えて食べる前に、やや高温でサット揚げて色づけをします・・・・」
「花は、花屋で買う必要はありません。庭の花をアレンジすることが、活花の基本です。花の扱い方と、基本形を覚えれば、難しくありません。女性とおなじように、花の個性を一番美しく見えるように、ちょっと手を添えるだけです。丼でも深皿でもよいのです」
まぁ、そんなわけで、年寄りの知恵を伝えただけですが、これが、大うけでした。フラワーアレンジメントは何回かやりましたが、食べ物が最も関心が高かったです。
その結果、「コロッケ1個とチキン2個にサラダで、100Rs」、「私たちの地区にも花屋を開こう」と、さっそくビジネスを開始するという。その素早さ、楽天的なエネルギーに感心してしまった!日本のように、保健所で検便をしなくちゃ、お餅つきもダメ。食品衛生法の届け出だ、ライセンスだなんて、面倒なものは無いから、明日からでも商売をはじめられる。女性たちは、そうした収入活動に、とても敏感で行動力がある。講習直後に、コロニーの中に、集会場を建て、そこで各種講習会ができるような設備を備えて欲しいと要望書をコロニーのオーナー建設業者に提出して、OKを得られたという。スバヤイ!
そこで、起業する場合のキーポイントとして、①仕入れの重要性(販売価格の中には、材料費、人件費、交通費、通信費、事務経費、電気光熱費、賃貸料等、広告費、接待費、様々な経費が含まれ、利益を何%だすか、しっかり計算すること)、②新鮮であること、③残り物(ロス)を出さない計画性と残り物の加工技術、④マンネリ化しないための勉強とマーケットリサーチ、⑤リーダーの責任と継続性などなど、基礎知識も話した。最後の、「リーダーの責任と継続性」が、最も難しいところなのだが、ご婦人たちは「やってみましょう。利益が出たら、みんなでピクニックに行きましょう!」と、何とも明るい。そう、1歩踏み出して、やってみる行動力が一番大切なこと。日本じゃ、できないもの。
この中産階層のご婦人たちが、カトマンズ人口260万人の15%あり、この階層を動かすことが、女性開発の最短路線であろう。上位階層は、今までの権益に固執するか、頭と口ばかりで仕事をする。底辺の人々は、抑圧された力を持っている。女性国会議員が33%を占め、21%がダリット出身というが、なかなか社会全体のコンセンサスを得てリーダーになるには時間がかかる。それに比べ、中間層の女性たちは、政治にこだわらず、社会に参加できることが楽しいし、自分たちの可能性を知ることが嬉しくてしょうがない。
革命も仕事も、深刻すぎては続かない。ネパール社会の真ん中は、すごいパワーを持っている。
(3)マオイストの女性政策(寡婦との結婚、ダリットとの結婚)
2009年7月に、マオイスト政府が打ち出した目玉政策で、寡婦とダリット(低カースト)と再婚する場合、カップルに5万ルピー(約6万円)と10万ルピー(12万円)の補助を与えるというもの。
一見、カースト打破、ダリット優遇、戦闘で寡婦になった女性の救済のように見えるが、WHRや、ダリットや寡婦の女性を含む女性人権団体からは、「疑問、懸念、チョット待て」の声がかかった。
①補助金目当ての結婚詐欺で、再度男の犠牲になる可能性が大きい。
②マオイストも、「女は結婚しなければ一人前の人間ではない」と考えているのか。
③結婚は個人の自由であり、お金で推進されるものではない。
④階層や民族の異なる結婚が、家族全体に与える影響、嫁の立場、子どもの処遇、夫婦の上下関係など、
DVや性的虐待につながる場合が少なくない。
⑤結婚することで女性の人権が補償されるとは限らない。かえって、差別が見えなくなる。
⑥結婚だけが、女性の幸せというより、ネパールでは辛いことのほうが多い。寡婦の経済的自立支援策を講じ選択肢を広げることが先ではないのか。
その後、ダリットや寡婦の結婚が進んだという話は聞こえてこない。このような単純な政策で女性が救われると考えることが悲しい。ネパールも日本も、男尊女卑は、DNAのように沁みこんだものなのだろうか。
(4)サリーと生理
昔、日本の女性は着物の下に腰巻をしたが、パンツははいていなかった。同様に、ネパールでも、サリーの下は、ペチコートだけだった。ジャプー(ネワールの農民階層)は、厚手の手織り木綿サリーの下は、ペチコートもつけない。そのまま農作業をしていた。では、生理の時、どうしていたのだろう?着物を着ていた日本人と、サリーまたは巻き布だったネパール人と、同じような過ごし方をしていたようだ。
日本の農村には、“月小屋”があった。生理中の3日間は不浄とされ、火、水、神に触れることを禁じられていたから、村外れの小屋で生理中の女性たちが集り、自炊していた。女性差別という見方もあるが、辛い嫁の仕事から解放される生理休暇であり、女の知恵を教えてもらう社会教育センターでもあった。
ネパールでは、「母親が使い古した木綿サリーを捨ててはいけない」という言葉がある。当て布(布ナプキン)は、使い古した木綿サリーを、1.2m(サリーの布幅)の正方形に裂き、無縫製のまま折りたたんで当てる(フランスでは、使い古したナプキンを使った)。以前は、全後をサリーに挟んだ(T字帯風)が、現在は普通のパンツが普及している(生理用パンツは販売されていない)ので、経血の量に応じて厚さをかえて使うが、工業製品のように薄手ではなく、1日に何回も替えることもない。都市部では既に生理用ナプキンが販売され、若者は使っているが、中年以上の女性は、まだまだ当て布を使っている。
日本の女性も、ネパールの女性も、昔は腰底筋が発達していて、経血を膣内に溜めておき、おしっこのように排泄することができたようだ。だから、たまに洩らすことがあった。着物の後ろが汚れたのを、「日の丸」と言って、女性としては恥だったそうだ。ただ、田舎の貧しい農家では、主婦が自分のために腰巻1枚買うお金を持たされなかったから、年に1度行商が回って来ると「お父(と)う(夫のこと)、腰巻1枚買ってけろよー」と、ねだっていたと、茨城に疎開した母の話しを聞いたことがある。
バフン・チェトリ、ネワールは、初潮の儀礼が複雑であり、ケガレを避けるため、生理中の女性は山羊の小屋など、家屋の外で過ごさねばならないし、所によっては、村の中心部へ入れないこともある。しかし、タルー族もタカリー族も、生理は自然のことであって、ケガレではない。初潮の際も特別な祝い事はしないとアンケートに書かれていた。また、女性自身が、他民族の慣習を知る機会が無いまま、自民族の慣習に従ってきたことを、驚いていた。
その内、まとめた本を書きたいと思っている。
(5)冬の漬物づくりと“マンシールコ パニ”
マンシール月(11月中旬~12月中旬)は、ダサインやティハールの大きな祭りが終わり、カトマンズがぐっと冷えてくる頃だ。このときに、各家庭ではガラスの瓶に自然の水(マンシールコ パニ)を入れて、2-3ヶ月ほど、屋上に置いておく。朝晩は5度くらいに冷えるが、昼間は20度以上に上がる。こうして作った水を、漬物水として使う。ミネラルウォーターでは、いけないのだそうだ。多分、水の中に適度な発酵菌が育つのだろう。これで漬けると、やわらかな酸味を帯びた漬物ができる。古漬けの味だ。これに、干し大根やグンドルックを戻して、マスタードシード、菜種油、唐辛子などを入れて密閉し、1週間ほど屋上に置いておくと、おいしいアチャールになる。同様に、材料を替えて、さまざまなアチャールをつくる。
ネパールも日本も、冬は漬物の季節。ネパールで白菜の塩漬けを作ってみた。日本の海の塩とヒマラヤの岩塩では塩味の効きかたが違う。岩塩のほうが甘いように感じた。
(6)グンドルック(乾燥野菜)
ネパールの台所からは、ナマゴミがほとんど出ない。全て乾燥野菜にして、様々な料理に利用しているのだ。大根の葉、カリフラワーやブロッコリーの茎や葉、カブの葉や高菜の黄ばんだ葉、そばの葉、菜の花の茎、葉など、どんな野菜でも良いのだが、繊維が強いほうが良い。枯れた葉も捨ててはいけない。これらを、生のうちに4-5cmに切り、できれば敲いて繊維をほぐしてから、シートに広げて、水を打って3-4日天日に干す。夜は取り込む。その内に少々酸味を帯びてくる。この段階で、チャーハンなどに入れると、抜群に美味しい。保存食だから、さらに乾かすと、干からびて黒い切り干し大根か、乾燥したゼンマイのようになる。山の人々にとっては、大切は冬の野菜になる。最近は、乾物屋さんでも売っているが、やはり主婦が自分でつくるものだろう。
ツクチェでは、人を雇って8月頃の蕎麦の葉を摘み、中庭に天日干しをしてグンドルック(乾燥野菜)をつくっていた。最近は、「タカリー・レストラン」がポカラ、カトマンズ、ムグリンなどに増え、スクティー(山羊、ヤクなどの干し肉=これも初冬につくる)とグンドルックのトロッとしたスープに、蕎麦掻きを入れたメニューは、体が温まり、冬のご馳走になる。
日本のスーパーや、八百屋では、たくさんの野菜が捨てられているし、家でもブロッコリーの芯を食べないのが普通だが、干して繊維を砕くことで、良い食物になる。便秘解消に最適ではないだろうか?マンションのベランダでもできるので、ぜひ、試してほしい。
日本でも、戦争前の家庭では、生ゴミを出すのは、主婦の恥だったと、母から聞いたことがある。
(7)ザボンの食べ方
「果物や野菜に、油をかけて食べる」・・・これは、日本の料理には無い手法。冬に不足がちのヴィタミンCとAを、上手に取る方法なのかもしれない。庭先のボガティ(ザボン)を取ってきて、身を取り出し、これに塩、胡椒、マサラを入れてよく混ぜる。そこへ菜種油を熱した中にメティ(フェネグリークシード)を黒く焦がしたものを、ジャーッと注ぎ入れる。かなりな量である。ヨーグルトを混ぜてもよろしい。砂糖を加えてもよろしい。冬のおやつを、家族で楽しむ(名前を忘れた)。ついでに、皮を湯がいて砂糖漬けなどつくっておくと、香も良くて、お菓子を造る際に使えるし、ヨーグルトと混ぜてもおいしい。ホットレモン・ハニーのようにして飲めば、咽喉に効く。
5cmに輪切りにした皮付き大根を、さらに櫛型に8等分する。塩を混ぜて、水出しをする。粗摺りの白
胡麻をつくり、キュッと搾った大根にまぶす。そこへ、菜種油を熱した中にジラ(クミンシード)を入れ、バチバチと爆ぜるほど熱してきたら、大根の上にジャッとかける。しばらく馴染ませておくと、ムラコ アチャールになる。
伊藤ゆき(会員)
http://www.nishida-s.com/ohmori-picture/ をご覧ください。
大森弘一郎(会員)
ネパール大使公邸で新年会が開催されました。参加者も多く、講演もあり,大いに盛り上がっていました。カメラは動画用のハードディスクムービーカメラしか持って行っていませんでした。携帯での写真も撮りました。いずれもWebに載せられるような写真ではないと思いますが一応お送りします。
![]() |
![]() |
| 新年会の様子 | 新年会の様子 |
![]() |
![]() |
| 新年会の様子 | 新年会の様子 |
![]() |
![]() |
| 新年会の様子 | 新年会の様子 |
![]() |
![]() |
| 新年会の様子 | 新年会の様子 |
![]() |
|
| 焼き鳥屋での三次会の様子 |
高田悦雄(非会員 獨協医大超音波センター教授)
2009年ダサインとティハールの様子
カトマンズ市在住のSheelasha Rajbhandari さんからダサインとティハールの写真を送っていただきました
![]() |
![]() |
| ダサイン:マハ・ナワミ(Maha Nawami) 生け贄をドゥルガ女神に捧げます。 | ダサイン:ヴィジャヤ・ダシャミ(Vijaya Dashami)年長者が、自分より年下の人の額にティカ(tika)をつけ祝福します。ゾウの黄色い芽をドゥルガ―女神の恵みとして髪に飾ります。 |
![]() |
![]() |
| ヴィジャヤ・ダシャミから4日間は親戚が来たり親戚を訪ねたりして大いに楽しみます。若者たちはやはり音楽です。 | ヴィジャヤ・ダシャミから4日間は親戚が来たり親戚を訪ねたりして大いに楽しみます。 |
![]() |
![]() |
| テハール:ククル・ティハール(Kukur Tihar)、犬にマーラー(花輪)をかけて食事を与えます。犬は信義に厚い動物と信じられています。 | ティハール:ラクシュミー・プジャ(Laxmi Puja)のマンダラ。 |
![]() |
|
| ティハール:バイ・ティカ(Bhai Tika)は、姉妹が兄弟にマーラー(花輪)をかけて、ティカ(額に付ける赤い印)をつけます。そして、ご馳走します |
写真提供 Sheelasha Rajbhandari (カトマンズ在住)
日本乳腺甲状腺超音波診断会議(JABTS)国際委員会のネパール派遣団動画活動報告
日本乳腺甲状腺超音波診断会議(JABTS)国際委員会はネパールにおける乳がんの早期発見・早期診断・早期治療の大切さを伝えるピンクリボン運動を展開し,
その活動報告です。
活動報告はこちらをご覧ください。http://apollon.dokkyomed.ac.jp/JABTS/kokusai/nepal-douga.html
高田悦雄(非会員 独協医科大学教授)
長野県中野市に本格的なネパールレストランがオープンしました。
10月10日長野県中野市岩船に本格的ネパールレストラン「ランタンリルン」がオープンしました。
オープンに先立ち、10月7日関係者(友人・親戚・支援者・工事関係者等)によるお披露目パーティーが行われ、オープンメニューに取り入れられる名コック料理の数々に、参加者全員の下を唸らせる大盛況のパーティーとなりました。
この程、念願のレストランをオープンしたのは、ビザヤ・カルキ氏(長野市在住)で、インド料理と混同されやすい、本格的「ネパール料理」を意識して、調理スタッフはすべてネパール人で、カルキ氏自ら故郷ネパールの「☆☆☆☆☆星・HOTEL」からヘッドハンティングして日本に招いた名コック「カトリ・ラム」氏です。匠の技は、全メニュー85種類のレパートリーを持ち、今後私たちに本格的ネパール料理を楽しませてくれること間違いなし!!
パーティー当日は、名コック・カトリ・ラム氏が看板メニューに腕をふるい、「モモ・チャウメン・カリー・・・・など」が並びました。カルキ氏からのお勧めメニューは、本場ネパールから空輸した香辛料と長野産の野菜を使用している「モモ」で、素材を生かした一押しと明言!
そのお味は、酷のあるジューシーな作品で、パーティー参加者の絶賛をあびておりました。また、カルキ氏のこだわりから更にうれしい料金設定に参加者も歓喜の声が・・・
一般的に料金設定が高いアジアンディナーで、本格的ネパールディナーセットが980円~楽しめ、さらにランチメニューは750円~と、おすすめです。
全国・県内のみなさま、ぜひドライブや温泉帰りに本格的なネパール料理をご堪能ください。
詳細は報告をご覧下さい。
報告 PDFファイル 233Kb
長野県長野市
ルンタの風代表 大場 淳治
です。
ティハール楽しんでくださいね。
国際基督教大学大学院 アシュマ コイララ(会員)
ネパール報告:2009年3月
目次
1.航空情報 1
3.外国為替情報 3-4
4.乗り物情報 4-5
5.道路情報 5-6
6.電気・通信情報 6-7
7.世俗主義事情 7-8
8.マオイスト政権事情 8
9.教育事情 8-10
10.海外移住・労働事情 10-11
11.住宅事情 12
12.ゴミ事情 12-13-
13.都市情報 13-14
14.地方情報 14-16
野火
学生選挙
ナラヤンガートのクラクション
物流とバンダ
タルーとイスラム
マザーズ・クラブの警官
1.航空情報
(1) 国の品格と国際空港
カトマンズへ行くために、いろいろな国の空港を経由せざるをえない。成田空港、タイのスワンナブーム空港、シンガポールのチャンギ空港、韓国の仁川空港、中国の香港空港、広州空港、成都空港、インドのデリー空港、コルカタ空港、バングラデシュのダカ空港、アラブ首長国連邦(UAE)ドバイ空港、カタールのドーハ空港etc. その全部を経由した経験はないが、国際空港というのは、経済力の差ではなく、国家の品格が一瞬にして見えるものだ。
二度と行きたくない広州、端から端まで30分もかかる巨大なタイ国際空港、最もComfortableなシンガポール空港。ゆったりと広く静かで、無料で休めるラウンジや長いすが、そこここにあり、国花である蘭(デンファレ)の生花が咲いている。国際空港の雰囲気は、外へ出てもほぼ同じ。つくづく国際空港というのは、その国の玄関であり、品格を一瞬にして悟らせてしまうと感じる。シンガポールからネパールまで4時間。生まれてくる国は選べないけれど、なぜ、ここまで違ってしまうのだろう!ことごとく対極にある2つの国。「シンガポール空港なおもて努めんとす、いわんやトリブバン空港をや」って・・・なかったか。
(2) バンコク行き大阪深夜便復活
2008年年末~お正月期間以後、しばらく運休していた関空発バンコク行き深夜便(23:00発06:15着、23:50発07:00着)が3月29日から復活したが、名古屋セントレア発の深夜便は運休継続中。でも、成田発より関空発のチケットのほうが安いのだけど、東京―関空の国内線航空運賃を加える、関東在住者にとっては、メリットがあまりない。ただ、出発時間が遅いので、東京で仕事を終えてから関空に行けることと、バンコクに翌朝7時着でカトマンズ行き10時半発だから、トランジット時間が少なく、1泊$112が軽減される。選択肢は多いほうが嬉しい。
(3) 出国税は日本円で
2009年3月1日から、トリブバン空港の出国税(帰路)1,695Rsを、チケット購入時にチケット販売業者に、日本円で2,020円支払うことになった。eチケットをタイ国際航空会社やシンガポール航空から直接webで買う場合はどうするのか、未だ試していないのだが、ネパール国家の外貨稼ぎかも。1,695Rsの領収書を渡して1,700Rsとって5Rsの私設マージンを稼いでいた職員たちは収入減でしょう。
(4) どの航空会社が厳しいか
荷物の重量制限は、どこの航空会社が厳しいのか、時と場合によるし、運もある。凡そ、TGは25kg以内、 シンガポールも24kgはOKだった。香港経由が厳しいという話を聞いた。成田から香港までのキャセイ航空はジャンボ機だが、香港―カトマンズは子会社のドラゴン・エアーの小型飛行機になるので、重量制限
が厳しいとのこと。機内持ち込み荷物も7kgに制限されたことがあると聞きました。私のように、衣類や嵩張る荷物をスーツケースに25kg、背中に小さくても重い書籍などを15kgなんて常習者は、降ろされちゃうかな?
(5) 液体持込緩和?
カトマンズ空港では、飲料水ペットボトルを持って入ってもOKです。他のクリームや歯磨きチューブ、シャンプーなどの透明袋も、厳しくチェックしなくなりました。 シンガポールは、あっけないほど入国も出国も、簡便です。「えっ? もう、外へ出ちゃったの?」というくらいです。
ところが、バンコクはたいへん!X線検査の前に一列横隊で係官がはだかり、ペットボトルの空ボトルだろうが、未開封だろうが、今買ったばかりの口紅だろうが、全部取り上げられて「自分で捨ててください」。
(6) 空港内ホテル
バンコクの空港内ホテル(ルイス・ターバン)は、6時間でツイン$112(朝食付き、500ccペットボトル無料)で、安くない。シンガポール空港内ホテル(第2ターミナル3階にあり アンバサダー・トランジット・ホテル)ツイン$98シンガポールドル(1ドル約75円)で、延長時間1時間ごとに$21です。でも、ホテルを利用しなくても、ゆっくり休める場所がたくさんあります。ちょっと、寒すぎるので、機内からブランケットなど拝借してくると、快適にお休みになれます。私は、常に20cmほどに収縮できる小型羽毛寝袋を持ってますから、どこでも寝られます。
(7)注文の多い料理店シルク・エアー
シンガポールからカトマンズへは、子会社のシルク・エアーの小型機に乗る。エアホステスの制服が、あの有名なイブ・サンローラン(YSL)デザインのウェスト60センチ以上不可というスタイルから、ぐっと布質の落ちた若竹色レトロ風のハイネックのワンピースに変わる。後ろのスリットがプリーツになっているが、座ったり立ったりの動作が激しいせいか、ズボラなのか、破けている方が1名いた。妙に、気になるものです。さらに、エアホステスたちは、競うかのように長い睫毛を付け、動くバービー人形のようでした。あんなに長くちゃ「香炉峰の雪は御簾をかかげて見る」状態ではないかと、ひと事ながら心配になった。
機体が上空で安定した直後から、彼女達は1枚の書き付けを持って座席番号と食事のオーダーを確認するのに忙しい。なにしろ、この路線にはイスラム(豚はダメ、ハラル食に限る)、ヒンドゥー(様々な段階のヴェジタリアン、ノン・ヴェジタリアンあり)、雑食人種(日本人など)がモザイクのように乗っている。アレルギーの方、病人食の方、お子様の対応もある。
機内食でも最悪なのは、中国航空(広州経由)。家畜に食わせるような餌を、偉そうに配給する。しかも、往復とも、全く同じメニュー。食い物の恨みは、一生忘れないから、コワイゾォー!
2.空港情報
(1)空港内ゲームセンター
空港は、24時間停電無しにしたそうですよ。それにしては、相変わらず暗~い空港の到着ロビーは、ネパールの第一印象を悪くすること請け合いです。それにしても、X線検査機が止まっていて素通りできたし、職員がほとんど居なくて、開店休業の国際空港もあるのかなぁと、キョロキョロしてしまいました。お昼時で、ほとんどの職員が食事に行ってしまったかららしいです。
一方で、出発待合室が改装され、ガラス張りのゲームコーナー内にマシンが3台設置されました。ピカピカ光っています。ビジネス・ラウンジも設置されたようです。観光大臣ヒシラ・ヤミ女史が「2011観光年に向けて、できるところから改善する」と宣言して、実行なさったのですって。
(2)新型マイクロバス登場
「シンガポール・エアにご搭乗の皆様、1番ゲートで搭乗開始いたします・・・・」。
トリブバン空港の新しい送迎バスは、3ヶ月にして、すでにあちこち手入れの悪さを見せていた。バスは、エアポンプ式の自動開閉ドアが前部、中央部、後部の3箇所に付いている。バスに全員乗ったところで、シュパンっと音がして2つのドアが閉まった。・・・が、前部が閉まらない。あら、どうしたのかしら。もう1度、全部開いて、閉じて・・・・閉まらない。あらあら?また、全部開けて、さぁ、閉じて・・・。お兄ちゃんが力づくで引っ張ってみた。ダメダメこれだから壊しちゃうんでしょ!とうとう、10回ほど繰り返し、最初は心配してくれた乗客も「あーあ、またかよ!」って、あきれ顔に変わってきて、ついに、降りてください。歩いたほうが近いのだから、かっこつけなくても、いいのにさ。
3.外国為替情報
(1)両替はカトマンズで
ネパールでは、アメリカ・ドル、ユーロ、UKポンド、スイス・フラン、オーストラリ・アドル、カナダ・ドル、シンガポール・ドル、円、元の9カ国の外貨を空港にある銀行や市中で交換できますから、日本円を米ドルに両替して持ってゆく必要はありません。円から直接ネパールルピーに両替したほうが、有利ですし、2回手数料を払う必要はありません。ただし、日本へ帰国してからネパールルピーを日本円に払い戻しできませんから、ネパール国内では大金を両替しないことが肝心です。日本で米ドルが使えるのは沖縄や秋葉原の免税店など限られた店だけですが、ネパールはとても便利です。
(1) 2009年の交換レート
2008年の初めは10円=6.5Rs程度でしたが、年末には銀行レートで10円=8.25Rsでした。日ごとに上がって、おおラッキー!2009年お正月には、トリブバン空港職員が、「日本人は大挙して韓国へ化粧品を買いに行っているんだって」と、噂をしていました。市中では10円=8.36Rsまで上がりました。現在はUS$1=77Rs、$1=90円、10円=8.83Rsまで上がりました。それにもかかわらず、日本人が多いホテルで10円=7.6Rsで換算しているところがありました。日本人は旅に出ると、鷹揚なのか、疎いのか。
(3)正規両替店
銀行レートで換金する正規両替商は、パスポートを必要としますが、きちんと証明書を発行してくれますし銀行ほど面倒ではありません。安心して両替ができます。
(4)町の両替店
タメルの両替屋は手馴れているので、パスポート不要、手数料なし、言語不要で、銀行レートより少々高いレートで、迅速に換金してくれます。金額が大きいと結構な差が出ます。表通りで堂々と両替商を営んでいますが、正規ではありませんので、換金証明書はありません。タメルを外れると、案外両替屋は見当たらず、たまにあっても、日本円に慣れていないため、カッコつけて1万円札を透かしてみたり、計算ができなくてもめたり・・・「おにいちゃん、代わりに計算してあげようか?」なんて、暇つぶしになります。
(5)地方都市の両替店
地方都市では、ポカラ、ルクラ、ナムチェバザール、ジョムソンを除くと、ビラトナガルでも両替はできません。ポカラもレイクサイド以外は、銀行へ行くことになります。列をつくり、待たされることを覚悟しなければなりません。理不尽にも、列の後ろのネパール人やインド人が優先されたりします。その時は、頑張って「私が先だ!」と、抗議しましょう。
(6)円で買い物
カトマンズでは円で買い物ができます。でも、「今日の為替レートはナンボじゃ?・・・・新聞持ってきて!」となるので、まず、新聞の立ち読みで、外国為替レートを確認しておくと「おにいちゃん、今日のレートは、8.25だよ」と、教えてあげられるので、隣の店から新聞を借りてこなくて済みますよ。
4.乗り物情報
(1)空港タクシー
ポカラからカトマンズの国内線空港に着いた。ザックを担いでタクシー広場へ出ると、運悪く、迎えの車が来ていない。しょうがないから「タクシーに乗るか」とつぶやき、できるだけゲートから離れたショバしか取れ
ない車を選んだ。「ナヤバネショールまでいくら?」「200Rs」・・・「冗談でしょ!すぐ、そこじゃないの!」。
タクシー広場の出口で、もう1台聞いたら「250Rs」。腹をたてて、とうとう空港のゲートの外へ出た。リングロードなら安い車が通るだろう。「いくら?」「300Rs」・・・。
ゲート脇のバス停に止まった大型乗り合いバスで、ナヤバネショールまで10Rsだった。
(2)タクシードライバーだって怖い
停電のカトマンズ盆地の空に稲妻が轟き、強風と横殴りの雨。待望の雨が降ったが、降り過ぎて大粒の雹まで降った。これなら、停電でも誰も文句を言わないだろう。全部、雷のせいだからね。
ミーティングは終わったけれど、帰りのタクシーが拾えない。雨の夜、9時過ぎに停電のカトマンズを東端から西端まで10kmほどを横断してくれる車は、なかなか捉まらない。ようやく来た車は、運転手と助手席にもう一人、2人の若者が乗っていた。流石に躊躇した。一応、女だし・・・・
瞬時に、いろいろな場面が頭の中を巡る。この真っ暗闇の中で、首を絞められたら抵抗しても無理だろうなぁ。バグマティ川かビシュヌマティ川に投げ捨てられたら、発見されないだろうな・・・・あの、汚い川だけは嫌だなぁ病気になっちゃいそうだもの・・・保険かけてきたから、後は何とかなるか・・・そういえば、25年前、カカルビータから日没間際のヒンドスタン平原をリキシャに乗せられて小さなチェックポストへ走ったのも、今から考えると、危なかったなぁ・・・・留置場に泊められたのが、かえって安全だったのかも・・・そうなると、指紋登録しておいたほうが、万が一の時、役立つだろうなぁ・・・・・。正直、怖かったのだ。
ところが、どうも、助手席の兄チャンが先輩で、運転手は無免許実地訓練中の弟分だったらしい。ノロノロと進み、道は私の指示に従い、「ビジェシュワリ橋の向こうは直ぐなのか?道を知らないから嫌だ」という。しきりに「道はあるのか?」と聞く。そのうちに、形成が逆転し、「大丈夫よ、道はあるから。私は追いはぎじゃないから安心しなさい!」と、叱咤激励するはめになった。ホテル・バジュラの守衛所の灯りを見て、ほっとしたのは、私よりもタクシードライバーだったらしい。そんなに、山姥のように見えたのかなぁ?
