Tamang.cot.com 6 2007 http://www.tamangsamaj.com/guest1.php?cid=10

駐日ネパール全権大使 Dr. Ganesh Yonjan氏
社会福祉指導者:国内ばかりでなく国際社会でも様々な活躍をされ、我々タマン族の誇りである高名なDr. Yonjan氏の紹介は必要ないかもしれません。
当時、 普通の農家で生まれたYonjan氏が博士号の資格を取れると誰も思ってもいませんでした。
幼い頃から社会福祉のために様々な活動をされてきたYonjan氏自身も自分がここまでこられると思ってもいなかったと思います。しかし、何事も前向きに考える彼の性格により彼の今日があるのだろう思われます。苦難があってもめげず頑張る彼のような強さは誰でもが必要だと思います。学校や大学だけにおける勉強ばかりでなく独学においても成功できるということは彼に見習う点でもあります。自分の家族よりも社会の人々のために自分の人生をかけてきたYonjan氏は社会福祉のために生まれてきたのだと思います。そんなYonjan氏をtamangsamaj.com の今月のゲストとして迎えてのインタビューの内容は以下のとおりです。
Q.子供のころのことを教えてください。
A.
私は2015BS、Magh26日にカトマンズのBoudhha−6で生まれました。私の子供の頃は現在のように整った学校がなく、私たちはお寺で勉強するほかなく十分な教育を受けることは難しく大変でした。私の家族は普通の農家でしたので畑での仕事をしたり、家畜類の面倒を見たりするのが主な仕事でした。父はタンカの商売をしていましたが、当時はまだタンカは商売となるものではなく、そのため、普通の中間層の家庭で私は育てられました。
Q. そんな状況であってどのようにして勉強は続けられたのでしょうか?
A. それは大変でした。小学校までの勉強は頑張ってBouddhaでしました。その後Chabahilの中学校でSLCの試験を受け、2036BS
に中学校を卒業しました。SLC を終え、Community Progress Nepal(CPN)というイギリスのNGOでボランティアをしながらChabahil
Campusで勉強を続けました。カトマンズのLapsifedi, Naglebari, Bajrayoginiなどとバクタプルのいろんな場所の適応性の研究(flexibility
study)をするのが私の仕事でした。その後CPNはAction Aid という別のNGOと合併しました。CPNが無くなったので私はAction
AidでCommunity Organizerとして働き続けました。仕事にやりがいを感じて一所懸命仕事していたためAction Aidは様々な活動を私に任せるようになりました。そのため、仕事が忙しくて勉強は続けられませんでした。仕事している間、私は色々な試験を受けさせられました。仕事に対しての私の忠誠と努力が認められ、イギリスのレディン大学から地方における社会開発の勉強をするための奨学金をいただいて、1989年にイギリスに留学しました。1990年に15ヶ月間に勉強を終えてネパールに帰国しました。帰国後またAction
Aidで働き続けました。1993年にAction AidからProgram Advisorとしてソマリアに行くことになりましたが、11年間も同じところで働くより違う仕事してみたいと思い、国連に関する仕事に申し込んでみました。当時国連に関する仕事が貰えるのが大変難しかったのにもかかわらず、国連の食料農業機構
(FAO)のNational Consultant として私が選ばれました。その後ローマにあるFAOの本部とネパールの両方で働きました。約3年間でFAOの仕事を辞めて色々な国際機構のコンサルタントとして働き始めました。私の一番の目的は社会福祉だったので、色々な国際機構で、例えば、ある所では1ヶ月に10日間働いたり、又、他のところでは1ヶ月に5日間働いたりしていました。私の努力と仕事振りを見て様々なところから博士号の提供の申し出がありました。当時イギリスに住んでいた同じタマン族の方達からも彼ら達が勉強できなくても私には博士号を得て欲しいという希望と申し出がありました。しかし、当時、私の父は健康が悪化して入院していました。父の心配等の事情でそれらを断りしました。学歴は就職のために必要であると思いますが、社会福祉に自分のすべてをかけていた私にとっては学歴よりも実力と独学で得た知恵や知識などの方が大事でした。独学は人に創造力を与えるのだと私は思います。ただ学校や大学を出た人はどこかの会社に入って仕事はできるでしょう。でもそれだけでは人間関係を形成して社会での活躍はできないと私は思います。ですから社会的な人間を作るために学歴だけではなく独学も必要だと思います。レディン大学での勉強を終えてから私は様々な研究と勉強を続けました。その間、アメリカのリンカーン大学とも研究の交流があり、その研究の成果からリンカーン大学より2000年に博士号を戴きました。これは私にとって大変重大なことでした。当時、そのような博士号を戴いたのは南アジアの中で私だけなので大変名誉なことと思っています。