どんな客が乗るかわからないから、夜のタクシードライバーは2人組が多いのですって。物騒な夜の外出は、極力控えましょう。
5.道路情報
(1)交通渋滞①
ネパール人は「列を作って順番を待つ」という発想がありません。どんなところでも頭を突っ込んで1cmでも前に行こうとします。順番を待てばスムーズに流れ、結局目的地へ早く到達できるだろうと思うのですが何がなんでも猪突猛進します。アクロバット的に運転上手ですが、バイクは事故が多いのです。クラクション鳴らせば進むってものじゃないのに、タクシーはビッビー、ビッビー、バイクはピッピー、ピッピー!10時始業なら10時に家を出る人たちなのに、なんのために急ぐのかしら?
そんなに急いで着いても、その先で、お茶飲んでおしゃべりしているのに・・・・あ、そのために急いでるのね、きっと!
(2)交通渋滞②
旧市街の狭い交差点や橋の袂では、四方八方から夫婦二人乗りのバイクが突進してくるし、その間を人間が通り、天秤棒を担いだおじさん、自転車を持ち上げて車のサイドミラーにぶつけながら強引に横切るお兄さん。リキシャ、荷物満載のトラクター、中国製品を過積載した電飾ギラギラの大型トラック、整備不良で黒煙を吐くマイクロバス、制服姿を乗せたスクールバス、交差点の角に止めて知らん顔のタクシー(おまえが邪魔だっちゅうの!)・・・その傍らの道路に悠然と座った野菜売りのおばさん。あんたは偉い!
日本人には到底理解できない光景が日常です。
(3)道路工事中通行禁止
土管の埋設工事をしている道路に、「バート バンダ(通行止め)」の看板が出ていました。ところが、掘り返した土の山の上を、オフロード・ライドさながらに、バイクが飛んでゆきます。しばらくすると、車が通りだします。どうして工事期間中くらい待てないのかなぁ。だから、最初から土管にヒビが入って漏水するのね。
(4)真暗闇の五体倒地
停電で、真っ暗闇の工事中道路脇で、「足元が危ないから、気をつけなくちゃ」と、思ったとたんに、アッ!五体倒地の体勢になっていました。瞬間的に立ち上がり、キョロキョロッと周囲に人がいないか確かめ、買ったバナナの黒いビニール袋を闇の中から拾い上げ、何事も無かった顔して現場を立ち去った・・・それなのに、台所から「バナナが真っ平らに潰れてるよ~、どうしたの~?」。白状すると、皆がお腹を抱えて大笑い。バナナのクッションのお蔭で膝小僧が少しすり剥けただけで済みました。潰れたバナナは、私の体重の犠牲者です。イチゴを一緒に買ってこなくてよかった~。
(5)バンダ、バンダ
ネパール人は、何かというと「バンダ(交通封鎖)」をします。「個人の交通事故で、相手の補償金額が気に食わない」とかで、道路で古タイヤを燃やし、無数の人々に迷惑をかけることで、自分の要求額を吊り上げようとします(バンダをするには、古タイヤと壊れたレンガが必須アイテムです。お忘れなく)。
バンダに出会ってしまったら最後、待つしかありません。表現の自由と権利の主張を履き違えたのでしょう。イスラエルへ出稼ぎに行ったマオイスト20人が、解雇に抗議してバンダをやったら、即刻国外退去になったって。当たり前でしょ。他国でするくらいなら、長時間停電に抗議してネパールでやればいいじゃない。
(6)停電バンダ
なぜ「停電バンダ」をする人がいないのか聞いたら、ある人が、「そんなことしたら、マオイストに脅されて、殺されるかもしれないからやらないのさ」と。1990年以前に生活の隅々まで秘密警察が居て、警察に行ったっきり帰ってこなかった人々の話をしてくれました。その頃の恐怖体験がトラウマになっているらしい。関係ない民間人相手にバンダをするのに、国家権力相手にはしないというのは、弱虫でしょ、おかしいでしょ。でも、政府が恐怖心を利用しているとしたら、酷いですねぇ~。
(7)新道路拡幅工事中
空港から国際会議場の前のナヤバナショール交差点を抜けるカトマンズ市内までのメイン道路拡幅工事が進んでいます。これは、カトマンズのシンボル国際会議場と同じく中国の援助らしいのですが、カトマンズ-バクタプルでも拡幅工事も行われています。これは、日本の援助で、バネパ-ジャナクプル間のシンズリ道路を手がけているハザマが建設します。将来的にはバクタプルからシンズリ道路を通ってタライのジャナクプルまで到達するのですが、まだ3-4年先。ところで、拡幅したところに早速ブルーシートの仮設店舗、仮設住宅ができてしまうのは、なぜ?
(8) 交通整理
国際会議場前(ナヤバナショール)交差点で、以前は警官の交通整理が交通渋滞の原因でした。ところが最近、警官の車捌きが上手になりました。どこへでも突っ込んでくるバイクや車で、片側2車線が5車線にも6車線にもなるカトマンズ有数の大交差点です。それが、最近は見事に捌かれています。それには、JICAの専門家B氏の訓練と努力の賜物なのだと聞きました。昔のナヤバナショール警察署では、昼から警官がカードゲームに興じていて、ドロボーの被害届に行ったのに、「今、ゲーム中だから、終わるまで待ってろ」と言われたものです。その警察署を変革するなんて、スゴイ!
6.電気・通信情報
(1) 日本みやげ
「おみやげに、日本から電線引っ張ってきてくれた?」・・・エッ?
(2) 108時間停電
1週間(168時間)の60%、108時間が停電です。1日16時間停電で、1月末からは18時間停電に
なるとか。主要ホテルでも、インバーターの充電が間に合わず、昼間は電気を点けないことにしました。コンピュータは作業中でも時間が来れば、プツンと消えます。インターネット・カフェは電気が来るとお客が殺到しますが、なかなか回転しません。コピーもだめ。e-メイルなら、停電中でも記憶されていますが、FAXは消えてしまいます。オフィスも仕事にならないから自宅待機です。経営者だって、そんな余裕があるわけないし、ズーッと自宅待機ってことは・・・ヤバイでしょ。
携帯電話やデジカメの充電もできません。ご飯は、時間を見計らって炊き出さねば生煮えになってしまいます。冷蔵庫は解けたり、凍ったり、解けたり、凍ったり・・・レストランの食材も要注意って新聞に出ていました。もちろん、信号だって停電です。水が来る時に揚水モーターの電気が入らない、電気が来た時には水が来ない。通電時に強い電流が流れるので、電気機器はソケットを外しておかないと心配だし、充電も心配。工場も操業停止しています。パン屋さんは、真夜中でも点灯時間に合わせて出勤させるそうです。
役人が、「電気が無いので、全く仕事ができない」って、大きなジェスチャーをして見せます。えっ?あなたの働いている姿を見たこと無いけど・・・得意の言い訳のネタができて、喜んでいるじゃないの?
人々は、たいして怒りもせずに座って毎日を過ごしています。困っているのは外国と取引のある都市生活者だけで、田舎は電気がなくても困らない。公務員の月給は3ヶ月に1度の後払い。それでも餓死することのないネパールは、日本より豊かなのではないかしら?
(3) 停電中の過ごし方
ニューヨークで大停電があった時、「停電ベビー」が急増したニュースがありましたけど、ネパールでは、困るよねぇ。でも、8時に停電では寝るしか無いし・・・する事ないから。そうか!日本も少子化に悩んでないで、計画停電にすればいいんじゃない!
(4) コミュニティー・パワー・ステーション(地域発電所)
地方では、村民が資金を出し合い、公的援助を得て、小規模の発電所を建設しているところがあります。ナムチェは大規模ですから24時間インターネットを使いたい放題。お急ぎの方は、飛行機で1時間ですから山の上へどうぞ。PFIもOKになったはずですが、未だに許可が下りた話は聞いてないです。
(5) 停電は前政権の責任
ダハール首相(マオイスト名プラチャンダ)官邸、大統領官邸、官僚宿舎エリアは24時間停電無し、飲料水問題無しで、同地域では住居費が高騰していると、批判と羨望の声が高かった。そこで、ついに、首相官邸にも専用の大型ジェネレーターが設置され、付近の住民は他の地区と同様に、1週間108時間の停電が行われることになりました。先日、ダハール首相は「停電は前政権の責任で、今の政府に責任は無い」 と、声明を出しました。
ちょっと待て!ダハールさん。あなたは田舎出身だから、知らないかもしれないけれど、私の知る限り30年間に今のような長時間停電の記憶はない。やっぱり、あなたの責任です。
(6) 白い石油
ネパールは世界でブラジルに次ぎ水量の豊かな国で、「白い石油」と言われるそうです。ところが、資源の10%しか活用していないので、「将来有望なポテンシャル」と、学識ある方々は自慢するのです。ところが、庶民にとっては絵に描いた餅です。1日の3分の2停電、飲料水無しの耐乏生活が現実。ナラヤニ川も、ベリ川も、コシ川も、カルナリ川も豊かな水量で滔々と流れている。なのに・・・納得行かない!人災!
今の政府が重点政策として発電所建設計画を第一に掲げたはず・・・・ロウソクを点けて確かめてみなくちゃ。今、日本が発電所援助をする、直ぐ始めるって言ったら、日本への賛辞が集るだろうな。例え、数年かかったとしても、ネパールの窮状を分かってくれる国!ヨッ!待ってマシタ大統領!ってね。
(7) ネパールの電力
ネパールの電気代は、アジアで最も高いのだとか。昨年12月から、ネパールはインドから電力を買い始
めたらしい。しかし、ネパール国内にインドの水利権があるらしく、1kwを7Rsでインドへ送り、インドから9Rsで買っているとか。良く分からない話です。2013年ごろに、ネパールはインドへの電力供給国になり、近々建設予定(?)の火力発電所が渇水期の調整電力として機能する・・・とか。ブータンは、電力をインドへ売って、国民は医療費も教育費も無料だそうです。リーダーの違いって大きいねぇ。身につまされる話。
(8)PFI(Private Finance Initiative)発電所
NRN(海外在住ネパール人協会)は、投資資金を募って、13MWの発電所を民間で建設する計画を立て、ネパール政府にPFIの申請したのだそうです。でも、半年も経つのに、まだ政府は方針を決められず、返事がないそうです。何か、奥歯にものが挟まっているカンジ。発電は、ヤダブ水資源省大臣、ギャネンドラ国王、エンロンなど歴代汚職や詐欺の舞台になってきた。今回の火力発電所建設の件は、ダハール首相とスウェーデン国王も関わる事件だったらしい。マオイスト政権になって早々のアンダーテーブルとアフノマンチェ(身内贔屓)は、ネパールのDNA?
(9)モバイル
12月31日の朝から、市内各所で若い男女の長い列。「何の列?大学のアドミッション?」いえいえ。「携帯電話のプリペイドカードを、今日だけ学生に500Rsで販売するんです。大人だったら3000Rsくらいするカードです」。それでこれだけ長蛇の列ができるの?田舎では、雨の中の畑の畦道まで行列ができたと新聞に出ていました。今や、ムスタンでもジャジャルコット、シャンボジェでもノキアのスカイプです。
ライフラインの役目をはたしているので、都市の大人で携帯を持っていない人はほとんどいないのではないかというほど普及しています。それを、学生にまで増やそうという作戦ですな。マオイストだって、ゲリラ戦でモバイルのお世話になったことでしょう。今や、全国どこでも通じるようになったので、会議といわず、客人と話している時も、食事中も、けたたましい音を鳴らし、山の向こうとしゃべっているような大声で平気で話します。もちろん、マナーモード機能はあります。しかし、使う人がマナーモードになっていないのです。それよりも、相当な金額の電話代を学生(保護者を含め)が支払う経済力を持っているということに驚きます。電話会社はネパール・テレコム(NTC)とノキア(NOKIA)の2大会社が主流で、支払いはATMでもeBankingでも行なえます。韓国のiPodとMobileを併せて使える機種も登場しています。受信と送信しか使えないお父さんが娘に笑われています。日本と同じ。
7.世俗主義事情
(1)ネパール型世俗主義
昨年、ヒンドゥー教を国教とするネパール王国はネパール連邦民主共和国になりました。つまり世俗主義(secularism)国家になったのです。日本人には馴染みの無い言葉ですが、多民族・多宗教のインドやネパールでは、宗教対立が国家の崩壊を招く大きな要素となるので、政教分離が重要です。ところが、ネパールでは、イスラム教のイード、キリスト教のクリスマス、チベット系民族のロサールなど、18の宗教祭日が国民の休日となりました。昨年、ヒンドゥーの生き神様クマリに国家の吉凶を占っていただくインドラジャットラを巡って公費を出す出さないさないと大もめになったのに、クリスマスは国民の祭日で、大統領が教会を訪れたのです。タメルを通行禁止にするために大勢の警察官が出て、大々的な路上パーティーが繰り広げられました。27日にダーディン郡の山の上のグルン村を訪れた際、28日が正月ロサールで休日になるというので、前夜祭の踊りを見せてくれました。ところが、1月1日はちっともメデタクもない平日で、通常出勤でした。政教分離どころか、どの宗教にも政府がコミットする世俗主義なんて、聞いたことがありません。祝ってもらえない宗教は、どうするんでしょうね?
(2) キリスト教徒激増
今まで、ヒンドゥー教国家で、布教を禁じられていたキリスト教が猛烈な勢いで布教活動をしています。
「教会へ行けば食事が出る」「冠婚葬祭をタダでしてくれる」「良い学校へ入れてくれる」「医療費がタダになる」などの誘いがあります。マオイストに期待したのに裏切られた貧困層が大挙してクリスチャンになっているそうです。特にタライと東ネパールで激増していると聞きました。キリスト教団体や欧米のNGOも、好機到来で、相当な資金を注入しているようです。韓国の例のキリスト教団体も着てます、来てます。
(3) 民族習俗とキリスト教
信教が自由になったとはいえ、未だに80%はヒンドゥー教徒であり、供養や行事もヒンドゥーの司祭によって行われているので、家庭や地域に異変が起きています。「教会で、神具や神室に入ってはいけないと言われた」と、家庭の供養に参加しない成員が現れ、大家族の間に不協和音や亀裂が生まれてきているのだそうです。また、地域の共同体活動に参加しないため、家庭が地域から問題家庭と見られることもあるそうです。現在、世界の3人に1人がクリスチャン、5人に1人がイスラム教徒ですが、ますます仏教徒が減るのでしょうか?
(4) from Holy Country to Holiday Country(聖なる国から休日国家へ)
ネパールは「聖なる国」から「休日国家」になったようです。2009年は、土曜日の休日を含めて公休日が81日ですが、水曜日と金曜日の半ドンを入れると+51日で合計132日になります(日本は120日前後)さらに、ダサインやティハールには連続休暇を取りますし、家庭の供養は優先的に休みます。停電なので出勤しても仕事ができません。朝は10時に来て4時に帰ってしまいます。一体、いつ働くのでしょう?
日本ネパール協会事務局では、在ネパール日本人会商工部会が作成したノート型カレンダー50冊を入荷したばかりです。ネパールと日本のカレンダーが併記され、たいへん便利です。1冊200円で、郵送費80円で送れますので、お申し込みください。
8.マオイスト政権事情
(1)天皇制反対
昨年12月23日に、日本大使公邸で、日本のナショナル・デーのパーティーが開催され、多くの方々が招かれました。現政府のラムバラン・ヤーダブ大統領(ネパール会議派)やスバス・ネムバン立法議会議長らは参加しましたが、マオイスト議員は参加しませんでした。ダハール首相は、最初は出席するつもりだったようですが、マオイスト党内に「天皇誕生日祝賀会に出席することに対する強い反対があった」ことを理由に出席しなかったと新聞に出ていました。コミュニストとしては筋が通っているのでしょうが、一国の首相
として、国際儀礼上、どうなんでしょう?
(2)でも、援助は2倍、3倍欲しい!
昨年来日したマオイスト強硬派のC.P.ガジュレル氏は、「New Nepalに従来の2倍も3倍も援助をして
欲しい」と重ねて要求していましたし、新聞にも「第一援助国である日本がマオイストの国に援助してくれるかどうかが心配」と出ていました。暫定憲法には、ダリット、女性、老人、ジャナジャティー、貧困層に補助金、小中学校は義務化し無料、女生徒には奨学金と、バラマキ構想が書かれていますが、一体誰が資金を出すのか、首をかしげてしまいます。たぶん、先進国の支援金が増えることを当てにしていたのでしょう一応、日本は「変わらぬ支援(増額とは言ってない)」を表明しました。日本では失業者やシングルマザーからも税金を徴集し、そこから援助金が出ているのに・・・・と、お金には誰の税金か書いてないものね。
(3)国際儀礼違反
ダハール首相は、スカンジナビア三国訪問を2日前にドタキャン。またまた、国際儀礼違反。なにやら火力発電所建設についてきな臭い話も洩れ聞こえたり・・・・もしかして、停電はCO2取引ビジネスを有利にするための策略?
(4)ダハール首相の身内贔屓
ダハール首相は、宗教にも手を出してしまいました。ヒンドゥーの聖地パシュパティナートには、2人のインド人のプジャリ(司祭)がいました。プジャリになるには、様々な教義に通じ、ちゃんとした資格が必要なのだだそうです。ところが、ダハール首相が2人のプジャリを解雇し、自分の身内で資格の無い人を任命しました。さすがにパシュパティナートを支えている人々がストライキをしました。それでなくても、妻や息子を要職につけるなど、ダハール首相の身内贔屓(アフノマンチェ)は批判が多いのです。結局、撤回して元通りになりましたが、すべきことは、他に沢山あるのではないでしょうか。
(4)ネパール観光年
ネパール政府はどこへ向かっているのか分かりません。マオイスト青年部YCL(ヤング・コミュニスト・リーグ)が各地や大学内で起す暴行を、抑えることができません。政党なのに、未だに軍隊を持っています。ダハール首相も武器の威圧を時々ちらつかせます。国民の間にも、裏切られた思いが広がっているようで
す。バンダ頻発、飛行機事故、長期ビザ値上げ、空気汚染、交通渋滞、物価高、高い航空運賃、外国人は全て割高、16時間停電・・・・どんどん、旅行客が減っています。昔は、「ネパールは、いい国ですよ。ぜひ、ネパールへいらっしゃい」と誘えたのだが、今は自信がありません。2011年を再度「ネパール観光年」にして、50万人の外国人観光客を100万人に増やしたいと、観光大臣が発表した。ヒマラヤ見せれば金が入るって、甘いんじゃない?改善してから発表して欲しいものだ。
9.教育事情
(1)SLC廃止
新政府の教育政策が大きくかわりそうです。ラナ時代に始まった全国統一高等学校卒業資格(SLC)試験が2008年を最後に廃止される。近年、よりよい仕事を求めるにはSLCに合格することが絶対条件であり、①ディスティンクション(75%以上)、②ファースト・ディビジョン(65%以上)、③セカンド・ディビジョン(55%以上)、④合格(43%以上)の4ランクに入る必要がある。この得点が生涯履歴書に付いて回るのだが、①②は、圧倒的に私立高校生で占められる。SLC発表の知らせはTVより早く携帯で全国の村々に届き、自殺する親がいるほどだ。結果としてSLCは、私立学校を繁盛させる結果となっている。海外出稼ぎ労働者の第一の理由が子どもをボーディングスクールに入れるためなのだ。幼稚園から有名私立学校へ入れられるかどうかで、ほぼ人生路線が決ってしまう。2009年から、5つのゾーンごとにSLCに相当する資格試験をするようになるらしいが、まだ、その方策は発表されていない。
(2)SLC効果
知人の息子は公立高校からSLCのファースト・ディビジョンで合格した。彼の村始まって以来の快挙で、一気に村のエリート、ヒーローになった。世の中がすっかり変わって見えるに違いない。卒業した高校には10+2のクラスが無かったので、彼は私立高校へ行き経営学を専攻した。ところが、英語が私立と公立では大きな格差があり、苦労していた。そんなことには関係なく、急に、何人もの娘が訪ねてくるようになった。まだ17歳なのに、彼をゲットしておけば、将来の生活は安泰ということなのだろう。自分が学校へ行かなくても、将来有望株に身を投じることでCHANGEができる。ネパールの娘もやりますねぇ。
(3)私立学校国有化?
マオイストは、時々私立学校の全てを公立学校にするという話をチラつかせる。私立学校経営者から献金
を集める手段なのかもしれないが、全国に広まったボーディングスクール熱を、無視することはできないだろう。私立学校連盟は、「私立学校の運営法を公立も取り入れればレベルが上がる」と言っているが、それも、どうかな?また、UNESCOは幼稚園教育(早期教育)を進める方針でいるが、幼稚園の90%は都市の私立学校に付属している。1年生に混じっている学齢以下の子どもたちへの対策と早期教育は別物。混同されると、方向が違ってしまうのではないかな。
(4)教員資格要件が変わる
教育省のChange Management Unit, Working as a Section Officer and Gender Focal Point (GFP)担当官Renuka Paudeyさんの話によれば、教員資格要件が2009年度から変更になる。
① 小学校教員は、「10+2」を卒業していること(SLCのみの教員については10か月の研修を要す)
② 中学校教員は、大学卒業、 ③高等学校教員は、大学院修士課程卒業を要件とする。
つまり、全体として、教師の学歴をワンランクアップさせたのだ。しかし、全国にはSLCに合格しただけ、または、SLCも合格していない教師がたくさん居る。そうした教員の研修がなかなか進んでいないため、教育と教師の質の向上が、長年の課題である。本当に、ランク・アップするのかな?
(5)女性教員増員
昨年4月の選挙以来、全国の組織で、3分の1は女性にしなければならないというお触れが回っている。女性教員の場合は、割り当て制(クォーター制)がとられるとのことで、
①教員3人以下の学校は女性教員1人、②4-7人の学校は2人、③8人以上の学校は3人、全体として25%以上を女性教員にすることとなった。さらに、今後13,000人の教員を増員し、そのうちの4,000人以上を女性にすることになった。
(6)フィーダーホステル
1980年代に、ノールウェー政府とネパール政府が女性教員養成のために設置したフィーダーホステル(遠隔地に住み、高校に通うのが難しい女子学生で、教員志望者のための奨学金と食事つき寄宿舎=日本の師範学校制度と似ている)が現在も10箇所稼動しているが、必ずしも教員志望女子学生とは限らなくなってきている。そのフィーダーホステルの入居資格を10+2とする方針が立てられ、2009年度は、ダデルドゥーラ(極西部)、カピルバストゥ(西部)、ラスワ(中央部)の3ホステルから始める。ただ、公立高校に10+2が普及しきっていないこともあり、当分はSLCまでの9,10年生と、10+2の11,12年生の同居とする。また、フィーダーホステルの女子学生に所在地の状況によって、1,100Rs,1,500Rs,1,700Rsの3段階の奨学金を政府が支給しているが、500Rsの増額を検討している。それでも、食べ盛りの女子高生は、6人で1ヶ月に100Kgのお米を食べるので、お肉などはめったに食べられないとのこと。
(7)ノートより石版
今年、キャンパスを終えて遠隔地の小学校へ赴任したばかりの女子学生が、卒業式にプレゼントされた50冊のノートを、村のバザールで売って、生徒たちのために石版とチョークを買いました。石版なら、何度も消して使えるからです。その小学校は机も椅子も無く、土間に座って勉強しています。彼女は、休みがちな他の先生のクラスも兼任しながら、片道1時間以上かかっても学校へやってくる子ども達を教えています。日本では、100年前(?)の話でしょうか。ボーディングスクールでコンピュータを動かす子も、校庭に円座して石版に文字を書く小学生も、同時代のネパールに生きている。子どもは、親を選べないのに、生まれる前から人生の大半が決まってしまう。
(8)学校建築ODA
2009年度の日本の学校建設資材供給援助が始動する。過去3期にわたって供給されてきた学校建設は、直接的に就学率の向上に役立っているが、「トタン屋根は暑くて寒い」「お金だけくれれば、村レベルで建てるのに、高額すぎる」など、様々な批判がある。しかし、一方で、全国均質な校舎建設のために、運び易い資材を集め、適量を供給するのは、個別の要求とは異なる次元で難しいのだろう。さらに、タライの治安の悪さ、交通バンダ、停電など不安要素があり、年度内に仕事が終わるかどうか、懸念される。
10.海外移住・労働事情
(1)留学と少子化
留学先ランキング、出稼ぎ先ランキングは、世界の経済状況やビザ発給難易度によって敏感に変化します。1980-1990年代は日本への出稼ぎが人気でした。その後、韓国、マレーシア、カタールにと比較的短期的な変化がありましたが、欧米諸国への出稼ぎはあまり聞きません。欧米諸国は留学先なのです。東部アメリカでは、バスに乗ると、ネパール語が聞こえてくるくらい大勢移住しているので、ネパール語放送もTV局もあるそうです。友人の一族の子ども(三世代目)たちは一人残らずアメリカに居ます。先日、アメリカで一族の集まりがあり、15人くらい集ったそうです。すでに、結婚して子ども(四世代目=ネパール系アメリカ人)もできています。ネパール人と結婚するとは限りません。さまざまな家族が生まれています。一人っ子か、せいぜい二人っ子ですが、ネパールには帰らないようです。彼らは留学後の定住組です。一時カトマンズに日本学校が80校もできて、“Study
& Work”の生徒争奪戦がありましたが、今は、オーストラリアです。英語のほうが楽ですし、移民が住み易いのでしょう。第一世代の介護に追われる第二世代(父母世代)は、第三世代のアメリカやオーストラリア留学を自慢しながらも、集まりがあるたびに自分たちの老後は誰がみてくれるのだろうか、いったいいくら貯めておけば老人ホームに入れるのだろうか、一族で専用の老人ホームを造ろうかといった話になります。ミドルクラスでは既に少子高齢化、介護問題が深刻です。
(2)若者の合言葉「国連に勤めたい」
バウン・チェットリ、ネワールの優等生と自負する学生たちは「国連に勤めれば、イギリスだろうがオーストラリアだろうが、好きな国に行ける」と、国連という甘い言葉のマジックにかけられています。彼らの親の世代の憧れは、高給で外国行きのチャンスがあるINGO(外国のNGO団体)に勤めることだったのですが、今はワンランク上になったようです。まるで、「幸福の手紙」の連鎖反応のようです。日本人から見れば、「誰もが国連に易々と勤められるわけがない」と思うのですが、その辺をヒラリと飛び越えて、願望=実現と考えるのがネパール人のすごいところです。このエリートたちは、採用試験を考える前に、積極的に人脈を駆使して自分だけが採用されることにエネルギーを傾注します。叶わないわけがないと思っているのかもしれません。世の中、そんなに甘くないと思うのは、日本人のひがみですかねぇ。
(3)アメリカの永住権(グリーンカード)ビジネス
友人の親戚一家が、アメリカ居住許可を得て移住することになりました。アジアだかネパールの中で1400人限定枠の宝くじに当たったようなもので、昨年5月に申請書を提出した後音沙汰がなく、11月になって急に知らせがきたそうです。3回ほどインタビューがあって、特殊能力者+高学歴+経験などの要件を満たしていると見なされて本決まりになったとか。ところが、ビザ代は1人$840で、妻と子ども3人合わせると$2,520、健康診断や各種の予防注射をあわせると$1,000、それに、手続きのための弁護士費用が$○○○、渡航費用、生活資金等々で、たいへんなお金がかかるそうです。面接で、米国に役立つ者を一本釣りするのですから、アメリカのビザ商売も、たいしたものです。アメリカでは、一族のネットワークを頼って住むところを決めるそうですが、どんな仕事が得られるのか、見当はついていないそうです。ネパールの一流企業を辞めて、不況のアメリカへ、妻子を抱えて移住する逞しさと楽天的な発想は、日本人男性には無いだろうなぁ。
(4) 日本への労働力輸出
1月17日付eKantipur紙に、レクラジ・バッタ労働大臣(マオイスト)が、「研修労働者を日本に送る準備はほぼできた」「労働者の対日輸出に必要な政令は数日以内に出す」と発表されました。日本への労働者派遣は、タマン駐日ネパール大使の悲願とも言うべきもので、実現すれば、大きな成果になるでしょう。もちろん、海外在住ネパール人協会(NRN)の強い働きかけがあったに違いありません。
いわゆる「研修生制度」での人材派遣は、5年ほど前に、ネパール商工会議所(FNCCI)」と日本国際研修協力機構(JITCO)の間で合意ができ、ネパール人は「人材派遣で大儲けできる。俺も参入させろ!」と、FNCCIと在日ネパール人とのパーティーは大騒ぎでした。
しかし、「3年間の研修」であり、2年間の延長が可能ではあるが、①送り出し側に事前日本語研修が義務づけられていること、②最低賃金(平均月額15万円)を支払い、ピンハネはできないと知り、③研修終了後、確実に帰国させねばならないこと(オーバーステイ不可)など、「人材派遣ビジネスとして旨みが無い」と
FNCCIもネパール人も、すっかり引いてしまいました。その後、日本人学校やネパールレストラン・ネットワークを利用した組織的日本入国が一般的で、政府間協定の下では、行なわれていませんでした。実際、日本の農家では、中国人労働者(事実上の低賃金労働者)がいなければ、農業がなりたたない状況だといわれていますし、農家と研修生の利害は一致しているので、「研修制度とは隠れ蓑」であり、形骸化しているとも言われています。「経済格差を利用した奴隷貿易」と批判する某政治学者もいます。でも、一応、自ら希望して、保証金を出してでも稼ぎに行きたいという意志がある人を、奴隷と言っては失礼でしょう。
(5)労働者輸出は国家産業
世界不況で、カタールから、マレーシア、イスラエルから労働者が職を失い、帰国し始めています。ネパールにとっては、大問題です。何しろ、実際には国家予算を超える外貨送金がネパールの経済を支えているからです。観光資源以外には海外労働資源しか無いネパールで、「労働者輸出」は、既に国家産業になっています。英語で仕事が出来る湾岸諸国には家内労働者として、オーストラリアには介護師として、女性労働者も送られており、その実績がカッレジの評判に繋がっています。日本は、ネパールにとって労働者受け入れの大きなポテンシャルがある国と見られています。今日、アメリカ永住を夢見ていたネパール人が日本へ帰ってきました。「アメリカのネパール人は、サブプライムローンの渦中にいます。日本のほうが、いい。安全だし、やさしい。アメリカで病気になったら、保健が無いので、死んで下さいって状態ですよ」。ネパール人労働者は世界中を、噂を頼りに放浪しています。ネパールで海外労働に出る最多階層は、SLCに合格スレスレび若者層、つまり未熟練労働者です。難しいですね。
(6)麻薬常習者の増大
ポカラでは、最も儲かる病院は精神病院だと聞かされました。海外で働く父親から送られるお金で、子どもはボーディングスクールに入ったけれど、全部が全部優等生ではない。落ちこぼれた先は、悪い友達と麻薬。世間体もあって、精神病院に入れる親が多いのだとか。見せてもらった新設病院の奥には、留置場のように6畳ほどのコンクリートの部屋がいくつ並んでいた。ベッドが2つで、鉄格子が嵌っていた。こんなところに1日居たら気が狂いそうな環境だった。子どもが欲しかったのは、お金ではなく、お父さんの愛情だったのではないだろうか。
11.住宅事情
(1) コカナ新興住宅地
パタン郊外のコカナ村は、ネワールの古い農村で、いまなお古い習俗が残っているといわれます。昔は、ても都市への通勤は考えられませんでしたが、現在は、広い道路が舗装され、続々とピンクや黄色、ブルーのミニ・パレスが建つ郊外住宅地です。30代の友人が買った家は約3,000万円で25年ローンです。両親と夫婦に子ども1人の5人暮らしにお手伝いさんが1名。大分譲地は54棟売り出され、完売しているそうです。ナック川沿いに広がる田圃の向こうにはパタンの電気が点いている地区と、停電中の地区が区分けされて見えるし、飛行場へ下りてゆく飛行機が見える場所です。しかし、未だ9棟しか入居者がなく延々と各家の内装工事が行なわれています。いつが完了というのではなく、同時進行で入居が始まるようです。崖淵に造成された分譲地内は急坂が続き、側溝も整っていません。雨季には、滑る泥濘や雨水の流れに苦労すること請け合いです。ドアの下から寒風と土埃が吹き込むので見てみると、ドアの下に2.5cmほどの隙間があります。おまけに、見てくれの良さで床材に大理石を使っているので、暖房設備の無いネパールでは凍えてしまいそう。皆、「寒い、寒い」と、薄手の綿布団のようなショールに包まっているのです。なぜ、夏涼しく、冬暖かい家屋を考えないのか、不思議です。4階建て屋上つきの住宅は、8部屋と広い台所、トイレがあり、使用人部屋や神様の小部屋もあります。家の中でエクササイズができるほど階段が家屋の中心になっていて、煙突のように温かい空気を屋上へ逃げてしてしまいます。おまけに、お年寄りや幼児には危険です。日本では考えられないズサン建築ですが、憧れの新居。OKなんでしょう。
大半が、カトマンズ市内に住んでいる小金持ちが、不動産バブルで、投資転売を見込んで購入したものだと聞きました。売れるかな?
(2)分譲住宅ローン
多くが海外送金を頼りにローンで買ったものだそうです。3年積立貯金が我慢できないというネパール人が、よくも、25年ローンにサインしたなと驚きです。25年先の人生も何とかなると見通しが立つ購買者が、そんなに沢山居るということが驚きです。建設会社は、返済が滞れば家屋を差し押さえられると考えたのでしょうけれどねぇ。しかし、すでに、ネパールの国家予算を上回る海外送金に陰りが見え始めました。夏までは、海外集団労働者が空港に溢れていましたが、今はその姿がありません。それどころか、カタールやシンガポールから、労働者が帰り始めました。25年のローンを借りて建てた華やかな住宅群は、どうなるのでしょう?ネパール版、サブプライムローン・・・・ネパールは、いつも1周遅れだから。
(3)ネパールの男はATM
住宅は妻の名義、息子はボーディングスクールに通い、出稼ぎに出た父親は海外から妻へキャッシュカードを送り、妻にとって夫はATMのようなものです。子どもはボーディングスクールで週末にしか帰らないので、奥様達のお集まりが盛ん。マレーシアや香港、ドバイで買った金の装飾品を自慢しあい、エステのお話で盛り上がり、どんどん太ってゆくのだそうです。ところが、お父さんは帰国しても家庭の中で座る場所が無く、「子どもの教育費はどうするのよ!」と妻に叱られて、海外へ舞い戻るしかない。送金できなければ妻に離婚されて、家は妻のものになるという、あわれなお父さんたちなのです。ネパール版「男はつらいよ」でしょうか。どうりで、街のあちこちにATMが林立していると思ったら・・・
12.ゴミ事情
(1)バグマティ川の塵上楼閣
10年ほど前からカトマンズのバグマティ川の堤に不法占拠居住者住宅(スクォッター)が連なり、スラム街を形成していました。しかし、今は、既に街になっています。ここの人々は写真つきの住民票を作って、立ち退きを迫られた時に権利を主張できるように、IDカード(ナグリッタ)作成に支障がないようにと備えてきました。とことが、12月に、8月の雨季には無かった新たなブルーシート部落が出現し、既存の不法占拠住宅より川の流れに近い川原に捨てられたゴミの上に住んでいます。脇には、汚水が浄化されず直接流れ込み、色が変わっている。どこからきたのか聞きそびれたが、デモ要員として参加すると賃金がもらえるとか。「犯罪の増加が心配だわ。最近子どもの誘拐が多発しているのよ」と言う奥様もいました。
(2)ビシュヌマティ川の臭気
バグマティ川と反対の西側スワヤンブナートの裾をビシュヌマティ川が流れ(?)ています。川沿いには廃品回収業者や水牛解体業者という、いわゆるダリットがたくさん住んでいます。昔は町外れのガート(火葬場)だったところです。解体後の大きな骨や内臓を川へ直接捨てているので、いつも白鷺や大きな猛禽類が群れています。とにかく、すごい臭気です。この臭いは夏になると、川風に乗って、サネパの超高級住宅街を覆い、窓が開けられません。ゴミはますます川に迫り出して流れを狭め、もうすぐ向こう側に付いてしまいそうです。夏に、溺れそうになった子どもを助けに飛び込んで水を飲んだ警官2名が、その後原因不明の病気で発熱し2ヶ月間入院したそうです。ネパール政府は2017年にはネパールの人口が1,000万人増加して3,300万人になると予測しています。カトマンズの人口もさらに100万人増える予想です。
交通の騒音や臭気は慣れで感じなくなるのかもしれませんが、健康被害などというひ弱なことを考えるのは、日本人だけかも。それより、人々が毎日眠る場所があることが、チョー不思議。
(3)日の丸印のゴミ収集車
カトマンズの街には、家庭ごみ収集業者が自転車を押して毎日または2-3日に1度回ってきます。委託料はゴミの量によって異なりますが、一般家庭では月額100~200Rsです。そのゴミは、ビシュヌマティ川辺に捨てられたり、中間収集所に集められ、そこから日の丸印の大型トラックでテクの中間処理所に集められます。さらにオッカルパワのシスドーレ埋立地の最終処分場へ運ばれます。インドのTATA製の装甲車のように頑丈な大型トラックには大きな日の丸が付いています。カトマンズのゴミ処理は30年以上前にドイツのGTZが始め、ゴカルナ処理場が満杯になった後、紆余曲折あって日本のJICAが多大な援助資金を投入しています。
(4)カトマンズ市のゴミ対策
人口が密集してきたカトマンズ市では、昔のように庭付きの家が減少し、アパートが増えています。そうした家庭のために、大型バケツと「ぼかし」というゴミ発酵菌が安い値段で配られています。5-6人家族の生ゴミが2ヶ月間くらいで一杯になるそうです。臭いも無く、ぼかしで作られた土は肥料屋で引き取り、新しい「ぼかし」を入手できる。肥料屋はそれらを集めて肥料土の販売をしているそうです。なんと、東京都より進んでいるのではないかしら?
(5)セイフティネットとビジネスの自由化
こうした清掃・死体処理などの仕事は、昔は清掃人階層(チャメ、ポレなどダリットとよばれるアウトカースト)の仕事でした。ケガレを避けようとする上位階層からの階層差別を受けると同時に、その階層の仕事を取られないような仕組みでもありました。つまり、生活のセイフティネットの役割も果たしていました。ところが、最近は、ゴミ回収がビジネスとなることを知った上位階層の業者が。恥も外聞も無く入り込んできて組織化し、ダリットの上前を撥ねるようになってきています。浄・不浄の価値観より目の前の金が優先される時代となり、二重に搾取されるようになってしまったということでしょう。
(6)働くことは必要悪
ネパール人の若者いわく「もともとネパールでは外国人はアウトカーストなんです。僕たちは鎌や鍬などを持つことを禁じられた階層だし、肉体労働するくらいなら借金して人を雇って暮らします。僕も日本に居た時、肉体労働のアルバイトはしませんでした。日本人は大学を出ても朝から晩まで工事現場で肉体労働するけど、僕らはしない。仕事の責任が家庭より大事なんて信じられないし、仕事で帰宅が遅くなって家族の付き合いが出来ない生活は苦痛で耐えられない。高給をくれても辞めると思う。ネパールでは大学卒に相応しい仕事をしないと、家族全員が馬鹿にされるんです。だから、ゴミが散らかっていても、触らない。
家の中は掃除するけど、家の外に捨てちゃえば関係ないでしょ。ドイツ人や日本人が、ゴミ処理が得意なら、ネパールへ来て処理してくれれば、それで、いいんじゃない?」ここまで素直に語る人には、初めてお目にかかったけれど、「ネパール人ゴミ捨てる人、日本人ゴミ処理する人」というわけ?
ネパールまで出かけて行ってゴミ処理して、蔑まれる日本人は、よほどお人良しか馬鹿か。
13.都市情報
(1)ミドルクラスのショッピング
カトマンズで一番大きなショッピング・モールは、トリプリショール(国立競技場付近)の交差点にあります。ショールームのようで入り易いとは言えません。また、旧ブルーバード・ホテルもショッピング・モールになってブランド品を売っています。3階の屋台を集めたレストランが子供連れで賑わっています。一方、王宮通りを中心に高級なブランドショップが次々と開店しています。今年に入って、王宮通りアンナプルナホテルの真正面、ホテル・シェルパの前庭に、「5th Avenue(5番街)」という複合ショッピング・モールができました。若者向けのファッションが中心ですが、4階には「祭り」という、日本の居酒屋形式レストランもあり、提灯がぶら下がっています。ネパールの若者はオシャレ好き(結婚後のメタボ体型おじさんとの落差が大きい)と見えて、イタリアンファッションなど男性向けのお店が多いようです。また、タメルには、スポーツ用品の「The
North Face」の専門店が、王宮通りの南端からアッサンに向かう角に「Samsonite」の専門店ができました。ブランド好きの方はどうぞ。「Berly」はなくなりましたが、「United
Color of Benetton」も、王宮通りに場所を変えて健在です。王宮通りにチベット美術品の店ができて、気になっています。
(2庶民のショッピング
最近、カトマンズで、あちこちにスーパーマーケットがありますが、庶民はあまり近寄らない。ラトナパークから国立競技場へ下りる坂の上、工業省かなんかの建物の隣に、中国のショッピングパレスがあります。ゲートを入って奥のほうですが、あらゆる中国製品を売っている国営展示場のようなモールです。また、中央郵便局の裏手からビル病院の裏手にかけては洋服と電気製品を中心としたチャイナ・タウンがあります。カトマンズの秋葉原と言われ、御徒町と秋葉原をつなげたような地域です。笑ってしまうほどの中国製コピー商品市場ですが、庶民の買い物客でごった返しています。
(3)日本製品的殿堂
なんて、できないでしょうね。化粧品、衣料品、食品(たこ焼き、おでん、焼き鳥も)、中古製品(車、電気・電子製品、スポーツ用品、オフィス用品、アニメ書籍、ゲーム、中古建設機材)。ワンランク上の「Made
in Japan 本物!」が買えるとなれば、インドからも買いにくるでしょう。でも、国家を挙げて開き直る中国の向こうを張るガッツは・・・・無理か。
(4)肉屋とモモ屋
ナヤバナショールからサンカモールへ行く道(サンセット・ビューホテルの道)や、アッサンチョークからジャタへ抜けるチョーヤ・トーレなど、細い横丁などで、肉屋とモモ屋が増えているのに驚きます。こんなに肉を食べる人々が増えたのかと、食の変化を感じますし、購入できる層が増えていることにも驚きます。確かに若い人々は、豚肉も牛肉さえも食べて「おいしい」と、食の禁忌が薄らいできているようです。それとともにカサイ(肉処理階層)も経済力をつけてきています。カサイ以外の階層の人々も肉屋に参入し、職業カーストの壁が壊れ始めていると聞きました。それは、まさに、ゴミ処理業者の階層が上位階層の人々の参入で、職業内の搾取構造ができてきている状況と共通しています。
(5)あんぱんと有機たまご
パタンのヒマラヤホテルの先に数年前にできた「富士パン」も繁盛しています。日本で修行してきたネパール人が一生懸命に働いています。あんぱんは、直ぐになくなってしまいます。韓国人が好きなのですってコロッケもおいしいです。玄米、日本米、お餅もあります。二階のレストラン「マロニエ」は、日本人客が多いようです。そこで、有機飼料で育った鶏からとれた卵を売っています。一つ一つに日付がついていて1個10Rsだったかな?生食ができるそうです。
(6)路上販売
ネパール名物、路上販売は禁止されました。野菜市場も移転させられ、歩道のシート1枚分の店舗も禁止です。最近、散発的に起こるバンダ以外は暇なのか、反対に警戒態勢が強化されたのか、警官の身回りが頻繁に行なわれています。ある日、映画館前で自転車にスンタラ(オレンジ)篭を載せ1kg30~40Rsで売っていたおじさん、イチゴ1カップ20Rsのおばさんが、パッと、サンダルも履かず、荷物を放り出して裸足で逃げ出した。警官が王宮通りの角を曲がってくる姿が見える直前。歩道にはスンタラがゴロゴロころがっていました。今日は、捕まらなかったけれど、幾らの損害になったのだろう。いたちごっことはいえ、庶民は悲しいほど逞しい。
14.地方情報
(1)チトワン
ほんの少し、ナラヤンガート付近を巡りました。昼間が強い陽射しがありますが、朝10時ごろまで車を走らせるのが怖いほどの濃霧に包まれ、とても寒いです。この朝霧があるために水分が保たれ、三期作が可能なのでしょう。真冬なのに、バナナ、パパイヤ、とうもろこしが実り、油菜の種が大きく膨らんでいます。えんどう豆やインゲンも年に4回収穫できるとのこと。10年前のタライには、豊かな気候なのに働く人影のない乾いた広大な平野が広がっていて、何故この豊かな地域をカトマンズの政府は軽視するのだろうと思いました。それが、マデッシの叛乱を招いた要因だと、今になって言っても時、既に遅し。今は、街の奥まで人々が住み、農作物が豊かに育っています。1970年代からの日本の農業指導の影響もあって、種苗会社タキイの名が知られているそうです。
(2)チョコレートバナナ
ネパールもエコ志向が芽生えています。バナナの産地では、バナナ布、バナナ酒の生産に興味を示し、技術を教えて欲しいという話があった。武蔵野美術大ではアフリカを対象に芭蕉布ほど難しくないバナナ布生産技術を開発したらしい。バナナ布、バナナ紙、バナナ堆肥など、様々な利用方法がある。ただ、買ってくれるマーケットが必要です。直ぐに「自然製品→日本で高く売れるだろう→マーケットを開いてくれ」という単純思考を押し付けるに決まっているので、要注意。マーケットは、良い品だから、努力して作ったから買ってくれると言うものでは無い。そんなことは、当たり前のことだから。きちんとした製品であり、リーズ
ナブルな値段とフィーリングが重要なのだ。まず自国で工夫する努力が必要。とりあえず、近くのお祭りや屋台で、チョコバナナ、揚げバナナを売って、バナナが加工製品になることを経験してほしい。
(3)メディカル・カレッジ
発展を続ける豊かなチトワンは、新たなメディカル・カッレッジが建築されています。学生数4,000人のバルクマリ・カレッジにも医療学部がある。東のダラン、西のネパールガンジにも大きな病院があるというように、インドの国境沿いには大学病院が多いようです。ナラヤンガートからビルガンジに向かえば、癌センターやケディア眼科病院もある。メディカル・カレッジで学ぶのは高額であり、ネパールの看護師資格は基準が高いため、優秀な学生が多い。既にオーストラリアやマレーシアへ海外労働者として出かけているが、日本語を教えて送りこもうという話もチラホラ。
(4) 広大なタライ平原
友人は、8ビガー(1ビガーは13ロパニ。5,850㎡)の広大な所有地に建設機材基地を造ろうとしているところでした。地平線に夕日が沈むような広さです。また、もう一人の友人の両親は、収穫物の回収と、翌年の種を小作人(アディヤ)に配布するためにビラトナガルの所有地にでかけて行きました。アディヤは呼称の通り、収穫の50%が取り分です。農奴といわれるカマイヤと違って、移動も可能な契約小作人です。
この土地から大家族の1年分の米、豆、ジャガイモ、野菜の全てを収穫できるそうです。もちろん、カトマンズに住み、貸家も持っていますが、特に裕福階層というレベルでは無いと言ってました。農民は、まず第一に、自分の家で食べる米を作ることを目的とします。リスクもあるが換金性の高い作物や新しい品種を作ってみようというアグリビジネスの発想は乏しいようです。大地に生きる農民は、どこの国でも保守的にならざるを得ないのだろうな。
(6) エッグバスケット
最近は、ネパールでも鶏料理を出す際に、「これは、ローカルチキン(地鶏)ですよ」と、わざわざ言います。ネパールの鶏だって、いつまでも庭でミミズを突っついて飛び跳ねているわけではありません。大規模な鶏舎が増えていて、チトワン郡は「エッグバスケット」と呼ばれています。鳥インフルエンザ?中国からこれだけ物資が入ってきていれば、無いわけがないでしょう。
2009.1.18 東ネパールのジャパ郡メチナガル市カカルビッタ地区で鶏インフルエンザが発生し12羽が死んだそうです。警官が素手で防御マスクもせずに、飛び回る鶏を撲殺する映像がTVに流れたそうです。ウィルスが何かを知らないので、鶏を殺せばよいと・・・・あ~あ~、飛散するばかり!
翌日には、鶏1羽500Rsで買い上げると言った政府に抗議して、その鶏を持ってカトマンズにやってきて「もっと、よこせ」バンダをやったのですって!あっという間に全国に拡散!きっと、誰かもったいなくて、食べちゃってるよ~。もう、学生を連れてゆけないじゃない!
(7)バンディプル
ポカラからムグリンに向かう途中に、「バンディプルへ8km」と看板があります。山の上に古いネワールの家
並みを残す、静かな村です。訪れた日は春霞のような雲ではっきり見えなかったのですが、山頂から真向かいに見えるアンナプルナ山群の眺めは素晴しいに違いない。ヨーロッパ人好みで、ドイツ人観光客がゆっくりと逗留していました。忙しい日本人はポカラから飛行機でカトマンズへ帰ってしまうので、途中の豊かな村人の暮らしを肌で感じる機会が少ないのがもったいない。山の上にはカソリック教団が経営する学校があり、ノートルダム女学院(京都)から2名の日本人シスターが30年も前から派遣されています。そのせいか、バンディプルの教育は、とても有名です。日本の観光案内には組み込まれていないけれど、1日ゆったりと天空の村で過ごすのも、良いのではないでしょうか。
(7)アダムガート
あまり知られていない地名ですが、ネパールで一番良い場所かもしれない。カトマンズとポカラを結ぶトリスリ川沿いの幹線道路に面している。カトマンズから1時間ほどで、ポカラへ向かう道が分かれるムグリンよりずっと手前にある。海抜500mほどの温暖な土地で、タライほど暑くなく、カトマンズのような冬の寒さもない。広い地域ではないが、ほっこりした場所だ。1年に3回米の収穫ができ、冬でもバナナやパパイヤが実っている。畑ではシミ(うずら豆)が収穫期を迎え、周囲に水が滔々と流れている。今やカトマンズへの近郊野菜の産地として、良い条件を備えている。村内で農業計画を作り、換金性の高い商品開発と農業加工品生産を考えれば、カトマンズという大マーケットを控えて、まだまだ発展の余地が大きい。女性や若者が地元で働いて暮してゆける農業と教育を結びつける仕掛け人が必要かもしれない。
(8)マレク
カトマンズのタンコットからポカラに向かって急坂を下りきるとノウビセで、ヤレヤレとホッとする。ダマン峠への分岐点でもあるのだが、ここの茶屋のキール(ミルク粥)が美味しい。さらに走るとトリスリ川沿いにマレクの茶屋が並んでいる。昔から「マレクの燻製魚」は有名で、車を止めて買い求める人が多い。トリスリ川とブリガンダキ、マレク川が合流する地点で、鯉科の魚と鱒科の魚が一緒に獲れた。ところが、最近は乱獲で資源が枯渇し、「マレクの燻製魚」は、ジャナクプルの養魚池で、化学薬品漬けで育った魚が、ご当地顔して売られているそうだ。つまり、ナッカリ(ニセモノ)だってさ。
街道筋の休憩地点には地元産品の屋台が並び、スンタラやトマトの5kgパックなども用意されて、少し、国内観光産業が動き始めた感じがする。もっともっと、国内観光は開拓の余地があると思うのだが。
マレクの川渕に数軒並んだ茶店の中で、ちょっと若作りの40代のお姉さんがいる店がある。ミルクティーは、ちっとも美味しくないのに、いつも満員です。ところが、隣の店の化粧をしないおばちゃんは、10歳とは違わないと思うけれど、ヒマ~している。ネパールの男性も、味より色気。みんな正直なのね。
伊藤 ゆき (会員番号1189)
ネパール報告:2009年8月7日~26日
目次
1.航空情報 1-2
2.外国為替情報 2
3.乗り物情報 2-3
4.道路情報 3-4
5.日常茶飯事情報 4-6
6. 都市事情 6-9
7.教育事情 9-12
8.海外移住・労働事情 12
9.住宅事情 12-13
10.女性事情 13-17
1.航空情報
(1) 香港快適情報
今回は、香港経由でカトマンズに入った。成田発キャセイ航空11:11-香港着14:50。カトマンズ着は、
同日の21:25。当日に着くので日程を有効に使えるのと、香港の待ち合わせ時間が少ないのが良い。香港空港は島だから、午後の陽に煌く海と遠景のビクトリア・ピークなどの異国風景が、待ちあわせの3時間を楽しませてくれる。作り物の白い鳥を配したバンコク空港より気持ちが良い。ただし、香港からカトマンズ間はキャセイの子会社ドラゴン・エアーの小さな機体になるため、成田での重量制限が厳しい。また、週に火、金、日しか飛んでいないので、日程が合わないこともある。また、機体が小さいので、チケット確保が難く、安くない。近い将来、経営上の都合で、ドラゴン・エアーはキャセイに一体化されるという情報があるが、できれば、大きい機体で毎日飛んでくれるといいなぁ。
学生の感想は、香港の空港職員(特に女子係官)が偉そうでカンジワルイ・・・それは、中国の伝統だね。
帰路は、カトマンズ発22:23分→香港5:30なので、しばらく仮眠をして、7時開店の各国ラーメン店巡りを楽しんではいかが?タイ風、日本風、韓国風など香港ドルで$66程度=1,000円弱。広州空港の「半煮え麺の固まりラーメン1,300円」の悪夢がトラウマとなって蘇ってくるけれど、かつての香港が残っていると期待しよう。食べるなら、朝の機内食は控えておきましょう。
(2) タイ国際航空格安情報
2009年8月15日成田発、8月24日カトマンズ発のチケットを6月末までの早割りで買うと、成田―カトマ
ンズが41,000円だった。1日でもずれると、数千円高くなる。さらに、7月に入いると、2万円も高くなっていた。要するに、お盆を上手に利用すると安くゆけるということなのだが、悲しいかなサラリーマンは最も高い時期に買わざるをえない。おまけに、バンコク空港内のホテル・ルイス・ターバンは、通常はツインで$123だが、この夏は一泊1人4,000円の割引キャンペーンがあった。上手にweb情報を利用すれば、空港使用料やバンコク空港のホテル一泊も入れて往復6万円程度ということもあります。ただし、状況は刻々変わってゆきます。こちらの都合に合わせて待ってはくれないので、高くなってしまいます。
(3) スリランカ経由カトマンズ
スリランカにも行ってみたいなぁ、カトマンズも行きたいなぁ、という願いが叶いそうです。以前は、バンコク
からスリランカへ行き、カトマンズに行くには再度バンコクへ戻らなければならなかったので、時間と費用を考えると、やっぱりカトマンズだけになっていましたが、今度、バンコク→スリランカ→カトマンズ→バンコクが可能になるらしいです。
(4)Trolley Staff
カトマンズ空港の荷物運搬車係員が、交通警官のような白地にライトグリーンの蛍光ラインのついたジャ
ケットを着るようになった。彼らの背には、Trolley Staff(=運搬車係員)と書いてある。要するに、駐車場に放置された荷物運搬車を回収したり、整理整頓をする係。「馬子にも衣装」で、汚れたツァッパル(ビーサン)を履いて、汗臭いシャツを着ていた頃より、ずっと見栄えが良くなった。しかし、Trolley1台に1人がセットのように付いている。「俺のだから、渡さない!」みたいに使おうとすると人間も一緒についてくる。当然、職務権益としてチップを要求する。姿変われど実態は変わっていないことを確認。
(5)民間国際航空線のお化け
ネパール航空(NA)の、利用者など全く眼中にない役人体質は、民主化になろうが、連邦共和制になろう
が変わらない。メンテナンスも信頼できないとネパール人が言う。それでも、日本に直行便が飛んできて欲
しいというお客さんの声を聞くことが多い。リスクを負いたがらない日本の航空会社が飛ばないのだから、採
算が合わないだろうことは想像に難くない。
ところが、今、カトマンズのビジネス界では、2011年の観光年に間に合うように、バングラデシュのダッカを拠点とする民間航空会社が国際線を飛ばそうとしているらしい。ゆくゆくは、日本へチャーターフライトを飛ばす(?)という話だが、この種の話、過去にもお化けのように現れては消えていった。日本では、お化けは季節限定で、秋風が吹くと、薄着なので出てこないが、ネパールはオールシーズン常駐なのかしらん?早めに確かな話を決めてくれるといいのだけれど。
* 今年10月から、香港-カトマンズのキャセイ-ドラゴン便がキャセイ航空のみになり、週5便になりました。月、水、木、土、日です(火、金なし)。全て、香港-ダッカ-カトマンズになり、ダッカを経由します。
しかし、出発時間、到着時間は変更ありません。急いで飛ぶんでしょうね。帰路、カトマンズ発は、1時間遅れて、23:15発ですが、香港到着時間は変わりません。真夜中1-2時にダッカに寄ります。昔、ネパール航空が飛んでいた路線です。
機体もエアバスになので、座席数も積載量も、大幅に増えます。魅力なのは、「低カロリー、低コレステロール」とか「ベジタリアン」など、食事が10種類くらいあること。せっかくなら、マルコポーロクラブのメンバーになると、特典がいろいろあります。
ネットで、キャセイ航空から直接購入すると、45日FIXで97,000円(諸税11,070円+成田空港使用料2,040円=13,070円を除く)。タイ航空はスポットで安いチケットがありますが、トランジット時間13時間が辛いし、もったいない+ホテル代が高い。選択肢が増えたことは、嬉しいですね。
(6)国内線運賃値上げ
何でもかんでも、値上げです。国内交通費は、昨年のほぼ1.3倍になっています。
国際線飛行機代(片道・保険料、燃油料込み)は、下記のようになりました。
これには、空港使用料(カトマンズ空港は170Rs)が含まれておりません。
カトマンズ マウンテンフライト $132⇒$157
カトマンズ-ポカラ $79⇒$91(ネパール人2670Rs⇒3470Rs)
カトマンズ-ルクラ $97⇒$113
カトマンズ-ネパールガンジ $128⇒$145
ポカラ-ジョムソン $69⇒$79
例えば、ジョムソンまで行くには、カトマンズ-ポカラ-ジョムソン(往復飛行機+3箇所の飛行場使用料)は、($91+$79)×2+510Rs+国立公園入域料1000Rs+バス等で、約4万円かかります。北海道格安ツアー(ホテル・バス観光・朝食付き)が、出来てしまいます。
ネパール人料金は、約半分から3分の1ですが、外国人値段を払って優先権を買い取るネパール人たちも少なくありません。
2.外国為替情報
(1)世界の基軸通貨が「USドル」、「Euro」、「中国人民元」になる日
自己主張世界一(?)のインド人たちは、ネパールはインドの一部だと思っている。ところが、ネパール国
民の心情は、大声で言えないけれど、「インドは嫌い!」なのだ。一方、連邦共和制になってから、ネパー
ル国内は、確実に「親中国」になってきている。庶民は安い消費物資が中国製なのを歓迎しているし、実際
その市場の席巻度はすさまじい。街のあちこちで、我々鼻の低い丸顔をみると「ニイハオ」「Chinese」という
声が耳を掠める。「No!Japanese!」と、むきになって応えるのも疲れるほどだ。かつては「コニチワ」
「Japanese」と囁かれ、なんとなくくすぐったく、優越感を感じさせられた同じ経験を、今、中国人観光客が
経験していることだろう。
歴史は変わるものだ。今や中国政府は、世界中のエネルギーを確保するため、強引な援助侵出策を進
め、「中国のアフリカ」「中国の中東」「中国の南アメリカ」を形成しつつある。アジアは、既に中国圏。そして、ネパールは地政学的にインドの一部であり、心情的に中国の一部になりつつあるようだ。5000年の「中華思想」の国は、世界の基軸通貨をUSドルと人民元に、世界共通言語を「英語圏」と「中国語圏」にする長期構想を持っていると考えるのは、あながち穿った見方ではあるまい。
(2) 2009年8月の交換レート
2009年1月には10円=8.83Rsまで上がったが、麻生政権末期の8月は、10円=7.6Rs前後だった。
自民が惨敗したら、急に10円=8.3Rsに上がった。もう少し前に解散していたら・・・10円1Rsの違いは、1万円で1,000Rsの違いだから、ホテル代が出るほど大きな違いなのだ。サッサと解散してくれれば良かったのに、いつまでも粘っているから、損しちゃった!
3.乗り物情報
(1)新米タクシードライバー
マハラジガンジのリングロード沿いにあるカトマンズ゙最大のスーパーマーケット(もっと大きいデパートが
空港に近いカマルポカリにできた。オープンしたばかりで、アメリカのようだという評判)へ行った。帰りにバスを待っても乗り継ぎしなければ家に辿りつけないので、タクシーに乗った。リングロードの真ん中で、渋滞の中をUターンする度胸はたいしたものだが、一向にいつものスピードが出ない。ちょっと行ってはブレーキ、そろそろと行ってはブレーキ。セカンドで走っていて、サードのスピードに達しない。坂道は、惰力で落ちる程度の速度なのだ。だんだん、今日が初めての運転じゃないかと、心配になってきた。何しろ、こちらは命を預けているのだから。
「運転、代わってあげようか?」と、喉まで出かかったのだが、やんわりと、「慎重な運転ですねぇ」と、話しかけた。「ええ、私はバスの運転手なんですが、今日は、友人のタクシードライバーが急用で休むからと、ピンチヒッターを頼まれたんですよ。道も知らなくて・・・・・」。やっぱり!
話をするのも、集中力を妨げるらしく、「そこを右」というと、右手を伸ばし指を右に差して頭を横に振る
(Yesのネパール表現)。「突き当りを左」というと、右手を頭越しに左に指差して頭を横に振る。ハイハイ、次は・・・・・「大丈夫、私が道を教えてあげるから」。
家について、メーターを見て驚いた。マハラジガンジからビジェシュワリまで、メーターで走るタクシーでさえ通常なら250Rsは取られるのに、163Rsである。どういうこと?しかも、タメルまでは6人相乗りだった!
つまり、普通のタクシーは、メーター料金といえども改造してあって、1.5倍~2倍の運賃が表示されるよ
うになっているということらしい。もっと、悪質なのは、外国人とみるや左手でメーターの下を操作して、500Rs近くを取る。170Rsあげたら(普通、小銭は繰り上げて払うもの)喜んで、家人に「門扉を開けて!」のクラクションまで鳴らしてくれた。普通タクシーの悪質さを、改めて知った。
(2)タクシーは、スズキ・マルチ
タクシーはインド生産のスズキが圧倒的だ。小型車の代名詞がスズキ、小型コミュニティー・バス(マイクロバス)はトヨタである。昔は、オンボロ車が多く、座ったとたんに座席のスプリングが飛び出していてお尻をグサリとか、座席が傾いていて座っていると振動でズリズリ前へ落ちてゆく不思議な座席とか、ドアが閉まらず中からしっかり押さえて、なんてことも珍しくなかった。ナイロンストッキングなど、入手困難なのに、乗るたびに伝線して泣かされた。
今は、排ガス規制と古い車種の輸入禁止、それにインドや韓国製の安い車が購入できるので、タクシーもマイクロバスもきれいな車が走っている。運転技術も抜群。徐々に、良くなってきていることは、確かだ。
ただ、猪突猛進型の自信あり過ぎ気性は相変わらずで、それは規則ができても改善されそうにない。
4.道路情報
(1)呆れたバンダ
ネパール人は、何かというと「バンダ(交通封鎖)」をすると、以前に書いた(2009.3)。年間263回あったと政府が発表している。最近は、夫婦喧嘩をして、夫婦それぞれが自分の正当性を主張するバンダもあったとかで、さすがのカトマンズ市民も呆れ顔。もう、怒りを通り越して、お笑いの世界です。自由は際限なく拡張していますが、公に対する「義務」という言葉がどこにも出てきません。神様が経典の中に、「働くことは最も尊敬すべきこと」「権利と義務は車の両輪である」と、書いておいてくれたら、どれほど発展したことか。せっかく憲法が改訂されるのだから、しっかり書いて欲しいし、ついでに、経典も時代に合わせて改訂版を出して欲しいなぁ(不信心者の嘆き)。
ビサバサキャンパスは、バンダや学生選挙の遅れなどが響いて、3週間も新学期開始が遅れてしまったそうです。それに、マオイストのプラチャンダは、ご禁制の「家族同伴海外旅行」を堂々とやってのけ、その間に「地域闘争再開」を指示したのだ。和平プロセスは崩壊し、10年間の悪夢が、またやって来るかもしれない。こうした経済的損失を気にしないだけ、ネパールは豊かなのだと思う。
(2) 警官の制服が変わった?
交通警官の姿をあちこちで見る。タパタリ(パタンへ行く橋の手前の交差点)は、女性だけの交通警察
隊が交通整理をしていて、元気はつらつ。格好良いですよ。指導しているのは、日本のJICAでシニア・ボランティアをしている馬場氏。
ところで、警察の制服が迷彩服から新しい制服に変わったのだろうか(?)上下とも黒無地に、白い英文字が入った女性警官をタメルで見た。何と書いてあるのか見えなかったけど。パンツの下の方にポケットがついているワークパンツスタイルだ。裾を編み上げ靴の上に出している人、靴の中に入れている人、様々で、その辺は決まっていないようですが、おニューらしく、これ見よがしに歩いていました。
でも、ストリートチルドレンや街娼を取り締まる警官は皆無です。タメルを仕切っているヤクザへの礼儀なのか、あるいは、共存関係にあるからか?
(3) カトマンズの玄関口に日本のODA道路建設中
空港から数分、カトマンズ市内への玄関口に巨大な看板が立ち、この道路建設が日本のODAで行わ
れると、デカデカと書かれています。一方はナヤバナショールを経てカトマンズの街中へ行く道、一方は直進してパタン外周からバクタプルへ向かうコテショール交差点へつながる大三角地帯です。2011年の“Visit Nepal Year”には、カトマンズのファースト・インプレッションの場所になるのでしょう。
20年前は、人も住まない湿地帯だったし、2-3年前は、水溜りや雑草が生い茂って、水牛の恰好の放
牧場になっていました。それが、いよいよ工事が進んできて、工事用駐車場になっています。カトマンズからバクタプルまでと、バネパからシンズリを経てジャナカプルまで、20年以上かかっている道路建設大工事です。なぜか、バクタプルとバネパまでの短距離間は、工事計画が無いのだが・・・ネパール政府は、当然日本が付録としてプレゼントしてくれると、思っているのかしら?最初6車線(片道3車線)という噂だったけれど、実際は4車線のようです。そんなに広くすれば、リングロードのように、両側1車線は、大型車の駐車場になってしまうでしょう。二重、三重に駐車していて、ゼブラ帯を駐車場にしてしまう大阪人だって、ビックリしそうです。
「これができると、東ネパールへゆくのに1日短縮され、しかも、カトマンズの渋滞がなくなります」と、ネパール人運転手はリップサービスを言ってくれる。確かに、ずいぶん揺れが少ない道路になるでしょうが、それより過積載の車が増える方が早くて、やっぱり渋滞は続くでしょう。さらに、オーバー・コンフィデンス(自信過剰)で、どこへでも突っ込んでくるので、事故が増えるかもしれません。おまけに、穴があけば、日本がメンテナンスをすべきだと主張するでしょう。
この沿線の土地バブルはすさまじく、あきれるほどの高値だそうです。それを、買える人々が沢山いることは、さらにさらにオドロキです!
5.日常茶飯事情報
(1)“ジャパニサンガ ビハガレコ?”
ポカラの仕立屋で、学生たちがクルタを仕立てるため採寸をしていたので、「身幅はゆったりめ、長さはこ
れくらい、後ろにファスナー(ポカラではチェインといっていた)をつけてね」と、通訳をしていた。すると、店の女主人と店員が、私をガイドと思ったらしく「ネパリ ホ?(ネパール人か?)」と聞いてきた。「ホイナ、ジャパニ ホ(いいえ、日本人です)」。ウッソー!納得してくれない。今度は「キナ、ジャパニ?(どうして日本人なの?)」と言う・・・・・どうしてって言われても、日本で生まれたし、長年日本人やってきからねぇ・・・困ったなぁ!さらに重ねて「ジャパニサンガ ビハガレコ?(日本人と結婚したから日本人なの?)」。
ポカラは日本人とそっくりな顔をしたグルン、タカリー、マガルなどモンゴロイド顔が多いので、ネパール人でも判別がつかないのかもしれないけど、もしかして、私・・・日本人じゃなかったのかも・・・心配になってきた。帰ったら、母のお墓へ行って聞いてみよう!
(2)サンカモール通りのミートショップ・ビル
ナヤバナショールからサンカモールへ行く道(サンセット・ビューホテルの道)で、サンセットビュー・ホテル
のナナメ前に、銀色に輝く4階建てのミートショップが開店した。ミートショップは1Fだけだが、ひときわ目立つビルだ。何も買わないのに、入ってみた。中は白いタイルと鏡張りで、めちゃくちゃ美しい。大きな冷凍庫には、各種ソーセージが真空パックされ、冷凍されて並んでいた。おいしそうだった。スモークしたソーセージや、殺菌の赤い色を塗りたくった肉もある。お鮨屋のカウンターのように、低いショーウィンドーの向こうに板さんが待ち構えているオープン・キッチンで、対面販売している。その場で鉈のような包丁で肉をたたききり、注文に応じた大きさに処理してくれる。
不思議なことに、鶏を捌いた後、網の上に乗せ、皮を上にしてバーナーで炙っていた。あれは、何だろう?身のほうまで火は通っていない。焼き鳥ではない。皮だけ焼くのは、殺菌なのだろうか?忙しそうだったので、聞きそびれたけれど、日本では見ない処理の仕方だった。次回、聞いてみよう!
(3)酒屋
パーティーをするので、ロキシーを買おうと思った。いわゆる工場生産されたもののみ販売が許可されて
いて、自家製のチャン(濁り酒、どぶろく)やロキシー(焼酎)、トンバ(シコクビエの発泡酒?)などは、販売し
てはいけないことになっている。美味しいロキシーが作れることが嫁入りの大事な条件だったそうだが、最
近は、街の住人はロキシーを自家製造しなくなったし、作り方も知らなくなった。手作りの食物や衣服は、お
ばあちゃんの仕事、ということになったのだろう・・・・ネパールも日本も。
さて、どこで買おうか・・・角のスーパーマーケットの地下1階で酒類を扱っているのを思い出して向かった
が、途中で新しい酒屋を見つけた。「ネパールのロキシーが欲しい」と言ったら、「ネパール人は、ローカル・
ロキシーを好まないよ」と、店主が言う。「えっ?どうして?」。「だって、外国人のパーティーといえば、日常
じゃ飲めない輸入品の高級なウィスキーが目当てさ。政治家だって呑みたくて、呼べば来るさ。味は良く分
からないから、ストレートで質より量だね。無ければ詐欺だって、帰っちゃうよ」だって。
次々と、シーバース(もどき)、ヘネシー(もどき)が出てくる。「ああ、これだ。これが一番好まれますよ」と見
せてくれたのが、ジョニーウォーカーのブラックラベル。お酒を飲まない私だって、怪しいのは分かる。外見
は、どれも全く本物のように見えるが安い。3本買って、5千円くらいだった。
中身、何が入っているんだろう?マ、いいか。
(4)ゲリラ商店
ネパール名物、路上販売はカトマンズ市役所にショバ代を払って、許可を得れば、歩道橋の上だろう
が、交差点の角だろうが、場所は好きなところにシートを敷いて開業できるのですって。ただし、ナワバリやボスが居るので、新参者は、良い場所に入るのは難しいとのこと。カリマティの野菜市場には市場経営者が居て、近郊野菜生産者が入るのが難しいそうです。
庶民は賢いから、夕方2-3時間だけ荷車の移動店舗を、商店街でない川沿いの道に並べたり、その日
の警官の動向に合わせて、臨時店舗を開く。その日売り切れるだけの商品を積んでいるので、結構新鮮で安い。たいがいは、行きつけの店があるものだけれど、時には、ゲリラ商店で値切って歩くのも、楽しい。
(5)職業選択の自由
ネパールの憲法ができた時からカースト差別的行為は禁止されていた。しかし、厳然とした差別があった。それが、マオイスト政権の暫定憲法では、ネパール国民は男女も民族も皆平等と明文化された。今、カーストの差別意識が壊れるより早く、職業制限が壊れ始めている。もともと屠殺業(カサイ=クサレ)や清掃業(チャメなど)、鍛冶屋(カミ=ビシュワカルマ)、仕立屋(ダマイ)の階層の若者は、その苗字を聞くだけ、あるいは仕事を聞くだけで階層が分かってしまうため、若者達は、あえてその職業につきたがらない。ところが、生活スタイルの変化や社会の変化で、それらの職業が、収入の良い職業であると気付いた上位階層の人々や他の民族の人々が、職業制限の崩壊を好機と捉えて、ドッと参入してきている。伝統的に受け継がれ、何の工夫も無かった職業を、他の人々が企業として携わることによって、様々な工夫も生まれてきている。
ようやく、職業差別の一角が崩れ、民主化が始まったようだが、カーストによって職業を辛うじて確保していたアウトカーストの人々は、伝統的な仕事を奪われ、新な仕事が手に入るのだろうか?
(6)物価高
公務員の給与(教師も含む)が、めちゃくちゃに高くなって、一体誰が払うのかと、日本と同じように財源を心配しているのだが、日常の物価もガンガン高騰している。夫に先立たれ、働きながら2人の子どもを育てているシングルマザーの友人は、野菜市場へ3回行ったが、高くて買えなくて帰ってきた。でも、子どもたちに食べさせないわけにゆかないので、4回目に少々買ってきたと、嘆いていた。
お 米: 1kg40Rs前後(10kg500円程度)。日本米 1kg65Rs(10kg800円程度)。
卵 : 1個 7Rs(9円程度) 10個パック
牛 乳: 1000cc 400Rs(50円程度)、500cc 21Rs(昨日まで20Rsだった)(27円程度)
リンゴ: 1kg(6個程度) 350~500Rs(500円~650円)
ダル豆: 1kg 120Rs(昨年は45Rsだった)(150円程度)
馬鈴薯: 1kg 90Rs(120円程度)
ミルクティー:1杯 6Rs(先月まで5Rsだった)(8円程度) スペッシャル 1杯7Rs
カリフラワー:1kg 130Rs(170円)
収入は、日本の十分の一程度である。「黒烏龍茶」の懸賞で、「米1年分 1俵=60kg」と出ていた。調べてみると、日本人の平均消費量は、1ヶ月に4.9kg、1日170g程度(1合140g)。しかし、うどん・そば、ラーメン、パン、スパゲッティー、ピザ、肉饅頭など、米に替わる炭水化物を、ほぼ毎日食べているから、総量としては、結構な量になるのかもしれないが、equivalenceが難しい。
ネパールの人々は、凡そ大人6人家族で1ヶ月に米100kg食べるそうだ。日本人の3倍食べていることになる。しかし、インディカ米は軽く、おかずは炒めた野菜ていど。カロリーが低いので、2回の食事で、大量の米を食べる。魚肉類はめったにないので、たんぱく質をダル豆のスープや米から接種する。カトマンズで、今までは、夫婦に子ども一人、持ち家であれば、月額3万ルピー(4万円程度)で、普通の暮らしができたという。しかし、理由が分からないまま、物価が高騰し、業者は売り惜しみをするため、庶民は暮らしが立たないと嘆く。そのわりに、スーパーマーケットは繁盛しているし、ファーザーズデイ、ティーズ、リシ・パンチャミ、インドラジャットラ、ダサイン、ティハール・・・・祭のたびに、市民の消費力がぐんぐん上がっていることが見える。
富が偏在して、格差が拡大しているのは分かるが、誰が富者で誰が貧者か、10年前とは構造が違ってきているように感ずる。
(7)コレラって、なに?
「西ネパールのジャジャルコットでは、コレラが流行っていて、すでに100人以上が死亡しているそうです」「チフスやアメーバ赤痢は、日本では法定伝染病として隔離しますが、ネパールでは常駐的な病気です」「鶏インフル、新型インフル、普通の風邪、より取り見取り、何でもあります」「南のタライでは蚊を媒体とするマラリアもあります」「肝炎は、いろいろなタイプがあって、A型は1回かかると免疫ができますが、他のタイプは、何回もかかる可能性があります」・・・・これだけ書くと、普通の日本人はネパールに来ない。
ところが、今の日本人は、医者でさえコレラもチフスもジアルジアも知らない。知らないとは強いことです。
8月に出かける前にTVで、「怪我をした場合、自分で回復力を持っている。消毒用アルコールで拭くと、沁みて痛いだけでなく、周囲の細胞を傷つけてしまう。きれいな水で洗うだけにすると、黄色い漿液が滲み出てきて殺菌し、回復が早くなります。キズパワーパッドは、治癒力を助けます」と、言っていた。
昔、子どもが海岸の岩で足を切った際、水で洗っただけ(救急箱が手許に無かった)で医者に連れて行ったら、「最良の処置でした。縫合面もきれいに出来たし、治りも早いでしょう」と、褒められたことがある。
今回、運よく(?)カトマンズで、ナナメになったドブ板の上で転んで左肘を切った際、持っていたミネラルウォーターで丁寧に洗っただけで放っておいた。キズパワーパッドは持っていたが高価なので、学生用に取っておくことにして、使わなかった。
ネパールの友人は、どんな細菌があるか分からないのだから、クロロマイセチン軟膏(抗生物質)を付けるべきだと言ったが、わが身で実験してみたかった。というのも、1ヶ月前に自転車から空中に飛んで、右肘をかなり擦りむいた傷の治り具合と比較してみようと思ったからだ。その際は、消毒用アルコールで拭いて、何もつけず、乾燥させておいた。さて、どちらの処置が早く・きれいに治るだろうか?
経過からみると、水洗いだけのほうは、回復力が盛んで、かさぶたが盛り上がり分厚くなり、全てのかさぶたが取れるのに2週間かかった。一方、アルコール消毒のほうは、かさぶたが薄く、パラパラと早く剥けて、10日間できれいになった。まぁ、傷の深さにもよるので、どっちが正しいかわからないけれど、一刻も早く、きれいな水で洗うことが、怪我でも火傷でも最も大切な手当てだということは確認できた。実験終了。
6.都市事情
(2)タメルのホテル
タメルのホテルの話なら、“ヒデー話”だと相場が決まっている。ところが、信じられないほど“お得”な
話。今回、卒論研究のために残った学生たち4名が泊まったタメルの裏手のホテルは、Goodだった。金曜日は、裏のディスコが騒々しいけれど、その他の日は静かで、従業員も穏やか。トイレ・シャワー付きのお部屋も、そこそこの広さ。シーツを足で蹴飛ばしたらT字に破けたと言ってたが、ご愛嬌。ガーデンもゆったりで、タメルが近くて便利でした。Webで探した時はツイン1泊で$22だったが、交渉の結果、契約した時は朝食付きでツイン$15。お一人様750円ていどということでした。ところが、チェックアウトの際にはルピー払いOKとなり、1週間で3,744Rsポッキリ!どうして経営が成り立つのか、お客が心配してあげたくなるほどでした。ネパールのホテルは、バーゲン(交渉)が可能なんですねぇ。
(3)ヒッピーの復活?
一時、閑古鳥が鳴いていたタメルだが、最近はオフシーズンでも外国人が多い。その中で、薄汚い風体をした日本人の若者達を少なからず目撃した。彼らは、いつも路地裏の小さな日本人ばかりが集る食堂へやってくる。お互いにあまり内情を言わないようだが、話している姿は、猫がナメナメしあっているような気持ち悪さ。“顔”風の日本人男性が、物知り顔に情報を分けてやっている。若い女の子は感激して、直ぐについてゆく(ここなら、直ぐにカリスマになれそう!)。すべて日本語、日本食、日本の知人の間でウダウダしているみたいで、物理的にネパールに居ても、日本から一歩も外に出ていない。
長年ネパールの地方巡りをしているが、怪しい外国人がたむろするタメルには関心が無いので、事情に
は疎いが、日本人ばかりでなく、イギリス人等も、1年2年と長逗留し、何する事もなく滞在しているそうだ。それらにビザを与える、形ばかりのネパール語学校もあるらしい。ほとんどが、ガンジャを常用しているとか。
お宅のご子息は大丈夫?30過ぎて出てゆかないのも、困るけどねぇ。
健全なお父さん、お母さんのための大麻(マリファナ)用語解説
●マリファナ:中央アジア原産の一年草で、葉や花に幻覚作用や中枢抑制作用をもたらすTHC(テトラヒドロカンナビノール)という成分を含んでいる。大麻全草を乾燥させ(2mくらいの1年草で、ネパールの山野のいたるところに茂り、牛も食べている)揉んで、タバコのように吸う。医療用麻酔薬にも利用されている。薄紙を巻いた葉巻もあるが、タバコと同様に、チムレと呼ばれる木をくりぬいた、クリスマスの爆発クラッカーの形をしたパイプを煙突のように縦に持って吸う姿を見たことがある。
●ガンジャ(ヒンディー語):花穂と実を樹脂と共に固めたもの(マリファナと同等)。
●ハッシッシ(アラビア語):樹脂成分を濃縮した固形のもの(液体・固体もある)を削って燃やし、その煙を吸引する。品質によって値段が大幅に違うそうだ。
●チャラス(ヒンディー語):雌株の上部と葉からとった樹脂に香料を加えて粉末にする(ハッシッシと同等)
●スティック(ブッダスティック 英語):竹串にガンジャを巻いて固めたもの。
●グラス(英語):カナダ、米国の一部、オーストラリアなど、習慣性が無いとして許容されている国もある。
●ハッパ(日本語)
マリファナより習慣性の強い薬物 (酒井法子や押尾 学は、こちら)
*麻薬=アヘン・モルヒネ・ヘロイン等。キセルや、皿を火で温め、パイプで煙を吸う。
*覚せい剤=(アンフェタミン 純粋な化学物質)。別名クリスタルメス、エス、アイス、シャブ、スピード等。
*MDMA=合成麻薬錠剤(3,4-メチレンジオキシメタンフェタミン)。別名エクスタシー、XTC、バッテン
*コカイン=コカコーラの原料のコカという植物から精製されるアンフェタミン。別名クラック。
*シンナー=セメダイン、ペンキやラッカーなどの塗料の溶剤に含まれる。
ネパールでも麻薬は法律違反である。しかし、内陸国なので、アフガンから東南アジアに繋がる様々な
麻薬の経由地であり、ハッシッシ、スティック、塗料やセメダインなどのシンナー類、コカイン、ヘロインなど
安直に買える状況がある。旅行者風男性なら、必ず、声をかけられることだろう。新宿歌舞伎町より簡単。
1960~70年代のカトマンズは、世界中のヒッピーのメッカだった。クスリで頭のいかれた、幽霊のような
外国人男女が、国に帰るお金もなく、タメル、ジョッチェンのフリークストリート、スワヤンブーの山麓などにふらふらしていた。夜になると、どこかの空き家でハッシッシ・パーティーが開かれ、足の踏み場も無いほど夢遊状態の男女がマグロのように転がっていた。ネパール人は、金持ちの不良以外はあまり常用していなかったが、今は、金余り現象の中で、ネパール人の若者にジャンキーが増え、ポカラでは牢屋のような精神病院が繁盛している。
民主化前のビレンドラ国王が、ヒッピーを排除するために高額な入国税を設定し、滞在期間を厳しく限定したことが奏功して、80年代後半にはほとんどいなくなったのだが、最近は復活傾向なのだろうか?昔と違って、ATMや国際携帯電話、インターネットカフェがあるので、親からの送金には困らない。優雅なヒッピー生活が送れるというわけだ。でも、一度カトマンズのぬるま湯のような居心地のよさにはまったら、抜け出すのは容易ではないだろう。
ハシッシは、タバコほど習慣性が無く、健康被害がないとする説もあるが、精神的な依存習慣性が高く、反社会的行動や非生産的な人間を生みやすい。日本で、JTが健康被害を及ぼすタバコを国策として専売し、大儲けしていたことを考えれば、マリファナ専売公社もあっても不思議ではなかったかもしれない。
(4)ストリートチルドレン
カトマンズのストリートチルドレンには、地域グループのテリトリーがある。一番悪質なのが、旧王宮通りのアンナプルナ・ホテル前、二番目がタメル、三番目はパシュパティナート、四番目はカンティパトとアッサントーレの入口の歩道橋付近、もっとも大人しいのがディリバザール交差点付近だと教えられ、パシュパティナート以外の地域を回ってみた。タメルとディリバザールでは、子ども達の様相がかなり異なる。ディリバザールの子ども達は10~14歳を中心に学校をドロップアウトした子どもたちで、東はダージリンから西はゴルカからバスを乗り継いできていた。シンナーを吸って目が据わっている者もいたが、組織度が低く、ダサインには家へ帰るという。頭の良い子がいて、学ぶことの面白さを知ったら、伸びるだろうにと、残念な子もいた。なぜ、シンナーを吸うのかという問いに、空腹を感じなくなるからと応えた。どんな交通渋滞の中も恐れもせずに鳥のように舞いながら歩き回り、車内の客に5Rs程度をせびり、またシンナーを買いに行くと、交差点の警官が嘆いていた。
タメルは外国人旅行者が増えたせいか、マオイストの村から逃れてきたのかわからないが、ストリートチルドレンが増加し、凶悪化している。10年前もストリートチルドレンはいたけれど、暴力度、薬物中毒度は高くなかったし、空き缶回収やゴミ山のくず拾い、新聞を売るなど、一応労働をして稼いでいた。しかし、今はタカリが主で、働いていない。近くの店主が言うには、働き口を与え、身なりを整え、住む場所を与えても、拘束されるのが嫌で、1週間ももたずに元に戻ってしまうそうだ。
一番日銭を稼せげるのが、赤ん坊から3歳程度の幼児たちだ。赤ん坊を抱えた母親と3歳の男の子が場所を分けて稼いでいた。姉は学校へ行き、父は別のところで乞食をしているファミリーであった。年齢的に多いのが12~15歳で、中学生くらい。それ以上になると、子ども達は職業を見つけて別の人生を見つけてゆくが、中には一箇所に拘束されるのを嫌って、タメルに舞い戻り、店の前にたむろしている。
ヒマラヤン・バンクの並びの商店の前や、シャッター脇の窪みで寝ている。付近の店主は、大小便はするし、開店時間にも店の前で寝ているので、足を引きずって移動させたり、大迷惑だと嘆いていた。しかし、それ以上はヒマラヤン・バンクのガードマンさえ、報復が怖くて何も出来ないという(何をガードするガードマンなのか、聞きそびれた)
午後9時半頃、連れのニュージーランド人の若い娘が、12~13歳のストリート・チルドレンにお金をせびられた。腕を捉まえてスーパーへ連れてゆこうとする。私は傍らで、母親のように大きな声で子どもを叱った。だが、気付くと、薄汚れた姿の10人近いストリートチルドレンが私たちを囲み、その外側に、スッと大人の男性が無言で立っていた。ものの1~2分のことである。調査中だったので、ネパール人の友人が駆けつけてくれて、何事も無かったが、彼らは刃物を持っているし、シンナーで頭がイカレているから、何をするのも怖くないのだ。
さらに、最近は、タメルにヤクザ組織が幾つかあり、ネパール語でダン(暴力団?)というそうだ。子ども達は組織に組み込まれている。一番稼げる低年齢層にシンナーや薬物を与えてコントロールし、稼ぎが悪くなった青年層がピンハネをする。ダンは、薬物の元締めでもあり、互助組織でもあるらしい。
子どもは、外国人観光客に「ミルクが欲しい」とねだる。「ミルクくらいなら」と合意する外国人を、近くのスーパーへ連れてゆき、牛乳パックのついでに150Rsもする輸入ビスケットもレジに出す(ネパール製ビスケットは10~13Rs)。支払いが終わると、脱兎のごとく消えて、他の店で売り払う。このようにして、1日500Rsくらいは稼げるといっていた。それらが、シンナーやドラッグの販売者の懐に流れる。もし、ほんとうに牛乳やビスケットを与えるなら、パックを破いて売れないようにして与えることだ。
(5)ストリートチルドレンが無くならない理由
こうした子ども達に対して、毎週土曜日10時に、ランチボックスを配るNGOがある。博愛の精神に基づいて、居場所や食事を与え、教育を施すNGOもあるし、職業訓練を試みるNGOもある。しかし、どれも、逃げ出されて、問題解決にはなっていない。ストリートチルドレン対策で有名になったCWINは、職員数500人を抱える大組織になり、UN(国連)の手厚い支援を受けている。CWIN代表は社会的地位を得て、偉そうになったが、近年、新しい調査は何もしていない。
この分野は、日本のNGOには手に負えないのか、「人権」を絶対的価値と考える欧米のNGOがネパール側のNGOに資金を与える形で活動している。ネパール側のNGOは、活動を写真に撮り、上手にペーパーを書き、外国援助団体から多額の資金を得ている。ネパールの上位階層(バフン、チェトリ、ネワールなど知識階層)にとって、NGOは社会的に見栄えの良い職業だ。ほぼ何もしなくても外貨が入ってくる。時には、外国へ招いてもらえる。それがまた、自身の経歴になる。NGOにとって、ストリートチルドレンがいなくなることは、生活資金と社会福祉専門家という名誉な地位を危うくすることになる。
ストリートチルドレンが悲惨であればあるほど、ショーウィンドーは説得力を増す。つまり、決してなくならない構造になっている。ヤクザもNGOも子ども達からピンハネするのは、同じことだ。カトマンズ市も警察も「取り締まりようが無い」と、最初から匙を投げている。トラフィッキングにも、共通する構造があるだろう。
先進国のODAにも通暁する「援助ビジネス(または貧困ビジネス)」と言えるだろう。ネパールは、社会福祉、社会基盤整備、資源開発etc....ネパール政府は、政治に夢中で、それ以外の全てに関しては、民間丸投げ先進国である。金持ちから稼ぐのは容易でないが、貧乏人から稼ぐのは簡単。小泉元首相が視察したら、日本の将来像はネパールにあると、絶賛したかもしれない。
(6)夜道の一人歩きは、危ないよぉ~
カトマンズでは良く歩く。家がスワヤンブーの麓なので、マイクロバスも少ないし、タクシーは高い。ビシュヌマティ川を渡った先は、タクシーも行きたがらない。捉まえるのもめんどうなので、つい、歩いてしまう。1日5-6kmは歩いているだろう。カランキスタンからパタンのプルチョークまで、臭いバグマティ川沿いに1時間歩いたこともある。リングロード内なら、たぶん大丈夫。かつては、ブルーナンバーの車(外国政府機関・国連関係の車)だったが、今は、ひたすら歩く。車に乗っていると、人間の目には見えているようで何も見えていない現実が、ちゃんと見える。お寺の脇のフェンスに「ここで、小便や大便をしてはいけません」という看板がかかっているのを見て「そういえば、ここはできそうな場所だわなぁ」と納得したり、バグマティ川縁にタルー族の家族が住んでいることを発見。ガネッシュの石膏レリーフを作っている工場があり、フェンスの中には私設ゴミ処理場があることなど、知らなかったことだらけだ。夕方は、あちこちに野菜荷車が出て、南瓜のつる(ファルシーコ ムンダ)が、1束なんと20Rsもするなんて!昔は、1Rsで貧乏人の食べ物といわれたけど、コリコリして、美味しいと、あきれながら歩くのも楽しい。1年、カトマンズに居たら、ウェストポーチのような腹部の脂肪が消えるだろう(排気ガスで、呼吸器の病気になるほうが確実か?)。
夜道も歩いて帰る。家人が「危ないからタクシーで帰って」というのだが、タクシーだって安全とは言いきれない。そこで、セッセと歩く。雨季というのに未だに停電のあるカトマンズでは、街灯も無い真っ暗な泥んこ道を歩くことになる。たまに通り過ぎるバイクや車のハネを避けながらも、そのライトが頼りだ。真っ暗な街、道はぬかるみ、シトシトと降る雨が肩を濡らし、ふっと生臭い風が・・・・・ヒュ~ドロドロ~と幽霊が出てきそうな・・・だが、なぜか、私の前に幽霊は現れない。ネパールには幽霊が各種いると聞いているので、是非一度会いたいと、かねがね願っているのだが、出てきてくれない。無視されたようで、不満である。失礼だ。友人にいわせると「幽霊の方が、何されるか分からないから怖がって出てこない」のだそうだ。
Anyway。いつもの通り、真っ暗な夜、ビシュヌマティ川に架かるビジェシュワリ橋を行くと、橋の幅を塞ぐように3人の男が立っていた。誰だろうと闇を見透かすように見ながら、セッセと歩いて行くと、「真っ暗な夜に~、一人歩きは~、危ないよ~」と言う。見ると、交通警官(最近、あちこちに居ます)がヒマそうに立っていた。そこで、「警官は、もっと怖いよ~」と言って、通り過ぎた。
後で、私は、やっぱり日本人ボケが抜けないなぁと反省した。歩くことが快感だったので、警官を見て、「ネパールでは警官が一番怖い生き物である」ことを忘れていたのだ。村でいざこざがあっても、絶対に警官は呼ばない。何の解決にもならず、余計な金を取られ、時には危害を加えられ、時には警察から永久に家に戻らないことも日常茶飯事だったのだ。最近の警官は大丈夫だろうなんて、甘い、甘い!
7.教育事情
2009-2010年度国家予算の内教育予算は、昨年度3.7%から一気に15%と4倍に跳ね上がった。大半が教員給与であろうと予測されるが、教育の質を向上させなければという声も、あちこちで聞かれる。政府は教員給与を毎年20%上げることにしたが、教員組合はさらに50%近い増額を要求してストライキを行なっている。しかし、長期休暇には学校を閉めて都会に帰ってしまう教員、何かと休暇をとる教員など、教員としての責任感や自覚については、以前と少しも変わっていないという声も聞こえてくる。
(1)SLC廃止
2008年度のSLCを最後に、ラナ時代に始まった全国統一高等学校卒業資格(SLC)試験が廃止された
今後は、各ゾーン(5つの開発地域)にイニシアティヴを持たせ、SLCと同様の試験を行う事になっているのだが、未だに今年の試験がどうなるのか発表されていない。経費も各ゾーンで持つ地方分権(?)なので、予算さえ組まれていない。それ以前に、連邦制はどうなるのか、どこで区切れるのかさえ、誰も知らない。今年の受験者はハラハラだろうと思うのだが、誰に聞いても、あまり心配していない。いざとなると2週間前準備でエイヤッとやってしまうネパール人だから、1年も2年も準備に多額の費用と日数と人件費をかける日本より、効率よくやってしまうのかもしれない。ただ、悩みは、各ゾーンや郡には、今までお任せだっただけに、政策立案能力やマネージメント能力のある人材がいないということだ。国名に“連邦”がついたのに、一向に連邦が現れず、連邦自治って、何だか分からないのが実情なのだ。
(2)教員研修制度廃止
全国統一のSLCが廃止され、教育が地方分権製作によりゾーンあるいは郡へと権限が移管されようとしている。同様に、長年続いてきた「10ヶ月教員研修制度」も廃止された。理由は、研修者率があがらず、教員給与を大幅に引き上げても、研修に膨大な費用をかけても教師が働かず、教育の質の向上につながらないからだそうだ。あれほど研修センター建設にODAを使い、研修手当と食事を付けて研修を奨め、ラジオによる通信教育や事実上の期間短縮まで行なってきたが、研修を受けた教員は30%程度である。
昔、ジャパからチトワンまでの研修センターを数箇所訪れて調査した。1箇所を除いて、街からかなり離れた地区に立派な研修室、会議室、食堂、研修者用宿舎棟があった。アジア開発銀行のODA(日本が主要援助国)で建設したと聞いたが、所長の豪勢な住宅には既に家族が住んでいたが、研修は始まっていなかった。古い研修施設では、研修者が中年以上の男性ばかりで、怠惰な雰囲気だった。こんな古参に今更研修をさせて、どうするのかと思ったが、年功序列の「手当てを得る権利」だったのかもしれない。
新しく始まった研修制度は、アメリカの教育メソッドを導入している有名校ラトバンガラ・スクール(パタン・ドカ)が併設している教員養成機関が、ネパールの事情に合致するように検証改訂して作成したメソッドを、政府の政策として取り入れ、トレーナーが地方へ出張して研修を行なうという。研修手当・食事支給をしないという話を聞いた(本当かどうか、未確認)。第1回は、すでにダイレクで9月から始まることになっていた。全国的にはどうなのか、未だ情報不足だが、SLCを含め「Quality Education」へ向かう流れは着実に進められているようだ。
後日の情報で、第1回のダイレク(西部開発地域の中央丘陵地域)は、雨季が遅れたため、激しい雨に見舞われて車が動かず、まともに実施できなかったそうだ。講師も、受講者も、会場へ辿り着けなかったらしい。
(3)私立学校国有化と、マオイスト指導者の行動規範
マオイスト政権では、時々私立学校の全てを公立学校にするという話をチラつかせ、私立学校経営者か
ら献金をせしめ、通学している子供や両親に不安を与えていた。もちろん、「できるわけがない」と、誰もが
思ってはいたが。プラチャンダを代表とするマオイスト貴族(90%が、口達者なブラーマン)は、自らの子弟
は高額な私学へ通わせたり、欧米へ留学させていたのだから。当然、批判が集中する。「それでも、共産主
義者か!プチブル(プチブルジョワ=小資本家)!」などと。(この言葉を知ってる年代って・・・・?)
そこで、2009年8月初旬に「マオイスト・リーダー(130人余)の行動規範」なるものが、発表された。
① 土地や家などの私的財産をすべて党所有としなければならない。
② 中央委員メンバーは、党が決定したプログラム以外で収入を得る仕事をしてはいけない。
③ 党が決定したケース以外で、NGOやINGOに携わってはいけない。
④ 汚職や密輸、あるいは党の名を騙って自身のために隠れて寄付を集めた場合、党は厳しく罰する。
⑤ 中央委員メンバーは、党の金で自分の子供を留学させたり、学費の高い学校に通わせてはならない。
⑥ 常備委員メンバーのみ個人で車を使用できる。中央委員メンバーは、バイクは使ってよし。
⑦ 中央リーダは2ヶ月に1日、中央委員は1ヶ月に1日、肉体労働をすること。
徹底した利己主義という価値観を持つブラーマンが大多数を占め、贅沢に慣れたマオイストの指導者層に
は“アリエナッイー!!!!”。“絵に描いた餅”って、このことね。
(4)学校建築ODA
雨季になり、1日16時間停電は短縮されました。でも、短縮であって解消ではありません。まだ、3時間ほどの停電はあります。パルン盆地から見たクリカニ発電所の人造湖には、水がたっぷり溜まっていて、3月とは全く違った風景でした。この国では、1日3時間程度の停電は生活に支障がないようです。日本だったら、10分でもパニックになるだろうことを考えると、日本がいかに人工的な国か、また、ネパールがいかに豊かな国かが理解できます。
不思議に思うのは、家の屋根に雨樋がないことです。屋根の下の地面には雨だれで、穴がボツボツあくほど、強い雨が降る。この無料の水資源を、誰も溜めようとしないのです。傾斜地の多いネパールでは、土砂崩れが頻発します。それでも、生活で一番困るのは水が無いことだと村人は訴えてきます。なぜ、溜池をつくるとか、各家に雨樋をつけ、その下に大きなタンクを置いて、雨水を溜めて利用しないのだろうか?バクタプルの有料老人ホームでは、中庭の地下に雨水タンクがあって、年間のトイレ用水は賄えると言っていた。せめて、JICAが援助して建設した1,000校近い学校には雨樋をつけて、トイレの水や、洗濯水にするフォローアップができないものか?簡単な活性炭のろ過装置で飲料水だって、つくれるかもしれない。そんな安い援助額の案件じゃ儲からないと思うだろうか?だが、フォローアップ、メンテナンスには良い案だと思うのだけど。なぜ、自然の恵みをもっと利用しないのだろう?もっとも、そうしたものは、全て外国援助でもらうものであり、自分達ですべきことだと考えていないのだろう。
(5)バフン(ブラーマン)が、足を引っ張る
全国の村落で、初等教育の就学率は、女子も含めて目覚しく上がってきた。ただ、卒業率には、まだ問題が多い。また、各所で、幼児教育も必要に迫られて始められている。しかし、中等教育(中学・高校)になると、女子の進学がストップする。特に、村落部のバフン(ブラーマン)は、生理が始まった女の子を外に出したがらない。何よりも血が穢れることを神経質に避ける人々である。他の民族の男性が好きになったり、他の民族の水を飲むようなことがあっては、一族全部が穢れてしまうと考える。私たちが毎年夏に訪れるグルンの村の向こうにも、2つのバフン(ブラーマン)部落があるが、そこでは、未だに、女性は台所口からしか入れないし、洗濯物を表に干すことは許されないそうだ。そして、そこの部落では、女子を中学に入れさせないのだそうだ(20年前の鹿児島でも、女性は同じような扱いを受けていた)。
ある寮の寮母をしていたブラーマン女性が、低カースト出身の寮生が食事の際に配った水を「あんたの水は飲めないわ」と拒否し、他のブラーマンの女子学生に水を持ってこさせたそうだ。そのため、先の寮生は、寮では差別をなくそう、誰でも同じと標目が掲げられているのに、衆目の中でそうした扱いを受け、大泣きをしたと聞いた。寮母は学生の掃除を監督したが、自分では掃除や雑仕事をしなかったそうだ。
今年、新規寮生を募集したところ、本人は学ぶ気持ちがあったのだが、父親が反対し、とうとう入学をあきらめた学生がいた。娘が親元から離れ、アウトカーストの学生と一緒に生活することなど、父親には耐えられなかったのかもしれない。
また、トリブバン大学の教育学部の教授は、典型的なブラーマン女性で、村から貧しい家の男の子をカトマンズに呼び寄せ、小間使いをさせている。小学校上級生くらいの男の子だが、レストランでは決して一緒に食べさせない。別席で待たせ、全員が食べ終わった後の食物を食べさせていた。そうしたブラーマンが未だに教師の70%近くを占めている。もちろん、素晴しい方々も多いのだが。
プライドの高いブラーマンにとっては、頑なに護ってきた浄性を、踏みにじられる社会情勢になってしまった。今まで、50%以上の国民が、理不尽と思いながらも耐えてきたカースト制の差別から、ようやく解放される状況になったことを、バフン(ブラーマン)は、苦々しく思っているのかもしれない。彼らは、下位の人々が教育を受け、発言するようになることが、未だに納得行かないのかもしれない。こうした骨身に沁みた価値観は、一朝一夕に変わるものではない。特に、それによって優位を保ってきた者たちにとっては。
(6)ノンフォーマル・エデュケーション(非正規教育)
非正規教育と言っても、さまざまなシチュエーションがある。①成人で学校教育を受けられなかった人向け(男女を問わず)、②女性の識字、職業教育、マイクロクレジット活動、貯蓄活動と組み合わせたもの、③ドロップアウトした子ども向け、④障害者向けなどがある。さらに、これらの中にも細かい区分がある。
ネパール政府は、非正規教育に力を入れているし、UNESCO、UNDP、DANIDAはじめ多くの国連機関やNGOが関わっている。日本UNESCO協会をはじめとするNGO,NPOも関わっている。
カトマンズで30以上の団体の現地代表を引き受けているネパールUNESCO協会を訪ねた。日本UNESCO協会も、提携団体の1つとして、仕事を依頼し、資金を出している。日本UNESCO協会の拠点はルンビニにあるそうだが、そこまでは行けなかった。
丁度、ノンフォーマル・エデュケーションのリーダー教育のワークショップを開催中で、教育省のお役人も来ていた。各地から選ばれた(実はカトマンズが主で、カトマンズUNESCO協会の職員も2-3人いた)リーダーたち10名程度が受講生であった。パワーポイントで、手際よく活動の概要が説明されて、午前中の講義が終わった。終わり際で、感想を求められたので、ネパールの方々は、学校を卒業すると、それでパーフェクトだと思い、デスクワークしかしない。だから、それ以上に進展がない。そこがスタートラインであり、毎日が学習である。学習の材料は、村のお母さんたちであり、貧しい人々で、彼らから学ぶことが沢山ある。それを学ばずしてネパールに必要なリーダーにはなれない。日本では、大学を出て道路工事に携わるひと、レストランで働く人も沢山いる。実際の仕事を自分でやってみないと、苦労は分からないし改良点も見出せないと、ぶち上げた。受講生たちは、ビックリした。さえないおばさんが言う言葉とは思えなかったらしい。
こうした、立派な「協会」が、豊かな資金で運営されるのは、悪いことでは無いが、誰に届いているのだろうか?ネパールで国際貢献ビジネスが好まれるわけが理解できた半日であった。
もう一つ、カトマンズ空港の北に位置するコパンの非正規教育の現場に行った。
就学前3-5歳の幼児クラス(保育園)、5-6歳クラス、6歳以上のクラスに別れている。1階は、スタッフ室、2階には保育室と低学年学習室、食堂があり、3階は図書室と会議室、医務室、ボランティア宿泊室があった。各部屋に保母さんや教師が2名程度つき、欧米の教育メソッドで指導が行われていた。保育室には、安全な午睡ベッドがずらりと並び、カラフルな大型遊具が溢れていた。図書室は、児童館さながらで、数百冊の各国語の絵本が部屋の周囲の低書架に、きちんと分類配架されている。医務室には常駐の看護婦と、週1度の医師訪問があり、薬品類も常備されている。日本の小学校の保健室より整った医務室である。広くて清潔な食堂は100人以上の子ども達を収容できる椅子やテーブル、食器類が整えられ、きれいに片付けられていた。
通ってきている子どもは無料である。両親の職業と民族によって、低カースト、低収入者に限られている。幼児はこの施設で1日を過ごし、小学校以上の子どもは、ここから小学校に通い、放課後をここで過ごす。成績の良い子は、スポンサーの奨学金によって上級学校へ進学し、SLCをパスして大学まで進学している子もいるという。私立学校のような教育環境にあり、女性教師たちも、高学歴で意識の高い方たちだった。
これらは、すべてドイツ、アメリカの援助と、地元ロータリークラブの援助で運営されている。そこには、ボランティアとして、精力的にセールス活動をして資金集めに専念するスタッフがいた。
「非正規教育」というと、施設の整わない薄暗い部屋で、自分の名前がかけるようにボランティアが教えているというイメージがあるかもしれない。だが、この現場も、非正規教育の現場である。かえって、公立学校より「インフォーマル・エデュケーション」と言ったほうが、寄付を集め易いフィーリングがあるのではないだろうか?
8.海外移住・労働事情
(1)イスラエル
ネパールへ行くたびに、海外労働者の行く先が変わっている。出稼ぎ先の変遷にしたがって、外国語学
校の数も変化する。出稼ぎに行くには、最低限の現地語が必要であり、そのほうが有利だというばかりでなく、語学学校が人材派遣のルートでもある。1年前、米国でサブプライム・ローンのバブルが弾ける前は、ドバイ、カタールなど湾岸諸国の砂上楼閣建設に大量の労働者が人材派遣会社から送り込まれていった。そのころは、韓国労働市場も活況で、1,000人単位で出かけていった。トリプリショールの国立競技場を取り巻く申請用紙を持った若者の行列に驚かされた。だが、今は、マレーシアもドバイも冷えてしまった。ところが、意外なことに、イスラエルへの出稼ぎが増えている。何の仕事?ヨルダン川西岸のパレスチナ自治区への住宅建設侵攻が盛んだといわれているが、危険な地帯での作業に使われているのだろうか?
(2)トニダード・トバゴ
知人が、念願かなってアメリカの研究所に就職した。アメリカといっても、赴任先はカリブ海のトニダードトバゴのトリニダード島だそうだ。妻子を連れての赴任だから、ちょとやそっとでは、帰らないだろう。長男家族が居なくなった大きな家は、ひっそりとしている。残された家族は、老母と妹のみ。母親が病気になっても、亡くなっても、帰ってこないだろうことを、家族は覚悟しているのかもしれない。老母は、気丈にも、息子の将来を思って、悲しさに耐えて、送り出したに違いない。ダサインには、家族中が帰ってくるものなのに、誰も帰ってはこない。これから向かう冬には、部屋が暖まることも無いのだろう。今や、カトマンズの多くの家で、家族が揃わないダサインを迎えざるを得ない状況だ。
若い夫婦は、留学中にアメリカやイギリスのドライな空気を吸って育つ。価値観を形成する一番大切な時期に、自国を留守にしているため、帰国してもネパールのウェットな価値観、緊密すぎる人間関係に馴染めずノイローゼになる者もいる。ネパールに住むのもたいへん、出てゆくのもたいへん。
しかし、毎日交わされた孫とおばあちゃんの会話を、コンピュータが補ってくれている。国際電話が驚異的に安くなった。スカイプやiPodで、音声も画像も交信できる。ネパールは、遠い国ではなくなった。日本のように、通信業者の独占を許し、外からの情報流入を阻んでいる国は、鎖国と同じ状態なのに、中の人々には知らされない。驚くほどPCの普及や生活の中にITリテラシーが普及していない国は、世界から置いてきぼりにされる可能性が高い。
(3)アメリカのチベット人受け入れ政策
アメリカの永住権とグリーンカードを得るには、チベット人になるのが早道。アメリカは、経済では中国重視だが、人権に関してはチベット擁護の立場をとっている。
中国によるチベット人への圧力は国境をお構いなく越えてくる。ネパール国内では、チベット人たちの集会は許されないし、ダラムサラへのトランジット地点となっていたカトマンズのチベット難民支援センターも閉鎖された。
アメリカへ出稼ぎに行くのはネパール人でさえ容易ではないが、モンゴロイド系の民族は、チベット人に化けることができるという話をきいた。どのように演技するのかは、知らないが、チベット語を話せなくても、問題は無いらしい。アメリカ到着後、3日程度で憧れの永住権が得られるらしい。ただし、その先の生活が安穏であるかどうかは、保証の限りではないが、国籍を捨てる気なら、私だって、化けられるかも????
9.住宅事情
(1) カトマンズ盆地の同心円構造
カトマンズ市、パタン市、バクタプル市ともに、旧王宮がある中心地は、古くから四角い中庭(チョーク)を
囲むネワールのバハ(ネワールの僧院建築様式)があります。高い階層の一族が集団で住み、昔は100人規模の大家族だったそうです。川へ向かって中心から離れるに従って、技術職階層の人々が住み、アウトカーストの人々は、街区には住めないというコミュニティーの形があった。それは中世の都市国家であり、ネワールの農民(ジャプー)は、都市から郊外の農地に通勤する、ヨーロッパの城塞都市(ブルク、プール)に似ていたし、基本的に江戸の街造りも同じです。
ゴルカ勢力がネワールを制圧し、ゴルカ王朝を樹立した後は、バフンやタクリ、マルワリなど、富裕層も移り住んできたが、中心は依然としてネワールの街区であった。この富裕なバフンやタクリは、今でもタライに広大な領地を持ち、アディヤ(農業専従者)を住まわせ、荘園の収穫で年間の食糧に不自由しない人々が多い。街の周囲を流れるバグマティ川やビシュヌマティ川の縁には掃除や食肉解体、洗濯階層などが住み、職業分担が決まっていた。カースト階層は上下一セットであり、コミュニティーの生活に欠くことのできない職業の相互依存関係があった。そのため、上位階層の者が下位階層の職業を侵してはならなかった。
1990年頃までは、街の外周を流れる川の向こうがわ、リングロードの内側も豊かな畑だった。しかし、今
は外部から移住してきた様々な民族が混在し、畑地も湿地も全て家で埋め尽くされた。さらに、リングロー
ドの外には、古いネワールの穏やかな村が点在し、“デス(国の意)”と称するしていた。夫々のデス(国=
村)にはクマリ(生神様)が居て、デスとデスの人々を護っていた(現在でも存在する)。クマリは、村の境界
線である外周の川を渡って外へ出ることさえ許されなかった。しかし、そんなことにお構いなく、“コロニー”
と呼ばれるピンクやブルーの瀟洒な分譲住宅群が数十軒、100軒と固まって出現し、古いネワールの農
村が消えかけている。
その外側、盆地の外周丘陵に這い上がるように、チベット人が住みだした。あちこちに壮大な僧院を建
設し、多くの修行中の小坊主たちが住んでいる。どこに、そんな大金があるのか分からないが、コンクリート作りの立派な僧院である。ナーモブッダやコパンが特に有名だが、ダクシンカーリーへの道には何軒もの僧院が並んでいる。
このように、カトマンズの盆地は、単純化すれば、カトマンズ、パタン、バクタプル、キルティプルの旧ネワールの国を核に、外へ外へと民族の輪がチャイナ・マーブルのように広がっている。
(2)ネパールの水事情も、ショーウィンドーの中
「ネパールには、ヒマラヤという世界1の観光資源と、世界第2位の水量というポテンシャルがある」「ネパールは、世界の最貧国。援助無しには生きられない」・・・・・30年前から、聞き飽きるほど聞いている。だが、一向に誰も手をつけない。きっと、外国人向けに公開されたガラスケース入りのお宝なのだろう。
しかし、庶民は、毎日の飲料水さえ入手できない。水道は、1日2回、雨季でさえ2-3時間ほどの時間給水だ。狭いアパート暮らしの人々は、昼間仕事をしているので、ポリタンクを共同水道へ持って行き、運ぶ人もいない。そうなると、夕方になってご飯を炊く水を隣人に借りに行かねばならない。運よく給水時間に帰宅できたとしても、ポリタンクを共同水道に並べて、夕方の忙しい時間に、暗くなるまで、延々と待たなければならない。
中流以上の一戸建て家屋には、地下にタンクがある。ここへ、シャワー用、トイレ用、洗濯用の雑水を必要量に応じてタンクローリーで購入し、モーターで屋上の黒い水タンクに汲み上げる。1回に1,000Rs程度。さらに、飲料水や料理用は、1本5ガロン(19リットル)90Rsを配達してもらう。水代だけで、日本よりかかるかもしれない。
こんな出費と不安と不便を各家庭に強いているのに、政治家は、冒頭のお題目を、30年以上も言い続けて、外国投資を懐に入れようとする。イイカゲンにネタは割れているのに、まだ、引っかかる人がいるのよね。振り込め詐欺と同じじゃないかしら。
10.女性情報
(1)スーパーマーケット
マハラジガンジのスーパーマーケットで、カトマンズの中流家庭のライフスタイルの変化を感じた。1Fは、
食品雑貨売り場、2Fは台所用品、3Fは家電。エレベーターもエスカレーターもある。駐車場も完備した郊外型ショッピングセンターで、日本で言えば、ダイエーやイオンに匹敵するほど豊富な品揃えだ。1Fの冷凍食品売り場を見ると、魚、肉、海老だけでなくモモやピザ、パンケーキなども冷凍され、既にレディーメイド食品が冷凍で売られている。働く主婦が多くなったことや小人数で食費にゆとりがでている影響だろう。主婦が当然各家庭で作っていたはずの漬物(アチャール)も、様々な種類のパックや瓶詰めになって並べられ、良い商売になっている。近々電子レンジ「チン」が普及すれば、調理済み食品がもっと増えることだろう。つまり、今、カトマンズは加工食品事業起業のチャンスであり、何であれ食品業種は成り立つということだ。留学にしても出稼ぎにしても、海外でコンビニ生活に慣れた人々は、今更手のかかる伝統食品を作らないし、作れない。だんだん、行事の際だけにつくる特別な料理になってゆくだろう。
何でも、値段交渉してコミュニケーションしながらの商売が成り立っていた。いまのところ、ブルーシート1枚の個人商店も健在だが、いずれ、外からの流入者が増えるに従い、会話なしの定価販売型が増加し、定着してゆくということになるだろう。若い母親は、ATMから現金を引き出し、私立学校に通う子供をお迎えがてらスーパーで冷凍の出来上がり食品を買い、ついでにソフトクリームを買い与えて、手を繋いで帰る。
子ども達は朝から家庭教師がやってきて、勉強勉強の1日を終え、TVを見ながらインスタントの食事をし、肥満児が増えてきているという。
戦後の日本が辿ってきた階段を、カトマンズの女性たちは駆け足で登ってくる。
(2)ケータリング文化
ネワール社会は、何かとボージュ(Party)が多い。
家族や身内だけのボージュは、リビングルームのおしゃべりから始まる。お客は、よくまぁ、大きな声でしゃ
べる。これがストレス発散には最適なのだろう。おしゃべりが終わると食事の列に招かれ、手を洗って次々
にムシロに座る。自分の前の床を水で濡らして清めると、そこへ食事が置かれる。毎日の食事は、ターリー
と呼ばれる真鍮やステンレス製の大皿に、ダルバート・タルカリが盛られるが、ボージュの場合は、使い捨て
の木の葉を繋いだ食器が使用される。まず、自家製の濃厚なロキシーを素焼きの杯で受けてお浄めをする。日本人から見ると、ややお行儀が悪いのだが、こちらでは手で食べるから、どうしても屈んだ姿勢にな
る。食器も床も右手も、すべて穢れとなるから、左手は清いままにキープしておかなければならない。招待し
た側の女性がお客様と一緒に食べないのは、給仕をする人が穢れてはいけないからだとか。と、いうのは
建前で、台所で女だけで噂話をしながら食べるのが、楽しいのだ。男は正治の話、女は姑のイジメや噂
話と昔から決まっている。
最近は、スプーンとフォークを出す場合が多い。中には「ボクは、スプーンじゃないと食べられない。辛い
のは苦手」と、気取っている若者もいるが、両手で食器を持つのは、禁忌なのだ。そうでなくても、指で食べ
たほうが食物は美味しい。つまり、食物を指で食べるためネパール人は、「猫舌」という結論になる。最後に、使用された食器は、ジュト(穢れたもの)として、全て捨てられる。
一方、結婚式などは、知人・親戚を呼ぶと1,000人~1,500人くらい集ることも珍しくない。特に、外国人
を招くのが好きで、ステイタスシンボルになるのだろう。クリスマスのようなイルミネーションを家中に巡らし、楽隊を呼び、自宅の庭にテントを張って、にわかにパーティー会場が出現する。最近は、ホテルを借りることもあるが、まだ庶民は自宅が多い。そこへ、巨大な洗面器や鍋を抱えてケータリング屋さんが、やって来る。あっという間に調理場ができて、その場で調理を始める。最初は、椅子席の間を、スタッフが飲み物とスナックを持って回る。片手に、おしゃべりが延々と続き、「食事はまだかなぁ」と、つぶやきたくなる頃、夜8時ごろになると、ようやく食事が整い、ディナー皿を持ったお客が列を作る。
予算に応じて、ロティー、ナーン、白いご飯、フライドライス、数種のカレー、野菜炒め、ダル、各種アチャールなどが並べられる。お客さんは、食べるのが早い。お皿を抱えて、飲み込むように、貪り食う。終わると、お皿を椅子の下に置き、デザートを食べて、あっという間に帰ってゆく。再度食物を取りにゆくのは、良くないらしいしい。お皿の数で、何食賄ったかを計算し、請求書が作られるからとのこと。
デザートは、甘い、甘~い、これでもかというほど甘い、ラスワなどネパール菓子と、最近はケーキやアイ
スクリームが出る。ただし、生クリーム製品には注意しないと、当たることがある。デザートとミルクティーを戴いて、食事終了。お客はさっさと帰る。食べるまで帰らないけれど、食べたら、さっさと帰る。これが礼儀である。つまり、戦前の日本と同様に「食べさせる」「飲ませる」いうことが、とても大きな意味を持っているのだ。
上記のような大パーティーと違って、身内の祝いやダサイン、ディハールには各家でお正月のような準備
をする。それでも、50人くらいは、直ぐに集る。それらのボージュに、最近は家庭デリバリーのケータリングが流行りだした。中年になり、お手伝いさんも娘もいなくなった家庭では、祝い料理を作るのもたいへん。そこで、注文に応じて、お菓子から、各儀式に決められた供物、食物一切を整えて、時間に配達してくれるケータリングが重宝されている。そこそこのお金さえ出せば座っていれば良い。
昨今は、女にとって、ずいぶんラクになった。それらの、家庭内ボージュの作り手も、女性組合の起業によるもので、柔軟に相談に乗ってくれる。アチャールづくりも、女性組合が起業している。なかなか、主婦の仕事としては、良いのではないだろうか。日本では、女性が家事から解放される時代が到来してから家事がビジネスになるまでにタイムラグがあった。しかし、ネパールでは直結していて、スタートが早い。
中流家庭からお手伝いさんが消え、スーパーマーケットのレディメイド食品が売れ、ケータリング(宅配食)が喜ばれる。家事が楽になる一方で、私立幼稚園の前で、わが子の帰宅を待つお母さんの混雑が見られるのも、ライフスタイルの変化だろう。
(3)ティーズ
2009年8月22-23日は、ティーズという女性だけの祭だった。これは、ブラーマンとチェトリの女性が、
夫の健康・長命を願い、夫に仕える貞淑な妻達の供養祭である。妻が夫(シバ神)の犠牲になることに幸せ
を感じる、誉れ高い祭りなのだ。夫が死んだ後、荼毘に飛び込み、後追い自殺をすること(サティー:法律で
禁止された)が、最高の貞女と賞賛された価値観に通じるものがある。男尊女卑のシンボルのような祭だ。22日の真夜中0時から23日1日中、そして24日のリシ・パンチャミ(導師の教え)の沐浴が終わるまで
断食をする。最近は健康のために水やジュースは許されるが、敬虔なヒンドゥー教徒は自分の唾も飲まな
いとされている。
真っ赤なサリーを着て、結婚の際・その後に夫からもらった宝石類を全て身につける。街中、真っ赤だ。
80歳になっても、夫が生きていれば、真っ赤なサリーを着る。本来、サリーはネパール民族の衣装ではなく、インドの影響を受け、教育歴の高いブラーマンやチェトリの権力を誇示する衣装であった。しかし、最近は、既婚者も活動的なクルタ・スルワール(チュニック丈ワンピース+パンツ)を着て、サリーを着なくなったが、ティーズにはサリーでなくてはならない。ティーズが近くなると、仕立屋さん(アウトカーストのダマイでなく、ネワールの女性が多い)は大忙しになる。真っ赤なサリーに新しいファッションの金の刺繍やビーズ、スパンコールをキラキラとつけたサリーを新調する。また、既婚者を意味するビーズのネックレスも新調するのか、ビーズ屋さん(ムスリム男性の専業)が集るインドラチョークは、ごったがえしていて、暮の御徒町のようだ。
22日に、パシュパティナートへお参りに行くと、グジェシュワリ寺院まで交通規制されて、車は入れない。
真っ赤なサリーの長蛇の列が続く様は、壮観であった。暑いギラギラした日射しの下で、水も飲まずに数時
間も待っているのは体によくない。23日にリシ・パンチャミが終わると、パシュパティナートのあちこちでグル
ープごとに、食べて、踊って、歌っての野外パーティーが開かれる。とても楽しそうだ。
このティーズの翌日の新聞に、ヒシラ・ヤミさんが真っ赤なサリーを着て、踊っている姿が掲載された。
「エッ?」と、目を疑った。彼女は、宗教を否定するネパール共産党毛沢東のトップリーダーである。男尊女
卑をぶっ飛ばす傑女である。夫のバブラム・バッタライ氏はブラーマンだが、彼女はネワールである・・・・ワ
カラナイ!まして、あの方が踊るなんて!
東京でも、旧王統派、ネワール、マオイスト別のティーズが開かれたらしい。その中で、マオイストのティー
ズには、400人もの在日ネパール人女性たちが、旧王統派も圧倒されるような宝飾類に身を飾って集った
のだそうだ。そんなに沢山マオイスト支持のネパール人女性が東京に住んでいることも驚きだが、なぜティ
ーズに、というのも理解できなかった。2008年5月の市民革命以後、ティーズは従来の上位階層の権力誇
示、男尊女卑の意味が削除され、単に、「女性の祭り」になったのだそうだ。でも、ウィメンズ・デイというのも
あるし、マザーズ・デイもあるし・・・・もともと、ネパールは女神信仰の国だから、神様だけでなく生きた女性
も尊敬するようになったのなら、それは、めでたいことである。
しかし、カトマンズ近郊の、仏教徒タマン族の村では「ティーズは女性だけ公休日」にも関係なく、「ティーズがどうした?」という風だった。その中で、1人の女性が子どもの手を引き、キラキラの赤いサリーを着て、「私は、バフンよ。貞淑な妻よ!」と、これ見よがしに歩いていた。まだまだ、バフンやチェトリの優越感は無くなっていない。
(4)妊娠8ヶ月の祝い「ダヒ・チュウラ クワウネ」
ネワールの女性は、妊娠8ヶ月の祝いをする。この日は「ダヒ・チュウラ クワウネ」と言って、出産前の娘に、ヨーグルト(ダヒ)と干し飯(チュウラ)や、「食べたい」という食物を食べさせ、栄養補給をするという日である。
友人の娘は、既に、臨月のように大きなお腹の妊婦。儀式の時だけ赤いサリーを着て、パーティーでは、今風にニットのチュニックと黒のスパッツ姿に着替えていた。
病院では、自然分娩なら朝に入院すれば、その日の内に自宅へ帰るし、午後の出産なら、次の日には退院する。一方、ミドルクラスでは、開腹手術で出産するのが一般的で、星占い師と相談して、都合の良い日に出産ができるそうだ。痛みは無いし、子どもは1-2人しか産まないので、医者も妊婦も楽なのだそうだ。
ボージュに集ったのは両親の年齢層ばかり。若者は、出産を前にした若夫婦のみ。一族の娘・息子世代は、全員がアメリカに住んでいて、孫はアメリカ国籍を持ち、英語で育っており、あちらで家族パーティーを開いている。はっきりと年代が分かれている。叔父さん、叔母さんたちは、供養に必要な料理をケータリングで配達してもらい、ネワール語で、ネワールの伝統文化に浸って、気兼ねのない平安なひと時を過ごしていた。女性15人男性4人で、圧倒的なボリュームの女性たちのお尻が見事に並び、おしゃべりに花が咲き、男性がサービス役を務めている。カトマンズのど真ん中で、他民族の入らない、ネワールだけの時間。
やがて、話題は、お約束事のように、老後の話に移った。「若者は誰もいないのよ。誰も帰ってこないのよ。留学に送り出した時は、サクセス・ルートに乗った娘や息子が自慢だったわ。そうしなければ、ミドルクラスのファミリーとしては顔がたたないからね。でも、どうするの?毎日父母の世話に追われ、気付けば私もトシよ。誰が私を世話してくれるのかしら?」
(5)ネワールの生神様クマリ訪問
カトマンズ、ラリトプル、バクタプル、ブンガマティには、その“国”の守護神として、クマリ(ドゥルガーの化身)が存在する。このうち、2日間でカトマンズの現役クマリ、リタイアした元クマリ、ラリトプルのクマリ、ブンガマティのクマリに会い、お話を聞いたが、バクタプルのクマリには、お会いしていない。カトマンズのクマリだけがサキャ一族から選ばれ、特別なクマリの館に家族とは別居し、土の上を歩いてはいけないので、学校に通わず、家庭教師が毎日通って学習を助けているが、他の地域のクマリはバジュラチャリャ一族の娘が選ばれ、日常は家族と一緒に暮し、学校にも通っている。ただし、骨折したり、大きな怪我をすると、生理がくる前であっても、リタイアしなければならない。ロイヤル・クマリも生理が来ると交代するといわれているが、実際には、そろそろその時期であるとして12歳でリタイアとなるのだそうだ。
学生の卒論調査に同行したので、詳細は書かないことにしよう。
カトマンズのクマリだけが、ロイヤル・クマリ(国家のクマリ)として、別格な地位を得、リタイア後は政府から月額3,000Rs弱の年金が与えられている。この金額は終生変わらないそうだ。中世ネワールのマッラ王朝から始まったとされ、諸説がある。
王制の頃は、国家の吉凶を占う重要な役割を担ってきたが、連邦民主共和国になり、世俗国家となったネパールでは冷遇された。国外からの「幼児虐待」「人権侵害」などの批判が浴びせられ、同調したネパール人人権運動家からも非難された。しかし、ネパールの世俗主義は、全ての宗教に関わらないのではなく、全ての宗教行事を受容するという世俗主義なので、沢山の民族に関わる休日ができた。そこで、インドラジャトラの主役のクマリも、伝統文化として存続することになった。
元クマリで、歴代クマリの中で初めて情報科学を学び、大学を卒業(BA=学士)したラクシュミさんは、自伝も出版しているので、是非読んでいただきたい。この本を読むと、今まで選考条件として公表されてきた内容が、必ずしも実際とは一致していないことが分かった。2006年にお会いした時より、神性というか、一種一般人とは違う輝きが、少々薄れたように感じた。お話を聞いてゆくうちに、ネワールの様々な職業階層、サヤミ(油絞り階層、マナンダール)や、ナカルミ、シカルミ(大工階層)の役割、バジュラチャリャ(僧侶階層)の役割などが語られ、多くの階層が連携しあって祭りを支えている構造が見えてきた。京都の祇園祭を支える地区の人々の熱い思いと共通するものだった。
ラリトプルのクマリは、マチェンドラ祭を撮影したNHK特集「地球に乾杯」に詳細が撮影されている。撮影したのは、ビジュアル・フォークロアの弘 理子さんで、そのフィルムをみると、地域とクマリの深い繋がりが良く分かる。ラリトプルの現役クマリは7歳だが、お姉さんも従姉妹もクマリだった。つまり、バジュラチャリャ家の姉妹・従姉妹はクマリ一族であり、おじいちゃんは占星術師として高名な方だ。ラリトプルのクマリの神様は、インドのアッサムに発する神で、この地を護る為に、お越しくださったとのこと。ロイヤル・クマリの伝説とは異なる譚が伝えられている。
ブンガマティのクマリは、現在3歳だが、ラリトプルのクマリとは親戚とのこと。3歳でもちゃんと自分がクマリであることを自覚している。「明日は参拝者が来るわ」と言って、朝から顔を洗い、自分で衣装を着替え、お化粧をするのだそうだ。
彼女たちは、地域の守護神、国家の守護神だから、その地域(国と呼んでいる)から出ることは、許されない。バクタプルのクマリが許可無くアメリカへ旅行したことについて、元クマリもバジュラチャリャ一族も自分の役割に対する自覚が足りないと、批判的だった。こうした、土地や国を護る神様が、多くの人々に支えられながら、脈々と生きている文化に一歩踏み入ることを許され、敬意と感動の2日間だった。
(6)女性オリンピック委員会
8月末の土曜日、ゴカルナへ植樹祭に学生と一緒にでかけた。オリンピック委員会の環境保全キャンペーンの一環として、ゴカルナの各地で学校の生徒と一緒に植樹を行うとのことで、ネパールオリンピック委員会副会長のタパ氏が案内してくれた。元警官でボクサーだったという、なかなかダンディな方で、白洲二郎ほどじゃないけれど、ジーンズの似合う中年だった。
我々は、女性オリンピック協会が担当している地域へ行った。会長は、ラナ家の女傑。来賓はドウディーを着た、ナントカいうマデッシ出身の大臣だったが、ラナ家の方のほうが迫力があった。全体の雰囲気としては、旧王統派かな?だいたい、どこの国も、スポーツ界は保守系、右翼系なのね。
ご多分に洩れず、ネパールのスポーツ界も政治色満載。誰と付き合うかで、その先のルートが分かれてしまうから、最初が肝心。要注意!要注意!
ネパールからオリンピックに出場した女子選手は、テコンドウと柔道だそうで、3人のオリンピック選手が来ていた。とても偉い、有名人らしかったが、話は弾まず、一緒に箱入りの不味いランチを食べただけだった。 学生がチアリーディング協会をネパールに作りたいというので、コンタクトをとったのだが、外国人だと、ひな壇にまで座らせてくれてしまうのが、ネパールなのです。雛壇上に10人も居たので、スピーチが回ってこなくて、助かった!
(7)パルンの女性たち
パルンの農場へ行った。ラリトプル郡の西隣り、ダーディン郡の南にあるマクワンプル郡である。ヒマラヤの南傾斜地の標高1,000m付近にある小さな盆地で、南にクリカニ発電所の人造湖が見える。その向こう、ヘトウダを越えてビルガンジ、そしてインドに繋がる。ノンビリした、近郊農村で、道路沿いにネワールの家屋が並び、奥にはタマン族が多い。
タマン族は、日本人と良く似た顔立ちで、宗教的な禁忌が少ない。女性が結婚の際の持参金や嫁入り道具が不用で、男性が全部用意してくれる。家の格よりも、好き合った男女が結婚するのが自然とされている。女性の生理も自然なこととして、不浄扱いされたり、家の外に寝なければならないなどと云うことは無い。いつもと同じ生活である。それだけに、生理だからといって60kgの野菜を背負って市場まで2時間も山を上り下りしてくる作業も軽減されることはない。自然に寄り添いながら、貧しさとともに生きてきた人々である。カースト序列の社会では、上昇志向の強い民族に押しのけられ、「お人よし=馬鹿」扱いされてきた。就学率も低く、荷物担ぎなどの肉体労働と農業を主としてきた。それが、働くことを蔑視するヒンドゥーの価値観からは不浄扱いされた理由だろう。
就学率が低いことが、教育レベルの指標にはならないことを、日本人は知らなすぎる。すぐに僅かなサンプルを数字化して比べようとする悪い癖があるが、彼らと話していると、就学率が低かろうが、識字率が低かろうが、本当に真面目な、素直な、素朴な人々だと言うことが分かる。ただし、女性についてだけ。
女性たちに2ロパニの土地(約900㎡)を分け与え、蘭の栽培を教えた。組合をつくり、忙しい合間を縫って講習会を開いた。一生懸命である。識字教室は、25人集らないと、郡政府から識字教室として認められないし、7月頃で今年分は終了しましたと伝えられた。
雨季の夜に、山を越えて学校まで1-2時間、歩いてこられないと訴える。もっと、少人数で、小学校の高学年の子どもを先生にしてでも、柔軟な学級を開こう、1-2ヶ月に1度くらいは、勉強会を持とうよと、若い女の子より、子育てと家事で一番たいへんな責任を負っている主婦たちが発言している。どんどん、生活に密着した新しい提案が出てくる。村の「教育がある」と称する男性が、必ずしも協力的とは言えないけれど、少しずつ確実に前へ進んでいる。女性たちは恥ずかしさに布で顔を覆うけれど、はじければ、すごいエネルギーを持っている。この前向きな、真っ直ぐなエネルギーを燃やしてあげたい。
伊藤 ゆき (会員番号1189)
国際基督教大学大学院 アシュマ コイララ(会員)
ネパール帰国報告 2008.1.10 伊藤ゆき
1.タイ国際航空情報
(1) タイ国際空港:年末に、タイ国際空港での座り込み騒動があり、年末年始の書き入れ時期に大量の団体キャンセルがありましたが、現在は平常に戻っています。
(2) タイ航空は、自宅でwebサイトから直接チケットを購入できますし、座席位置やチケットの種類も指定できますので、ディスカウント・チケットでキャンセル待ちの不安がありません。タイ国際航空がチケット会社に対する手数料マージン5%をカットしたためか、めっきり格安チケットが減っています。
ちなみに、12月18日出発チケットを1ヶ月前に購入しました($105円)が、成田発サーチャージ込みで13万円でした。現在は、サーチャージが下がりました(原油が下がったので、無くても良いはずなのに)が、チケット価格は上がっていますので、サーチャージ抜きで11万円くらいです。
(3) タイ国際航空は、昨年から従来の航空券の発行を中止し、E-チケットを発行するようになりました。このため、個人旅行の場合は、バンコク空港2F(日本から到着する階)で、行きがけのバンコク→カトマンズ間のリコンファーム(搭乗便再確認)をする必要がありますが、カトマンズでは帰国便のリコンファームをする必要が無くなりました。このためかどうか定かではありませんが、週9便に増えたにも関わらず、旅行社から座席が無いと言われます。ところが、現実にはかなりのガラガラ空席状態です。経費節減のわりには、もったいない状況です。
(4) E-チケットをカードで購入した場合は、成田でもカトマンズでもE-チケットのプリントと共に支払いの際に使ったクレジットカードの提示を求められます。くれぐれもスーツケースの中に入れてしまわないよう、気をつけてください。
(5) タイ国際航空は、チケット販売のマージン削減だけでなく、細部にわたって経費節減をしています。有名な「蘭の花のブーケ」サービスも、無くなり、お食事の質も落ちたように感じます。webでチケットを買う際、ヴェジタリアンかノン・ヴェジタリアンか食事を指定することができるので、ついでに、食事や酒類のオーダーも取って有料とし、体重クラス別運賃にしてくれると公平だと思うのですが。
(6) 関空発と名古屋セントレア発タイ航空深夜便が年末年始を除き運休になっているようです。タイ航空のwebサイトの時刻表には未だ掲載されていますが、実際に空席照会をすると、深夜便は掲載されていません。「3月まで運休」とされていますが、3月の何日までかが分かりません。
(7) タイ国際空港(スワンアブーム空港)内の待ち合わせ時間が長いのはウンザリです。深夜便が無くなって、さらに問題は深刻です。空港内の無料待機コーナーも廃止され、椅子に寝るか、デイルーム「ルイス・タバーン」に宿泊すると、深夜に空港外のホテルに泊まらずにすみます。昨年から、webでデイルームの予約ができるようになりました。出発コンコース4階G列とA列のどん詰まりの工事現場みたいな廊下の果てにあるのですが、ベニヤ板張りの部室のような安宿づくりで、防音効果が薄いようです。その割には料金が高く、トランジット用なので原則6時間利用で$112(朝食付き)。冷蔵庫内の飲料水やおつまみは無料です。8時間利用はさらにお高くなります。
(8) バンコク空港の「液体物検査」が非常に厳しいです。透明袋に化粧品などの液体物を入れて提示するだけでなく、X線検査では、贈答用の昆布巻き詰め合わせも、危うく開封のうえ廃棄処分されそうになりました(慌てて説明して難を逃れました)。バンコクの免税店で今買ったばかりの香水や口紅・クリームも、未開封のまま免税店の透明袋に入れてシールを貼ってもらわないと処分されます。
2.ネパール航空情報
(1)ネパール航空の直行便が無くなって久しい。日本国内には直行便をクビを長くして待っていてくださる奇特なファンが多いのに、残念ながらネパール航空社内で、大阪営業所を閉鎖する方針の勢力が大きいようです。
(2)トリブバン空港内に、ネパール航空の真新しい広角の空港内送迎バスが2台、マイクロバス数台が走っているのを見ました。四方八方風通しが良くて、自動車修理工場から借りてきたようなバスとは違います。真新しくて、きれいです。
(3)ネパール航空って、実は黒字なんですって。飛行機が飛ばなくても黒字の航空会社なんて、珍しいと思いますが、空港施設使用料、チェックイン代行料、空港事務・搬送請負などで、実は黒字だそうです。
(4)現在の観光・航空大臣は、かの有名な女性マオイストのシンボルであり、マオイスト名はパールバテ(山の神)というヒシラ・ヤミ氏(生粋カトマンズ生まれのネワールの可愛い女の子という意味)です。可愛いかどうかの評価は個人差がありますが、財務大臣バブラム・バッタライ氏の奥様です。ご夫婦が大臣なんて、マオイストでなければ、あり得ない人事ですが、山の神なのにヒマラヤの観光開発についてはイマイチ。
3.トリブバン空港情報
入国
(1) 15日間以内の入国ビザは$25です。一昨年の一時期、前回ネパールで15日以上滞在した方は、年度内のビザ代無料だったのですが、昨年9月に再度ルールが変わって$40です。ネパール政府は、外国人の長期滞在やリピーターが嫌いなのか、外国人からは金をとるものだと固い信念を持っているのか、どちらかでしょう。
(2) ビザ申請カウンターで、最後に「どこのホテルに泊まるのか。予約書を見せろ。コンピュータで予約した
なら、プリントアウトした紙を持ってこい」といわれました。「友人の家に転がり込む」ではダメ?
(3) 一連の入国手続きを終えて、ヤレヤレと出てくると、出迎えの人垣が「○○様歓迎」とプラカードを持って待ち受けています。その一角の天井近い壁に、到着機から入国審査室へ至る廊下を歩いてくる到着者が大きな液晶画面に映し出されるようになりました。それを見て、「ああ、到着したね。もうすぐ出てくるね」と確認できます。「これは、進歩だわ!」と喜んでいたところ、降りてきた様子が映らなかった人がもう出てきたりします。あれ?あの画面は何だったの?どうも、操作が分からない係員が親切にスイッチを入れ、過去の録画が映し出されていたらしいのです。やっぱりネパールですねぇ。
出国
(4) 1月1日にタライ武装グループが空港爆破を予告したため、旅行業者や外国人以外の一般人は空港に入れず、リングロード沿いのゲート付近で大きな人垣をつくって待機しています。
(5)出国手続きフロアーに入ったとたんに、空港職員のタグを着けた、身なりの悪くない30代の聾唖者(風)が、かなり積極的(強引)に手を出してきます。演技が上手で、荷物をさっさと持って行くのですが、チップ要求額は500~1,000円で、他の職員に比べて高めです。500円玉は換金できないので嫌がります。手馴れているので、1日の稼ぎはかなりに上る様子です。断るなら荷物を奪われないように、はっきりと断りましょう。
(6)一時、綱紀粛正が行なわれたようでしたが、今や、【副業】は、タグを付けた空港職員の上下を問わず行なっています。見えないようにチップを受け取る手が慣れています。同じチップならエコノミークラスで40kg以上も通してくれる偉そうな方を選んだほうが得。「給付金はないので、生活補助」だそうですよ。
(7)昨年前半は、「日本大使館からのおしらせ」で、出国検査で金品の要求やトラブルがあった場合には、「直ぐに大使館に通報してください」と日本語の掲示が出ていました。しかし、電話番号も無く、海外携帯電話もなく、公衆電話も無い待合室で、どうすれば良かったのでしょう?今は、掲示板がなくなりました。
(5)出発待合室に、お土産屋が1軒増えました。また、ノートパソコンを接続できる部屋ができ、電気マッサージ・チェアーが設置されました。ただし、16時間停電のため、開店早々休業中です。
(6) カトマンズ空港2階待合室内のトイレ工事が終わり、少しきれいになりました。
(7)憶えているでしょうか?待合室には、どっしりとした木製で真鍮の装飾つきの、白い石を敷きつめた四角い灰皿がありましたね。それが、ついに撤去され、ガラス張りの喫煙室が設けられました。誰も利用していませんでしたが・・・・
4.外国為替情報
(1) 2008年の初めは10円が6.5Rs程度でしたが、年末には銀行レートで8.25Rsでした。日ごとに上がって、おおラッキー! 空港職員が、「日本人は大挙して韓国へ化粧品を買いに行っているんだって」と、噂をしていました。市中では10円が8.36Rsまで上がりました。現在はUS$1=77Rs、$=90円で10円が8.83Rsまで上がっています。それにもかかわらず、日本人が多いホテルで7.6Rsで換算しているところがありました。日本人は、旅に出ると、鷹揚なのか、疎いのか。
(2))銀行レートで換金する正規両替商は、パスポートを必要としますが、きちんと証明書を発行してくれますし、銀行ほど面倒ではありません。安心して両替ができます。
(3)タメルの両替屋は手馴れているので、パスポート不要、手数料なしで、銀行レートより少々高い率で換金してくれます。金額が大きいと結構な差が出ます。ただし、換金証明書はありません。タメルを外れると、案外両替屋は見当たらず、たまにあっても、日本円に慣れていないため、カッコつけて1万円札を透かしてみたり、計算ができなくてもめたり・・・「代わりに計算してあげようか?」なんて、暇つぶしになります。
(4)地方都市へ行くと、ポカラのレイクサイド以外は、銀行へ行くことになります。列をつくり、待たされることを覚悟しなければなりません。理不尽にも、列の後ろのネパール人やインド人が優先されたりします。その時は、頑張って「私が先だ!」と、抗議しましょう。
(5)お店で円を使う時には、まず、新聞の立ち読みで、今日の外国為替レートを確認しておくと便利です。
5.交通情報
タクシー、乗り合いバス事情
(1)昨年2-5月はガソリンが無くて、ガソリンが来るという情報があると、GSの前にバイクと車の列が延々と続き、最高27時間並んで仕事場に行けないなどと大騒ぎで、タクシーは値上がりし放題でした。ところが、ガソリンが元の値段に下がっても、タクシー料金は下がりません。物価も下がりません。学生の抗議ストライキもありました。現在、タクシーの初乗り料金は、昼間が9Rsで200mごとにタカタカと上がってゆきます。早いです。交渉料金でなく、メーターで行けと言っても、夜間のExtra料金ボタンを押して5割り増しから走り出す運転手もいるので、手元操作にご注意。タクシーの運転手が場所を良く知らないばあい、荒涼料金のほうが安いこともあります。端数は切り上げて渡すのが普通ですが、悪質なのにはメーター表示額ギリギリしか渡さない。「ジジイにこれだけしかくれないのか・・・」と、泣き言を言ったら、「こちらのほうが、よっぽど、ババアじゃ!」と、冷たく言い放って降りるとよいでしょう。
(2)空港からタメルまで、時には250Rs、時には350Rsです。街中は常に渋滞で、僅かな移動も容易ではありません。その間、メーターはどんどん上がってゆきます。外国人客を乗せると、遠回りするタクシーも少なくありません。タクシーで移動するのは、結構料金がかかることを覚悟してください。
(3)タクシーの運転手は、ほとんどカトマンズ以外の村から出稼ぎに来ています。社会的にも経済的にも恵まれている階層ではありません。月収が5,000Rs程度(政府決定最低賃金4,600Rs)のようです。ですから、社会への不満を持った人々です。ネパールの庶民の気持ちを知りたかったら、タクシー運転手と話をするのが一番です。ちょっと、チップを弾むと、饒舌に話してくれます。
(4)近年、白いマイクロバスが9Rs~10Rsで郊外まで走り、便利になったのですが、場所によっては、ラトナパークのバス停留所へ行ってから乗り換えるはめになり、カトマンズ盆地内の移動はたいへんです。おまけに、行き先の地名を熟知していないと、どこへ連れて行かれるか分かりません。ラトナパークでは、発車時間表も路線図もあるわけない。乗客数が揃ったところで発車する。ところが、行き先の呼び声が分からない。「ボダ、ボダ、ボダー!」は、ボドナート行きだが、これは初歩。車の後ろに回ると地名が書いてある。左が出発地名、右が終点名だが、道の途中で手を挙げて乗る場合には、どうする?そう、「パニポカリへ行く?」と聞けばよいのだ。歩いてしまったほうが早い場合もあるのだが、空気が汚れていて、マスク無しでは喉を痛めます。さらに、1時間街中を歩くと、髪の毛が埃と排気ガスでジャリジャリになります。
(5) カトマンズからタライの交通要所ナラヤンガートまで、何事もなければ3時間で着くほど、実は近いのですが、相変わらず車の転落事故やバンダ(ストライキ)があります。トリスリ川にはトラックが逆さに落ちそうになっていたり、バスがアワヤ!の体勢で振り下がっていたりします。マイクロバスの交通量がとても増えて、事故率も高いそうです。移動には、充分気をつけてください。また、運転手の酒酔い運転が後を絶ちません。休憩後の出発前には運転手と会話し、酒臭くないかどうか確かめる慎重さが必要です。
交通渋滞事情
(6)ネパール人は「列を作って順番を待つ」という発想がありません。どんなところでも頭を突っ込んで1cmでも前に行こうとします。順番を待てばスムーズに流れ、結局目的地へ早く到達できるだろうと思うのですが、何がなんでも猪突猛進します。旧市街の狭い交差点や橋の袂では、四方八方から夫婦二人乗りのバイクが突進してくるし、その間を人間が通り、天秤棒を担いだおじさん、自転車を持ち上げて車のサイドミラーにぶつかりながら強引に渡ってゆきます。リキシャ、荷物満載のトラクター、中国製品を過積載した電飾ギラギラの大型トラック、整備不良で黒煙を吐くマイクロバス、スクールバス・・・その傍らの道路に悠然と座った野菜売りのおばさん。日本人には到底理解できない光景が日常です。
(7)ネパールのバイクは400ccくらいの中型車が多く、一昔前は他社のバイクもHONDAと言ったそうです。同様に、中国製の小型青色乗り合いバスの背中にも「SUZUKI」と貼ってある。マサカ!車が渋滞していると、歩道をバイクが後ろからピッピと鳴らして走って来ます。「ここは人が歩くところで、バイクは走ってはいけないでしょ!」と怒ると、「うっせぇー、だからどうした!どけっ!」と、逆に怒鳴られます。ナイフで刺されることはありませんので、日本よりは安全かも。
(8) 土管の埋設工事をしている道路に、「バート バンダ(道路封鎖)」の看板が出ていました。ところが、掘り返した土の山の上を、オフロード・ライドさながらに、バイクが飛んでゆきます。しばらくすると、車が通りだします。どうして、待てないのでしょうか?土管は無事なんでしょうか?
(9) ネパール人は、何かというと「バンダ(交通封鎖)」を行ないます。「個人の交通事故で、相手の補償金額が気に食わない」とかで、道路でタイヤを燃やし、無数の人々に迷惑をかけることで、自分の要求額を吊り上げようとします。出会ってしまったら最後。待つしかありません。それなのに、長時間停電に抗議してバンダをする人がいないのが不思議。ある人は、「そんなことしたら、マオバディに脅されて、殺されるかもしれないからやらないのさ」と、北朝鮮の秘密警察のような話をしていました。本当だったら怖い。
(10)空港からカトマンズ市内までのメイン道路の拡幅工事が進んでいます。また、カトマンズ-バクタプル道路も拡幅工事が行われています。でも、拡幅したところに早速ブルーシートの仮設店舗、仮設住宅ができてしまうのは、なぜ?
6.電力情報
(1) 1週間(168時間)の60%の108時間が停電です。1日16時間停電で、1月末からは18時間停電になるとか。主要ホテルでも、インバーターの充電が間に合わず、昼間は電気を点けないことにしました。コンピュータは作業中でも時間が来れば、プツンと消えます。インターネット・カフェは電気が来るとお客が殺到しますが、なかなか回転しません。コピーもだめ。e-メイルなら、停電中でも記憶されていますが、FAXは消えてしまいますので、不確かです。オフィスも仕事になりませんので自宅待機です。携帯電話やデジカメの充電もできません。ご飯は、時間を見計らって炊き出さねば生煮えになってしまいます。冷蔵庫は解けたり、冷えたり。もちろん、信号だって停電です。水が来る時に水揚げモーターを回す電気が入らない、電気が来る時に水は来ない。通電時に強い電圧が流れるので、電気機器はソケットを外しておかないと心配です。工場も操業停止しています。パン屋さんは、真夜中でも点灯時間に合わせて出勤させるそうです。それでも、国民的デモは起こらず、座って毎日を過ごしています。困っているのは都市生活者だけで、田舎は電気がなくても困らないし、餓死することもない。結局、ネパールは日本より豊かなのではないだろうか?
(2) 地方では、コミュニティー・パワー・ステーションが増えています。各村で資金を出し合い、公的援助を得て小規模の発電所を建設しています。ナムチェは大規模ですから、24時間インターネットを使いたい方は、山の上へどうぞ。
(3) ダハール首相官邸、大統領官邸、官僚宿舎エリアは24時間停電無し、飲料水問題無しで、同地域で
は住居費が高騰していると、批判と羨望の声が高かったが、ついに、首相官邸専用の大型ラジエーターが設置され、地域住民も平等に1週間108時間の停電が行われることになりました。先日、ダハール首相は「停電は前政権の責任で、今の政府に責任は無い」と、声明を発表しましたが、30年近くを思い返して、停電はあったけれど、今のような長時間停電の記憶はありません。
(4) ネパールは世界でブラジルに次ぎ水量の豊かな国で、「白い石油」と言われるそうです。ところが、資源の10%しか活用していないので、「将来有望なポテンシャル」と、学識ある方々は自慢するのです。ところが、庶民にとっては絵に描いた餅です。1日の3分の2停電、飲料水無しの耐乏生活が現実。ナラヤニ川も、ベリ川も、コシ川も、カルナリ川も豊かな水量で滔々と流れている。なのに・・・納得行かない!
(5) ネパールの電気代は、アジアで最も高いのだとか。昨年12月から、ネパールはインドから電力を買い
始めたらしい。しかし、ネパール国内にインドの水利権があるらしく、1kwを7Rsでインドへ送り、インドから9Rsで買っているとか。良く分からない話です。2013年ごろに、ネパールはインドへの電力供給国になり、近々建設予定(?)の火力発電所が渇水期の調整電力として機能する・・・とか。
7.From Holy Country to Holiday Country(聖なる国から休日国家へ)
(1)昨年、ヒンドゥー教を国教とするネパール王国はネパール連邦民主共和国になりました。つまり世俗主
義(secularism)国家になったのです。日本人には馴染みの無い言葉ですが、多民族・多宗教のインドや
ネパールでは、宗教対立が国家の崩壊を招く大きな要素となるので、政教分離が重要です。ところが、
ネパールでは、イスラム教のイード、キリスト教のクリスマス、チベット系民族のロサールなど、18の宗教祭日が国民の休日となりました。昨年、ヒンドゥーの生き神様クマリに国家の吉凶を占っていただくインドラジャットラに公費を出さないと言って大もめになったのに、クリスマスは国民の祭日で、大統領が教会を訪れたのです。タメルを通行禁止にするために大勢の警察官が出て、大々的な路上パーティーが繰り広げられました。27日にダーディン郡の山の上のグルン村を訪れた際、28日が正月ロサールで休日になるというので、前夜祭の踊りを見せてくれました。ところが、1月1日はちっともメデタクもない平日で、通常出勤でした。政教分離どころか、どの宗教にも政府がコミットする世俗主義なんて、聞いたことがありません。祝ってもらえない宗教は、どうするんでしょうね?
(2)今まで、ヒンドゥー教国家で、布教を禁じられていたキリスト教が猛烈な勢いで布教活動をしています。
「教会へ行けば食事が出る」「冠婚葬祭をタダでしてくれる」「良い学校へ入れてくれる」「医療費がタダになる」などの誘いで、マオイストに期待したのに裏切られた貧困層が大挙してクリスチャンになっているそうです。特にタライと東ネパールで激増していると聞きました。キリスト教団体や欧米のNGOも、好機到来で、相当な資金を注入しているようです。
(3)信教が自由になったとはいえ、未だに80%はヒンドゥー教徒であり、供養や行事もヒンドゥーの司祭によって行われているので、家庭や地域に異変が起きています。「教会で、神具や神室に入ってはいけないと言われた」と、家庭の供養に参加しない成員が現れ、大家族の間に不協和音や亀裂が生まれてきているのだそうです。また、地域の共同体活動に参加しないため、家庭が地域から問題家庭と見られることもあるそうです。現在、世界の3人に1人がクリスチャン、5人に1人がイスラム教徒ですが、ますます仏教徒が減るのでしょうか?
(4)ネパールは「聖なる国」から「休日国家」になったようです。2009年は、土曜日の休日を含めて公休日が81日ですが、水曜日と金曜日の半ドンを入れると+51日で合計132日になります(日本は120日前後)。さらに、ダサインやティハールには連続休暇を取りますし、家庭の供養は優先的に休みます。停電なので、出勤しても仕事ができません。朝は10時に来て4時に帰ってしまいます。一体、いつ働くのでしょう?
日本ネパール協会事務局では、在ネパール日本人会商工部会が作成したノート型カレンダー50冊を入荷したばかりです。ネパールと日本のカレンダーが併記され、たいへん便利です。1冊200円で、郵送費80円で送れますので、お申し込みください。
8.マオイスト政権事情
(1)昨年12月23日に、日本大使公邸で、日本のナショナル・デーのパーティーが開催され、多くの方々が招かれました。現政府のラムバラン・ヤーダブ大統領(ネパール会議派)やスバス・ネムバン立法議会議長らは参加しましたが、マオイスト議員は誰も参加しませんでした。ダハール首相は、最初は出席するつもりだったようですが、マオイスト党内に「天皇制国家日本の天皇の誕生日祝賀会に出席することに対する強い反対があった」ことを理由に出席しなかったと新聞に出ていました。コミュニストとしては筋が通っているのでしょうが、国際儀礼としては、いかがなものか?
(2)昨年来日したマオイスト強硬派のC.P.ガジュレル氏は、「New Nepalに従来の2倍も3倍も援助をして欲しい」と重ねて要求していましたし、新聞にも「第一援助国である日本がマオイストの国に援助してくれるかどうかが心配」と出ていました。暫定憲法には、ダリット、女性、ジャナジャティー、貧困層に補助金、小中学校は義務化し無料、女生徒には奨学金と、バラマキ構想が書かれていますが、一体誰が資金をだすのか、首をかしげてしまいます。たぶん、先進国の支援金が増加すると計算していたのでしょう。一応、日本は「変わらぬ支援」を表明したので、安心してしまったのでしょうか。ネパールは、もともと自国の税金で国家を成り立たせようなどと思っていないのかもしれませんが、日本では失業者やシングルマザーからも税金を徴集し、そこから援助金が出ているのだけど・・・・貰ってしまえば、関係ないのかな。
(3)ダハール首相は、宗教にも手を出してしまいました。ヒンドゥーの聖地パシュパティナートには、2人のインド人のプジャリ(司祭)がいました。プジャリになるには、様々な教義に通じ、ちゃんとした資格が必要なのだそうです。ところが、ダハール首相が2人のプジャリを解雇し、自分の身内で資格の無い人を任命しました。さすがにパシュパティナートを支えている人々がストライキをしました。それでなくても、妻や息子を要職につけるなど、ダハール首相の身内贔屓(アフノマンチェ)は批判が多いのです。結局、撤回して元通りになりましたが、すべきことは、他に沢山あるのではないでしょうか。
(4)ネパール政府はどこへ向かっているのか分かりません。マオイスト青年部YCL(ヤング・コミュニスト・リーグ)が各地や大学内で起す暴行を、抑えることができません。政党なのに、未だに軍隊を持っています。ダハール首相も武器の威圧を時々ちらつかせます。国民の間にも、裏切られた思いが広がっているようです。バンダ頻発、飛行機事故、長期ビザ値上げ、空気汚染、交通渋滞、物価高、高い航空運賃、外国人は全て割高、16時間停電・・・・どんどん、旅行客が減っています。昔は、「ネパールは、いい国ですよ。ぜひ、ネパールへいらっしゃい」と、誘えたのですが。2010年を再度「ネパール観光年」だそうです。大丈夫かな?
9.貧富情報
チトワン
(1)ほんの少し、ナラヤンガート付近を巡りました。昼間が強い陽射しがありますが、朝10時ごろまで車を走らせるのが怖いほどの濃霧に包まれ、とても寒いです。この朝霧があるために水分が保たれ、三期作が可能なのでしょう。真冬なのに、バナナ、パパイヤ、とうもろこしが実り、油菜の種が大きく膨らんでいます。えんどう豆やインゲンも年に4回収穫できるとのこと。10年前のタライには、豊かな気候なのに働く人影のない乾いた広大な平野が広がっていて、何故この豊かな地域をカトマンズの政府は軽視するのだろうと思いました。それが、マデッシの叛乱を招いた要因だと、今になって言っても時既に遅し。今は、街の奥まで人々が住み、農作物が豊かに育っています。1970年代からの日本の農業指導の影響もあって、種苗会社タキイの名が知られています。
(2)友人は、8ビガー(1ビガーは13ロパニ。5,850㎡)の所有地に建設機材基地を造ろうとしているところでした。また、もう一人の友人の両親は、収穫物の回収と、翌年の種を小作人(アディヤ)に配布するためにビラトナガルの所有地にでかけて行きました。アディヤは呼称の通り、収穫の50%が取り分です。この土地から大家族の1年分の米、豆、ジャガイモ、野菜の全てを収穫できるそうです。もちろん、カトマンズに住み、貸家も持っていますが、特に裕福というレベルでは無いそうです。
高級ブランドショップ
(3)カトマンズで一番大きなショッピングモールは、トリプリショール(国立競技場付近)の交差点にありますが、その坂をあがりきった工業省かなんかの建物のとなりに、中国のショッピングパレスがあります。ゲートを入って奥のほうですが、あらゆる中国製品を売っている展示場のようなモールです。中央郵便局の裏手からビル病院の裏手にかけてはチャイナ・タウンが形成され、庶民の買い物客でごった返しています。
そうした庶民の消費地と違って、高級なブランドショップが次々と開店しては消えてゆきます。今年に入って、王宮どおりアンナプルナホテルの真正面、ホテル。シェルパの前庭に、「5th Avenue(5番街)」という複合ショッピングモールができました。若者向けのファッションを中心ですが、5階には「祭り」という、日本形式の居酒屋レストランもあります。ネパールの男性はオシャレ好きと見えて、男性向けのお店が多いのが、日本と違うなぁと感じさせます。また、タメルには、「The North Face」の専門店が、王宮通りの南から映画館へ行く途中に「サムソナイト」の専門店ができました。ブランド好きの方はどうぞ。
(4)パタンのヒマラヤホテルの先に数年前にできた「富士パン」は繁盛しています。日本で修行してきたネパール人が一生懸命に働いています。あんぱんは、直ぐになくなってしまいます。韓国人が好きなのですって。コロッケもおいしいですよ。玄米、日本米、お餅もあります。二階のレストラン「マロニエ」は、日本人客が多いようです。そこで、有機飼料で育った鶏からとれた卵を売っています。一つ一つに日付がついていて、生食ができるそうです。最近は、ネパールでも鶏料理を出す際「これは、ローカルチキン(地鶏)だから」と、言うんですよ。ネパールの鶏だって、いつまでも飛び跳ねているわけではありません。大規模な鶏舎が増えているのです。鳥インフルエンザ?知りません!聞かないでください!
新興住宅地
(5)パタン郊外のコカナの大分譲地は54棟売り出し、完売しているそうです。田圃の向こうにはカトマンズの街の電気が点いている地区と、停電中の地区が区分けされて見えて、と飛行場へ下りてゆく飛行機が見える場所です。しかし、未だ9棟しか入居者がなく、延々と各家の内装工事が行なわれています。いつが完了というのではなく、同時進行で入居が始まるようです。崖淵に造成された分譲地内は急坂が続き、側溝も整っていません。ドアの下から寒風と土埃が吹き込むので見てみると、ドアの下に2.5cmほどの隙間があります。おまけに、見てくれの良さで床材に大理石を使っているので、暖房設備の無いネパールでは凍えてしまいそう。皆、「寒い、寒い」と、薄手の布団のようなショールに包まっているのです。なぜ、南側を開けて日光を取り入れる習慣がないのか、分かりません。4階建て屋上つきの住宅は、8部屋あり、使用人部屋や神様の部屋もあります。家の中でダイエットができるほど階段だらけで、その階段が煙突になって温かい空気を屋上に逃してしまいます。日本では考えられないズサン建築ですが、OKらしい。
(6)これらの分譲住宅の多くが海外送金を頼りにローンで買ったものだそうです。3年積立貯金が我慢できないというネパール人が、よくも、25年ローンにサインしたなと驚きです。25年先の人生も何とかなると見通しが立つ購買者が、そんなに沢山居るということが驚きです。建設会社は、返済が滞れば家屋を差し押さえられると考えたのでしょうけれどねぇ。しかし、すでに、ネパールの国家予算を上回る海外送金に陰りが見え始めました。夏までは、海外集団労働者が空港に溢れていましたが、今はその姿がありません。それどころか、カタールやシンガポールから、労働者が帰り始めました。25年のローンを借りて建てた華やかな住宅群は、どうなるのでしょう?
(7)住宅は妻の名義、息子はボーディングスクールに通い、出稼ぎに出た父親はATMのようなものです。帰国しても家族の中で座る場所が無く、「子どもの教育費はどうするのよ!」と妻に叱られて、海外へ舞い戻る。送金できなければ妻に離婚されて、家は妻のものになるという、あわれなお父さんたちなのです。
ネパール版「男はつらいよ」でしょうか。
ゴミの上の楼閣
(8) 10年ほど前からカトマンズのバグマティ川の堤に不法占拠居住者住宅(スクォッター)が連なり、スラム街を形成していました。しかし、今は、既に街になっています。ここの人々は写真つきの住民票を作って、立ち退きを迫られた時に権利を主張できるように、IDカード(ナグリッタ)作成に支障がないようにと備えてきました。今年の8月、雨季には無かった新たなブルーシート部落が出現していました。既存の不法占拠住宅より川に近い川原に捨てられたゴミの上に住んでいます。脇には、汚水が浄化されず直接流れ込み、色が変わっています。すごい臭いです。どこからきたのか聞いてないのですが、デモ要員として参加すると賃金がもらえるそうです。バグマティ川と反対の西側スワヤンブナートの裾をビシュヌマティ川が流れていて、川沿いには廃品回収業者や水牛解体業者という、いわゆるダリットがたくさん住んでいます。昔は町外れのガート(火葬場)だったところです。解体後の大きな骨や内臓を川へ直接捨てているので、いつも白鷺や大きな猛禽類の鳥が群れています。ゴミはますます川に迫り出して流れを狭め、もうすぐ向こう側に付いてしまいそうです。夏に、溺れそうになった子どもを助けに飛び込んで水を飲んだ警官2名が、その後原因不明の病気で発熱し2ヶ月間入院したそうです。
ネパール政府は2017年にはネパールの人口が1,000万人増加して3,300万人になると予測しています。カトマンズの人口もさらに100万人増える予想です。その人々が毎日帰って眠る場所があることが、不思議です。
ノートより石版
(9)今年、キャンパスを終えて遠隔地の小学校へ赴任したばかりの女性教員が、卒業式にプレゼントされた50冊のノートを、村のバザールで売って生徒たちのために石版とチョークを買いました。石版なら、何度も消して使えるからです。その小学校は机も椅子も無く、土間に座って勉強しています。片道1時間以上もかかっても学校へやってきます。日本では、100年前の話でしょうか?
10.海外渡航事情
(1)留学先ランキング、出稼ぎ先ランキングは、世界の経済状況やビザ発給難易度によって敏感に変化します。1980-1990年代は日本への出稼ぎが人気でした。その後、韓国、マレーシア、カタールにと比較的短期的な変化がありましたが、欧米諸国への出稼ぎはあまり聞きません。欧米諸国は留学先なのです。友人の一族の子ども(三世代目)たちは一人残らずアメリカに居ます。先日、アメリカで一族の集まりがあり、15人くらい集ったそうです。すでに、結婚して子ども(四世代目=ネパール系アメリカ人)もできています。ネパール人と結婚するとは限りません。さまざまな家族が生まれています。一人っ子か、せいぜい二人っ子ですが、ネパールには帰らないようです。彼らは留学後の定住組です。今の海外留学の流行は、オーストラリアです。一時カトマンズに日本学校が80校もできて、“Study & Work”の争奪戦がありましたが、やっぱり英語のほうが楽ですし、移民が住み易いのでしょう。第一世代の介護に追われる第二世代(父母世代)は、第三世代のアメリカやオーストラリア留学を自慢しながらも、集まりがあるたびに自分たちの老後は誰がみてくれるのだろうか、いったいいくら貯めておけば老人ホームに入れるのだろうかと、不安そうです。都市のミドルクラスでは既に少子高齢化、介護問題が深刻です。
(2)「国連に勤めたい」。これが、今の若者のファッションです。バウン・チェットリ、ネワールの優等生と自負する学生たちは「国連に勤めれば、イギリスだろうがオーストラリアだろうが、好きな国に行ける」と、国連という甘い言葉のマジックにかけられています。まるで、「幸福の手紙」の連鎖反応のようです。日本人から見れば、「誰もが国連に易々と勤められるわけがない」と思うのですが、その辺をヒラリと飛び越えて、願望=実現と考えるのがネパール人のすごいところです。彼らは、「ワンランク上」でないと、気がすまない自尊心があるのでしょう。世の中、そんなに甘くないと思うのですが。
(3)友人の親戚一家が、アメリカ居住許可を得て移住することになりました。アジアだかネパールの中で1400人限定の宝くじに当たったようなもので、昨年5月に申請書を提出した後音沙汰がなく、11月になって急に知らせがきたそうです。3回ほどインタビューがあって、本決まりになったのですが、ビザ代は1人$840で、妻と子ども3人合わせると$2,520、健康診断や各種の予防注射をあわせると$1,000、それに渡航費用、生活資金等々、たいへんなお金がかかるそうです。アメリカでは、一族のネットワークを頼って住むところを決めるそうですが、どんな仕事が得られるのか、見当はついていないそうです。ネパールの一流企業の仕事を辞めて、妻子を抱えて移住する逞しさと楽天的な発想は、日本人男性には無いだろうなぁ。
伊藤 ゆき (会員番号1189)
2008年12月26日
日本乳腺甲状腺超音波診断会議(JABTS)国際委員会によるネパールでのピンクリボン活動について
独協医科大学の高田悦雄先生よりネパールで行われているピンクリボン活動(乳癌撲滅運動)の活動の様子です。
http://www.jabts.net/
http://www.jabts.net/jabts04.html
http://apollon.dokkyomed.ac.jp/jabts/kokusai/nepal-4.html
高田悦雄(非会員 獨協医大超音波センター教授)
2008年12月24日
前期高齢者のネパール見聞録
「少しでも近くで世界最高峰を仰ぎ見たい」との長年の願いを実現しようと、11月1日から9日までの日程でネパールに出掛け、無事帰還した。
企画名は「庵」。「回想の谷川岳」の著者で登山家の故安川茂雄 (本名長越)氏の夫人が経営する新橋の居酒屋「庵」の客6人が参加した。当初トレッキング組は4人で2人が観光組だったが、最終的
にはトレッキング組は小生と高校の同級生のS氏だけの2人となって しまった。
冒頭、「無事帰還」と強調したのは、小生は 66歳、80キロのハンディ がある上に根っからの酒好き。それで4、200mを極めようと言うのだから、無謀もいいところ。企画会社のヒマラヤ観光開発の宮原社長からも「酒は絶対NO」と厳しいお達し。でもそこは酒呑童子ならぬ酒呑老人。
ガイド さんに「餃子に似たおいしいモモとかいうものがあるらしいが」とか何とか 言って宿泊地の食堂兼居酒屋に入り「トンバ」(ストローで飲む粟でできた酸味のある酒)「ロクシ」(どぶろくのような、焼酎のような酒)、地ビールをこっそりとやっていました。でもさすがに4、200m登頂の前日だけは約束を固く守り、2人とも一滴もいただきませんでした。その甲斐があって、当日は快晴。7、000、8、000m級の山々がが眼前に迫り来る迫力に圧倒された。言葉にならないほど。大げさに言えば自然の偉大さ、神の存在をも感じさせる感動だった。初めてのネパール行きだったが、ガイドのR氏が「この国は観光だけが財産。外国からの援助に支えられている。援助資金で学校も建つ。だけど親が子供を学校にやらない。援助資金で先生を育成することもない。これでは駄目だ」と嘆いていたのが
印象的だった。
ただ子供の目がキラキラ輝いており、旺盛な好奇心に満ちていた。この国の未来は案外この子らにあるのでは、とも思った。兎に角、町ではわが国の終戦直後の喧騒、熱気とバイタリティーを見、山岳地帯ではしっかり自然に根付いた生活が感じられた。これらが混在する不思議なそして
また訪れたくなるネパールだった。
![]() |
![]() |
| ホテル エヴェレストビューにて 鹿内氏(左)と友人の鈴木氏 | クンデ・ピーク(4,200m)にて鹿内氏 |
参考:トレッキングのコースは初日がカトマンズから空路でルクラ(2、827m)に行き、谷沿いを歩きながらパクディン(2、652m)で泊。
2日目はドゥド・コシ(ミルクの川)添いの道をたどり、サガルマータ国立公園に入り、標高差600mを登りきるシェルパの里ナムチェ(3、440m)まで。
3日目は、シャンボチェの丘ホテル・エベレスト・ビュー(3、880m)。4日目はクムジュン村に一旦下がった後、クンデピーク(4、200m)登頂、エベレスト・ビューに戻る。
鹿内 照智 非会員 (通信社OB)
(教師の資質、教育技術向上及び教育の普及のために辺地の学校を巡り、教師の再教育、村の幹部や就学期の保護者に教育の必要性や学校の維持運営について啓発活動を行なって着実に成果を上げている教師養成教師がいます。全てネパールの教師で、トレーニングを受けて教員養成教師として活動していますが、使命感に燃え、教育技術も高度です。このような教員養成教師の存在はあまり知られていません。現在、ネパールに行っている伊藤副会長はそのような教員の一人と会う機会があるとのことでした。:会員番号2545 古畑 庸博)
ヒシラ・ヤミ(Hisila Yami)考
マオイストの女性リーダーで、今回情報・観光・民間航空大臣になったヒシラ・イェミ氏(Hisila Yami 1959年生れ)について、前回の組閣名簿を掲載した折に、マガール(族)と記載しましたが、ネワール(族)の誤りでした。訂正いたします。ついでに、最近の女性事情について、雑学的情報を送ります。
1.インターマリッジの増加
インターマリッジとは、異なるカースト間の結婚です。マオイストの中では、インターマリッジばかりでなく、戦闘などで寡婦になった女性の再婚が奨励されているそうです。例えば、ヒシラ・イェミ氏はネワール(族)ですが、彼女の夫でマオイストのNo.2バブラム・バッタライ財務大臣(Baburam
Bhattarai, 1954年生れ)はブラーマンです。バッタライ氏はインドのネルー大学を主席で卒業したという、優秀な経済学博士であり、彼女もイギリスで建築学を修め、トリブバン大学工学部の教員を長年勤めた才媛です。インドで出合って、恋愛結婚をし、娘が1人います。
20年前は、インターマリッジをかなり問題視しました。女性が下位カーストの男性と結婚すると、下降婚といわれたり、外国人と結婚すると、親戚づきあいを絶たれたり、宗教行事に参加させてもらえないこともありました。今では、キャンパス・ラブや外国人との結婚が増え、あまり問題にされなくなりました。昔の父親は娘を監視して、処女のまま男性に手渡すことが重要な責務であり、それに反すれば、一家の恥となり、賠償を求められることもありましたが、今は、裁判所も「価値観は多様であり、いちいち監視していられません!」と、匙を投げています。親が反対すると「子どもを産んじゃうわよ!」と、逆に脅されるので、親もお手上げだそうです。昔は、男性同士が手をつないで歩いて奇異に思いましたが、最近は高校生同士が手をつないで登下校している姿を良く目にします。ちなみに、ダハール首相はブラーマン同士の伝統的な結婚ですって。
2.ネパールは夫婦別姓先進国?
ネパールでは昔から共産党系の方は別姓が少なくありません。例えば統一共産党首サハナ・プラダン氏(1932年生れ)の夫は、ネパール共産党プシュパラル派総書記のPushpa
Lal Shrestha氏でした。両人ともネワール(族)です。一般的には結婚後の女性は男性の姓を名乗りますが、戸籍制度も社会保険制度も無いので、社会的地位を持った女性が別姓であっても書類上の不都合はありませんし、容認されています。男性優位と云われるネパールですが、日本のように差別されたり、裁判になることはありません。最近では、デウパ元首相夫人のようにDr.
Arzu Rana Deubaと、実家名を併記する方が増えてきました。外国人と結婚した方には、昔から良くありましたが、Hillary Diane
Rodham Clintonのように、欧米風に倣ったのかもしれません。こうした女性の自己主張は、サリーを着なくなった時期と重なるような気がしませんか?
3.ネワールの呼称
ネワールの人々は、ネワール人をネワール語では「Newa」と云います。そして、国名“Nepal”の語源はNewaであると固く信じ、生まれ育ったカトマンズ盆地の各街に愛情を込めて、下記のように呼んでいます。 なお、同地域の生まれ育ちであれば、カーストの上下に関わりなく、下記のように呼ばれるそうです。
|
ネワー名(ネパール名) |
地域名 |
ネワール(男性) |
女性 |
|
Kantipur(カトマンズ) |
Ye(イェ) |
Yami(イェミ) |
Yamini(イェミニ) |
|
Lalitpur(パタン) |
Yala(エラァ) |
Yele(イェレ) |
Yeleni(イェレニ) |
|
Bhaktapur(バドガオン) |
Khopa(コパァ) |
Khope(コペ) |
Kopeni(コペニ) |
|
Kirtipur(?) |
Kepu(ケプ) |
Kepumi(ケプミ) |
Kepuni(ケプニ) |
*神戸大学大学院博士課程のディプ・サキャ氏と、彼の父上に呼称の確認をして戴きました。
4、ヒシラ・イェミ氏はYamini
彼女の父親(Dharma Ratna Yami、トリブバン国王専制時代の森林副大臣)は裕福なネワールの職人階層ドゥラダールだそうです。パンチャヤット時代から共産主義に傾倒していて、彼女は、その父親の思想とネワール(族)の高い誇りを受け継ぎ、とてもネワール意識が強いとのこと。初めてお目にかかるネパール人には「ネワールですか?」と確認し、YESだと身内意識識を感じるようです。「外見より可愛い性格」と云う噂もあります。Yamiはヤミではなくイェミと発音し、古くからカトマンズで生まれ育ったネワール人を意味しますが、いわば、「ちゃきちゃきの江戸っ子」みたいに「生粋のカトマンズっ子」という感じでしょうか。彼女の実家がTuladharではなくYamiになった理由は、残念ながら分かりませんでした。どなたか、教えてください。彼女がHisila
Yami Battaraiを使わないのは、なぜでしょう?
伊藤 ゆき (会員番号1189)
2008年10月27日
昨日、26日からティハールが始まりました。
2008年 ティハール(Tihar)
ネパールに於いて、日本の正月にあたる最大のお祭りダサイン(Dashain)に次いで二番目のお祭りであるティハール(Tihar)はまた、カトマンドゥ盆地の先住民族であるネワール族の正月でもあります。
9月30日から10月14日まで開催されたダサインは悪魔マヒサシュラを退治したドゥルガ女神を祝うお祭りですが、ティハール(Tihar)の間は家々や各寺院に火を灯して飾りますので、灯明祭とか光の祭と呼ばれ、夜間は大変幻想的で美しい祭です。
2008年のティハール(Tihar)は10月26日のカーグ・ティハール(Kag Tihar)から始まり、27日はククル・ティハール(Kukur Tihar)、28日はガーイ・ティハールまたはラクシュミー・プジャ(Laxmi Puja)、29日はゴル・ティハールでネワールの新年です。30日はバイ・ティカ(Bhai Tika)で、2008年のティハールは5日間あります。
カーグ・ティハール(Kag Tihar」は、カーク(カラス)にプジャ(Puja)(供養礼拝)を行います。カラスは良い知らせを持ってくると信じられています。
ククル・ティハールは、ククル(犬)にプジャします。犬にマーラー(花輪)をかけて食事を与えます。犬は信義に厚い動物と信じられています。
「ガーイ・ティハール」といい、朝、ガーイ(雌牛)にプジャします。雌牛から牛乳を得るので雌牛は富と豊穣の女神ラクシュミー(Laxmi)女神(ヒンドゥ教のビシュヌ神の妃神で日本では吉祥天と呼ばれています。ラクシュミー女神の姿は、水に浮かぶ蓮華の上に立ち、左手に蓮の花を持っています。右の手のひらからは、富の表現として金貨がこぼれ落ち、背後から二頭の象が祝福の水をかけています。)の化身と考えられています。

夕方は、富と豊穣の女神ラクシュミー女神をプジャします。そのため、この日はガーイ・ティハールともラクシュミー・プジャ(Laxmi Puja)ともいいます。プジャ(Puja)はラクシュミー女神の絵やお金、農作物に行い、「ジャヤ、ジャヤ、ラクシュミー、どうか家に留まってください。」とお祈りします。「ジャヤ」とは日本の万歳という意味です。
そのときは、ラクシュミー(Laxmi)女神を家に招き入れるために家の入り口に色水で円を描き、家の中に導きます。また、室内、戸口、窓、屋根に灯しを点しますので、灯明祭(ディパワリー)と呼ばれます。子供達はラクシュミー(Laxmi)女神の賛歌を歌いながら家々を巡り(デウシー)、お菓子やお金の供物をねだるバイロという行事を楽しみます。
ゴル・ティハールは、ゴル(雄牛)にプジャします。ゴルは死の死者ヤマ・デュータの乗り物です。この日はカトマンドゥの先住民族であるネワール族の新年で、自分の身体にプジャして、1年の健康と幸せを祈ります。
バイ・ティカ(Bhai Tika)は、姉妹が兄弟にマーラー(花輪)をかけて、ティカ(額に付ける赤い印)をつけます。そして、ご馳走します。これは、死にかけた弟を死神が迎えに来たときに、姉が、「油の乾くまで、クルミが腐るまで、花が枯れるまで(その花はドライフラワーでした。)弟の命を奪わないように頼んで弟を救ったという物語に基づくものです。そのため、女性は死の死者ヤマ・デュータに男性の長寿を祈願します。
(注)2008年のティハールは10月26日から始まり30日までの5日間ですが、ネパールの暦はヴィクラム暦で、西暦では各年ごとに日が異なります。
http://www.nepalicalendar.com/
社団法人日本ネパール協会 編集広報部会
2008年10月6日
ヒマラヤの高所に咲く青いケシ:最も美しいといわれるメコノプシス ホリドウラ。
この写真はヒマラヤ北側のチベットで撮影したものです。
ネパール側の何処に咲いているか教えてください。
会員番号2693 麦倉 利司
2008年ダサイン
ヒンドゥ教の最大のお祭りといわれるダサイン(Dashain)は、ドゥルガー(Durga)女神が悪魔マヒサシュラ(Mahisashura) と闘って10日目に悪魔マヒサシュラ(Mahisashura)を退治したため、ドゥルガー女神の勝利を祝い10日間にわたって行われる祭りです。ネパール語で10を意味するダス(Dash)からダサインはと呼ばれるそうです。
ネパールの国民の80.62%(http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/nepal/data.html)を占めているヒンドゥ教徒にとって最大のお祭りです。
日本の盆や正月のようにそれぞれの故郷に帰り、家族と一緒にドゥルガ女神を讃え、その祝福をうけ、新しい生命力を与えられるよう祈ります。
寺や家庭でもニワトリ、アヒル、山羊や水牛などを生け贄に捧げ、ドゥルガ女神の勝利を祝い、その力にあずかり、社会の秩序の回復・作物の豊饒・個人の心の悪の克服を願います。
2008年のダサインは9月30日に始まり、初日はガーダスタパナ(Guatasthapana)と呼ばれ、 ドゥルガ女神と悪魔マヒサシュラの闘いが始まった日といわれています。初日は、早朝に家を綺麗に掃除し、神様を祭ってある部屋(Dashain Ghar)でジャマラ (Jamara)のために平たい土器製の鉢(kalash)に砂を入れモッコイ(トウモロコシ)またはゾウ(大麦)の種を蒔き、その上に平たい土器製の鉢をかぶせます。以後、聖職者(グル)または家長の男性は毎日水を撒いて発芽させ、苗をもやし状に黄色く育てます。女性はDashain Gharには入ることは出来ません。この儀式は7日目まで行われます。
7日目の10月6日は、フルパティ(Fulpati)といって、 王国時代はカトマンズの旧王宮(Hanuman Dhoka)で華やかな祭典が行われました。ネパール王国時代はヒンドウ教が国教でありダサインは国の最大のお祭りとして伝統に基づいた華やかな式典が行われていましたが、ネパール連邦民主共和国となり世俗国家として今後どのように変貌するか興味のあるところです。
8日目の10月7日は、マハ・アスタミ(Maha Astami)といって、ドゥルガ女神が悪魔マヒサシュラの部下のアスラ(阿修羅)一人を退治したことを祝います。多くのヒンズー教徒は断食をして過ごしますが、夜は、Kal Ratri(暗夜)と呼ばれて、生け贄として山羊・ニワトリ・アヒルの首を切り落としてドゥルガー女神に捧げ、その生け贄の肉を料理しご馳走を食べます。
9日目の10月8日は、マハ・ナワミ(Maha Nawami)といって、ドゥルガ女神が悪魔マヒサシュラの部下のアスラ(阿修羅)を全て退治したことを祝います。山羊・ニワトリ・アヒルの首を切り落として生け贄にとし、その血を車・バイク・自転車・リクシャ・テンプ等に飾り付けを行い、事故等が無いように祈ります。 生け贄はドゥルガ女神に捧げた後、料理されご馳走になります。
10日目の10月9日は、ヴィジャヤ・ダシャミ(Vijaya Dashami)勝利の10日目といって、ドゥルガ女神が悪魔マヒサシュラを退治した勝利の日で、家族が揃い、晴れ着を着てご馳走を食べます。年長者が、自分より年下の人の額にティカ(tika)をつけ祝福します。祝福のティカの意味は生命力を高め、豊穣を祈願するものです。 そして、初日に蒔いたジャマラのモッコイ又はゾウの黄色い芽(大体10cm位に育ちますが、土器の鉢で覆われて育つため黄色状の苗です。)を抜いてドゥルガ―女神の恵みとして髪に飾ります。
ヴィジャヤ・ダシャミから4日間は親戚が来たり親戚を訪ねたりしてヴィジャヤ・ダシャミと同様に過ごします。ダサインは10間のお祭りですが、満月の日で終わりますので、2008年は15日間のお祭りになります。15日目の10月14日はコジャグラタ・プルニマ(Kojagrata Purnima)といって豊穣の女神ラクシュミー女神を礼拝し、2008年のダサインは終わります。
ドゥルガー女神
ドゥルガーとは「近寄りがたい者」という意味で、ヒンドゥ教の三神の一人で破壊と創造を司るシヴァ神の妃(デーヴィ)パールヴァティーの獰猛な一面を表した女神で10本の腕を持つ黄色い体の大変美しい女神で、虎(ドゥン)に乗っています。 ドゥルガー女神は悪魔マヒサシュラの勢力が強大になり神々が苦しめられた時、が悪魔退治のために神々の口から発した光の中から誕生し、10本の腕に神々のシンボルである武器を携え、強力な軍団を率いる悪魔マヒサシュラと10日間闘い勝利した。

社団法人日本ネパール協会 編集広報部会
2008年10月1日
「活況を呈するネパール映画界」 伊藤敏朗
ネパール映画の製作は、2001年度(B.S.2058年度)に50本超を記録した後、政情の混乱で市場が縮小し低迷してきました。しかし今年度(2008年度)のネパール映画界は大いに活気づき、年間で70本を超える過去最高のペースとなっています。新しい映画スタジオの竣工、大学卒業資格の得られる映画学科の設立、ディジタルシネマの製作と配給、各種映画祭の開催など、ネパール映画の新しい話題には事欠きません。カトマンズの市内でもロケ風景を目撃することが多くなった気がします。これからのカリウッド=ネパール映画界の動向から目が離せません。
投稿者
伊藤敏朗 'Ito
Toshiaki'
(社)日本ネパール協会会員
東京情報大学総合情報学部情報文化学科准教授
〒265-8501 千葉県千葉市若葉区御成台4-1
E-mail
ito@edu.tuis.ac.jp
HP http://www.rsch.tuis.ac.jp/~ito/
研究室TEL&FAX(DI)
043-236-4661